スマートフォンで切り取る感情
ここ5,6年で急激にスマホが普及して、誰もがスマホを携帯するようになった。
待ち合わせの仕方、暇つぶしの仕方、仕事の仕方、情報の仕入れ方、男女の出会い方、等々。
いろんなことが、スマホによって大きく変わってきている。
それは、SNSやゲームをはじめとする様々なアプリケーション、そして、それを支える通信やGPS、AR等のテクノロジーによるものだ。
そんな中でも、特にインパクトが大きいと思っているのが、カメラである。
カメラ機能は、スマホ以前の携帯、いわゆるガラケーにもあった。
しかし、その画質の良さや起動スピードは桁違いだと思う。
全ての人が、常に高画質のカメラを持ち歩いている。
特に若い女の子なんかは、いつ何が起きても、その瞬間を写真に収める準備が出来ている。
まるで、スパイのように。
例えば、伝え方が変わった。
言葉だけで伝えるしかなかったことを、写真や動画にして送ることができる。
説明するより、見せた方が早い。
例えば、記録の仕方が変わった。
書くか打ち込むしかなかった黒板やホワイトボードも、スマホで撮ればいい。
アップすれば、小さな文字も読める。
これらのせいで、最近の若者は、言葉で伝える能力が低下している、なんてくだらないことを言うつもりはない。
便利なツールは、上手く使っていくべきだ。
問題は、「思い出」だ。
旅行先で、友達と見た雄大な風景。 記念日に、恋人と眺めた夜景。
必ず誰かが、スマホを取り出してカメラを起動する。
誰かは、「後でそれ送っといて」と言う。
そして、後でその写真を見て呟く。
「なんか違うんだよな」
どれだけ画質が良くなっても、その瞬間の感情は切り取れない。
その高揚感は、その感動は、記録できない。
それでも僕らは、写真を撮る。
その感情を、少しでも思い出す手がかりとして、残しておきたくなる。
その時間は儚く終わると知っていて、どうにか時を止めようともがくけれど、無駄な抵抗だと知って、せめてカメラで欠片だけでも切り取ろうとする。
これは、スマホだけに限らず、カメラ全般に言えることではある。
だが、スマホの普及によって、日常のどんな些細な瞬間でも、写真に収められるようになった。
10年前に、飲食店で料理の写真を撮る人が、一体どれだけいたのだろうか。
今後、カメラの画質はもっともっと進化するだろう。
あたかも、その時のその場所に、実際に戻ったような感覚になれるVRも、近い将来実用化するらしい。
それでもきっと、「なんか違うんだよな」と呟くのだろう。
大切な思い出は、残したいけれど残せないから、大切なかもしれない。
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