「ルサンチマン」の正体
20代になってからというもの恋愛でうまくいかないことが格段に増えた。
増えたといっても、10代も順風満帆だったかといえばそうではないので自分の中で苦しむことが増えた。
というのも告白しても2日でフラれたり、付き合えそうだと思っていたら最後の最後でフラれたりした。付き合ってもすぐに別れてしまう。
かれこれ8年近くそんな時間が続いている。前にちゃんと付き合った人から数えて、病的に恋愛がうまくいかないことが20代のほとんどの時間続くとは露にも思わなかった。
人生とは本当に分からない。
世の中のことを恨む気はサラサラない……としたいところだが、こうも恋愛がうまくいかないと少々恨みつらみも積み重なる。いわゆる「ルサンチマン」というやつだ。
ルサンチマンの意味をしらべるとこんなふうに書かれている。
単純に強者にたいする恨みというよりは、"内攻的に屈折"している状態なので、内側で悶々としていることも当てはまるだろう。
自分自身25歳まで大学生をやっていたので周りから「仕事はどうするの」と思われていた。将来にたいしてどうしたいのか見えず、周りからは相当不安がられただろう。
周りは順当に社会人になり活躍していく中、自分の未来は何も決まっていない、まして一銭もお金が入らず親の脛を齧って生きている。手元にほとんどお金はなかった。
そんな自分が恋愛で誰かと結ばれるなど夢のまた夢であった。
時が止まったような毎日でも愚かなもので異性への好意や性欲はこんこんと湧き出てくる。異性への好意もあるし、できれば好きな人とセックスしたい。普通のAVのようなガシガシやるやつではなくて、女性向けAVのような好きな人を慈しむような甘い時間を過ごしたい……。セックスと直接的に表現するよりも「えっちいね」と相手と喋るような。
だからこそ、だれとも結ばれずにいる現実に地団駄を踏みたくなるが、それとて自分のせいである。
周りの順調にいってるひとたちに敵意を送れればシンプルだったのかもしれないが、そうもいかない。自己責任の矢印も自分へ向いてしまうわけで、誰にもこの念を吐き出せず怨念が自身の体内で滞留しつづけた。
25歳で大学を卒業したあとも、解決するかと思いきやモヤモヤはつづく。
周りは社会人4年目だが、自分は社会人1年目。給料も当然差がつき、周りがパッと出せるような額も自分にとっては大きい額。また、着ている服だって、周りは少々良い値段のするものを着ているのに、自分はユニクロや無印で売っている服しか買えない。
27歳のとき、久しぶりに会う友人たちと銀座で飲もうと誘われたとき、暮らしぶりがあまりに違い愕然としたことがある。
その本人たちが大手IT企業に勤めていたことも大きく影響していると思われるが、そのとき感じた羞恥心というか疎外感はいまでも忘れられない。
その中のひとり、ふたりはそんな生活環境やステータスを気にしないひとなのでその後も付き合いがつづいている。それが唯一の救いだが、それ以来、同年代の集まりに顔を出すのが少々怖くなった。
年収や仕事上のステータス、日々の業務、出張に行った回数、最近の趣味などなど、見える世界が違うので。
さらにいえば、マッチングアプリはその最たるもので、年収というスペックによって足切りされている感覚に苛まれる。
直接言われたことはないが、年収の低さ(いまは以前よりは状況が変わった)や貯蓄がないことによる将来性のなさを自分の話や振る舞いから見透かされているのではないか。
電話やお茶をしたとしても、次のないありさまに縁起でもない妄想がもくもくと生成される。
だれもそんなことは言っていない。だのに、「自分はどうせ……」と卑下してしまう。
自信を持てなんて周りはいうけれど、この状況でどうして自信を持てというのか。ひとり憤慨したことも数多ある。
そうすると悪循環で、自分の弱みを出すのが怖くなり、さらに人と仲良くなることから遠ざかる。次第に人付き合い自体が疲れて、怖くなり、人見知りが完成するという事態に陥る。
まともでいようと考えすぎて、結局なにも曝け出さずに終わってゆく。
前回のnoteで「モテ」にたいする疑念について書き綴った。その中で"男性の強さ"や男性性を求められることの苦しさにも言及したけれど、結局のところルサンチマンを抱える根源となっているのは、自分の中で強くあらねばならない、上であらねば選ばれないという思い込みが強化された結果なのかもしれない。
疑念をもっているのに、その感情を生成しているのは実のところ足元の自分の価値観、という矛盾に陥っている。
年収が高くないから選ばれないんだろう、コミュニケーション能力が低いから選ばれないんだろう、強そうに見えないから、将来性のない人間だから、ビジョンがないから……。
どんどん卑屈になってゆく。
相手のことを知るよりも、相手からの視線を気にして、自分で勝手に負のスパイラルに陥っていく。
自分の認識が100%間違いではないだろうし、比較すれば上がたくさんいることは確かだ。しかし、ステータスに絡め取られているのは何より自分なのだという現実を見つめなければならない。
恋愛がうまくいかない事実にたいして、ステータスの問題にしてしまうのはなんとも短絡的であり、安直だ。
比較が可視化される世の中でルサンチマンを持たずに生きるのはむずかしいとは思うものの、もう比較することが意味をもたないと自分に言い聞かせている。
その悶々とした思いは、たとえ傷ついたとしても外へ昇華していくことでしか解決され得ないから。
最近またマッチングアプリに登録して1ヶ月半が過ぎた。大きな成果はまだ出ていない。会話がつづかず、ブロックされることもある。
いまは2つ歳上の女性と会話をつづけている。趣味が合って、その人のことを知れたらと思っている。
長年屈折しつづけてきたこの想いをそろそろ素直に外へ出せるように変化していきたい。
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