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ナイトバードに連理を Day 3 - A

(これまでのあらすじ)
犬吠早矢(いぬぼえ・はや):男子高校生。見知らぬ女子生徒から『胎金界は実在する』という意味不明のメッセージを受け取り、その夜、瀕死の状態で身柄を売り渡される夢を見る。翌日、学校で女子生徒を探すが、その姿を見つけることはできなかった。

(2485字)

 体が熱い。その実感が早矢を目覚めさせた。目を見開き、胸一杯に空気を吸い込み、そして早矢は自らの置かれた不条理を悟った。

 天井に見覚えがない。空気の臭いに、暑さに馴染みがない。起こすにも重く気怠い肉体と頭、横たわった覚えのない頑丈な寝台。昨日の続きだ。早矢は場所が違うにもかかわらずそう理解し、そう理解した自分に眉をひそめた。

 頭の先が壁であることを確かめ、もがきながら背中を押し付け上体を起こす。そうできる程度に体が軽いことはありがたかった。

 そこは居住環境を整えた洞窟、という趣の部屋だった。遮るもののない窓はふんだんに明かりと空気を取り込んでいる。寝台から床を覆う精巧な敷布を捲ると白い石の地肌が見えた。滑らかな石壁にはどこにも扉がないが、部屋の一角に垂れた飾り布が出入り口の帷らしく、微かに揺れていた。

 早矢は転がるように寝台を降りた。少しずつ慣れてきた身体でどうにか二足歩行を実現し、壁を伝いながら窓の外を見た。方角の問題か太陽は見当たない。空は写真でも見たことがないほど晴れ渡り、黒に近く見えるほど青かった。

「すげえ景色」

 早矢は痛む頭も肉体も忘れて呟いた。地平線ははるか遠くに曲線を描き、そこから真下の――50メートルは離れていそうな――地上まで、無数の倒木に覆われていた。

 早矢は目を疑い、凝らした。地上には確かに、途轍もない数の木々が重なり合い転がっている。そのどれもが葉も枝もを落とし、枯れ果て、そして同じ方向に、早矢から見て正面の地平線に向かって倒れていた。ここから爆風で薙ぎ払われたように、あるいはこの先の何かに引き寄せられたかのように。それはどこか、絶望的な光景だった。

 見下ろしているうちに息が苦しくなり、早矢はふらつきながら窓を離れて寝台に腰を下ろした。その瞬間を待ち構えていたように、早矢の視界の隅で帷がはためいた。

「お、起きてるね」

 早矢はその声に驚いて顔を向けたが、布の隙間に見えたのは走り去る影だけだった。それまで気づかなかったのが不思議なほど、帷の向こうからは近くに遠くに人の声が聞こえていた。早矢は途端に緊張し、試しに頬を張った。鈍い痛みが首に響いた。

「元気そうだぞ」
「馬鹿になった訳じゃないと良いのですが」

 再び聞こえた声に早矢が振り向くと、二人の男が帷を上げて部屋に入ろうとしていた。二人とも、早矢には二回りほど年かさに見えた。

 気障な帽子、暑苦しい髭と外套を纏う西部劇から出てきたような一人と、多少は小奇麗な眼鏡を掛けた一人。早矢は振る舞いようを決めかねたが、押し黙って待つ隙は与えられなかった。

「おい、良い朝だな。自分の名前は分かるか?」

 訊ねた"西部劇"の声に早矢は聞き覚えがあった。昨日の夢で早矢を雇った男だ。やはり夢が続いている。早矢は台本を与えられないまま舞台に立たされたような気分で乾いた口を開いた。

「……犬吠、早矢」
「また呼び辛い名だ。夜目(やめ)でいいな」

 "西部劇"の態度は全く傲慢だった。

「や、夜目?」
「夜の目、夜目。もちろん、お前がそう呼ばれることをお前は知らない。それでいい」

 "西部劇"は一人納得し、壁際の椅子に悠々と腰を下ろした。

「俺は茶賣(ちゃうり)、猩々らしくあだ名で勘弁してもらおう。俺がお前らを助け、雇った。こっちは甘(かん)。これから医者の真似事をする」
「よろしく、夜目殿。狢族は専門ではないが、本物の医者だから安心してほしい」

 ”西部劇”茶賣に紹介された”眼鏡”甘は早矢に歩み寄り、その前で屈み、正面から目を合わせた。早矢はまさしく診察される気分で固まった。

「どうだ?」
「……眼球はやはり本物に見えます。石術細工の義眼とでも言われれば分かりませんが」
「そうか。ま、とりあえずは出資者どもへの物証として生きていればいい。ご苦労だった」
「血液量の違いを調べて投与する門石と水の量を増やしただけですから、苦労というほどでは。伽を呼びますか」
「頼む」

 甘は出て行った。早矢は思考の定まらない頭を手で支え、俯いた。夢にしては強すぎる質感にひどく気疲れしていた。

「なんなんだ。この後どうなる」

 早矢が思わず声を漏らすと、茶賣は鼻を鳴らして笑った。

「自覚は無いだろうが、お前はもう役に立った。もちろんまだ働いてもらうが、明日からだ。今日は体を清めて、ゆっくり休んでくれ」

 茶賣に言われてようやく、早矢は自身がやはり着た覚えのない服装、質の良い麻のような乳白色の上下を纏っていることに気付いた。茶賣は部屋を出る前にもう一度振り返り、胸に手を当て仰々しく頭を下げた。

「ようこそ夜目殿、星の声を聞く者、預言者、鵺の使徒よ。素晴らしき胎金界を代表して、御身を歓迎しよう」

 茶賣は出て行った。早矢は大きくため息をついたが、吐き終えるより早く再び帷が開いた。

「休んでいいんじゃなかったのか」

 人の気配に早矢が顔を上げると、扉の前には見知らぬ少女が二人立っていた。

「今度は誰だ……。いや、んん?」

 少女たちを呆然と見上げている内に既視感を覚え、早矢は首を傾げた。茶賣、甘とは違い、自分と歳の近そうな彼女たちの顔に早矢は見覚えがあった。

 外見上の差異は、ほんの少し低い気がする背丈と明らかな肉付きの良さ、骨格の厚さと、髪の間に覗く角のような小さな突起だけ。席を占領していた同級生たちと同じ顔をした二人の少女は、一瞬、顔を見合わせ頷き合い、そして一歩二歩と早矢との距離を詰めてきた。早矢は寝台の上で後ずさった。

「茶賣様からお世話を仰せつかりました。汗をかかれていますから、お身体をお拭きします」

 その指摘は事実だったが、早矢の耳が正確に認識することはなかった。早矢の視線と全神経は、追いつめるように寝台に手を付いた少女たちの纏う白いローブの下、差し込む明かりが透かすその肉体の柔らかい影に吸い寄せられていた。早矢が唾を呑んでからはっと顔を上げると、少女たちは頬を赤らめ目を細め蠱惑的にはにかみながらすでに寝台に手足をついていた。

「綺麗な瞳……」
「……鵺のご加護をお恵みください」

 悪くない夢だ。そう考えた瞬間、早矢は分厚い本のような何かで頭を殴られた、気がした。 【Day 3 - B - 1に続く】



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