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ナイトバードに連理を Day 3 - B - 2

【前 Day 3 - B - 1】

(2610字)

「人に話を聞かれない場所を知りませんか」

 放課後、早矢と廊下で合流した清心は開口一番にそう言った。早矢は面食らい数秒停止したが、当てはすぐに思いついた。

「静かな場所がいる」

 S高校から徒歩15分、S図書館の受付カウンターに立ち、早矢は卓上に銀色の硬貨を二枚置いた。カウンターの反対側に座る青年は早矢とその隣に立つ清心の顔を見比べ、再び早矢を見上げた。

「足りないが」

 早矢は肩を竦めてさらに二百円を差し出した。

「ふん……。監視カメラはあるし、窓が大きいから外から見える。ここはホテルじゃないぞ」

 青年は口を回しながら立ち上がった。早矢の打った舌の音が、静かな館内で大きく響いた。

「何もしねえよ。いや待て、音は?」
「マイクは無い。叫べば外にも聞こえるが。悪だくみか」
「ここから五〇キロ以内じゃ仕事はしない」
「だからホテルじゃねえ」

 青年は壁に掛けた鍵の一つを取り、無造作に放り投げた。早矢は身体を伸ばして鍵を掴み取った。

「ノーコン」
「運動不足だ。三階、階段上がって右、第二会議室。一時間だぞ。見回りに行くからな」
「ノックしろよ」

 青年は階上の窓の一つを指差しつつ椅子に戻った。早矢は目を切って歩き出し、清心は青年に頭を下げてからその後に続いた。

「受付の方は、お友達ですか」

 駆け足で追いついた清心は、並んで階段を上りながら早矢に訊ねた。

「まあ、顔見知り。ここ、最寄り駅と逆方向だからS校生はあんま来ないけど、俺はこっちの駅から帰る方が近くて。で、たまに寄るうちに、なんとなく」
「私も、来るの初めてです。あ、お金、払います」
「良いって、あんな小銭」
「ダメです。話さなければいけないことがあるのは、私の方なので」
「なら今度飲み物でもおごってくれ。それより昨日、一応C組も探したはずなんだけど、空鳥さんいた?」
「……朝ですよね、いましたよ。こちらからは見えてました。私、気配消えがちで。しょっちゅうボーっとしてますし」
「あー……いや、あーじゃないか。気付いてたなら声かけてくれてもよかったんじゃ」
「それはまあタイミングというか、様子見というか、こちらにもいろいろ計画がありまして……」
「……なるほど、つまり俺は空鳥さんの掌で踊らされてたわけだ」
「……ごめんなさい」
「いや、ごめん、冗談のつもりだった……」

 二人は断続的な会話をどうにか続けながら三階を目指した。

 S図書館第三会議室。物置寸前、よく言えば寂びた茶室のような狭さに、折り畳みの机とパイプ椅子が壁に立てかけられただけの空間。それでも空調は行き届き埃も黴も無く、そして耳が痛くなるほどに静かだった。

「どうすか。俺も初めて入るけど」
「完璧です」

 正面の大きな窓の向こうからが下の各階のまばらな人と無数の本棚が見えた。天井隅にはいかにもな監視カメラが設置されていたが、受付で言われたほど外から見られる心配はなさそうだった。机を動かし、部屋の左右から椅子を向け合い、対面で腰を下ろし、二人は同時に深く息を吐いた。

「よし。まず何からだ」
「まずは、巻き込んでごめんなさい」

 できる限り気軽に言った早矢に対して、清心の表情は途端に固さを取り戻していた。清心は鞄から一冊の本を取り出し、監視カメラを気にしながら机の上に置いた。#23という数字だけが記された無機質な、しかし明らかに使い込まれたクタクタのノートブックだった。

「これが、あのメモの元です。念のためカメラに映らないように見てください」

 清心は目を閉じ、深呼吸を一つ置いてから、ノートを早矢の前に押し出した。早矢は厳かな気分でそれを受け取り、そして体で死角を作りながら表紙を捲った。その瞬間、清心は椅子の上でびくりと跳ねた。

 表紙を捲った最初の一ページは上半分が欠けていた。早矢は内ポケットから取り出したメモを卓上に置いた。切断面の一致は試すまでもなかった。

「……胎金界は実在します。こことは違うどこかに、命の営みがあり、星の運行がある。貴方が見るものは、夢ではない」

 そこに残された文章の続きを無感情に読み上げ、早矢は視線を清心に戻した。

「……つまりこれが言いたいことか? 確かにリアルな感触だったとは思うが、ありえないだろ。夢は夢だ」
「あなたが今朝見た景色は、どんな風でしたか?」

 清心は視線を机の上に落としたまま言った。その姿には有無を言わせない迫力があった。

「……あー、バカでかい森が、爆発でもあったみたいに薙ぎ倒されてたな」
「三ページ先を開いてください」

 清心に促されるまま早矢はページを捲った。一ページ先の見開きは完全な白紙、もう一ページ。そして早矢は目を剥いた。見開きの全面が、真っ黒く埋め尽くされていた。乱雑無意味にただ塗り潰されているわけではなく、形の良い文章が一段落ずつを執拗に使い切って綴られていた。早矢は動揺を堪えてその最初の一行に集中した。

「2018年3月28日。おそらくカナン国北方。狢の男性。はるか先の稜線まで埋め尽くす倒れた木々の前に立ち尽くしている。ボロボロの服を纏い荷物一つ持っていない。乾ききった空気に祈りの言葉を唱え終えると、かつての森に踏み入った」

 ノートから目を切り、早矢は顔を上げた。

「……同じ場所の夢を見たのか。空鳥さんも、いや、そっちが先に」
「おそらく同じ景色ですが、時間と視点は違います。それはひと月以上前の記録ですから、向こうでも同じだけ古い情報です」

 早矢は頭を掻いた。

「……胎金界は実在する、か」
「はい」

 早矢は手に余る貴重品を扱うようにそっとノートを閉じた。

「このノートは?」
「これまでの十年間に私が見たものの記録です。古い物も、家に残してあります」
「十年。全部その、胎金界とやらの夢か」
「はい。場所が変わることもあるので絶対とは言い切れませんが、おそらくは」
「それで、その一文を読んで俺も同じ夢を見るようになったってのか? なんだそれ、催眠術か」
「むしろ感染に近いと思います。どんな形でも、私を介して胎金界の情報に触れれば同じ目に遭う。それはもう、分かっていたことなので」
「病気みたいだな。それとも呪いのビデオか」
「……ごめんなさい」
「いや、また俺の言い方が悪かった。ああ、くそ、すまん……」

 早矢は天井を仰ぎ見、俯き、窓の外を見た。清心はその姿をじっと見つめていた。

「もし俺が誰かに話したら、同じことが起こるのかな?」
「分かりません。可能性はあるとしか」
「そうか。まあ、そうだよな」

 二人はそれきり押し黙った。 【Day 3 - B - 3に続く】



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