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「おもしろい女でいたいのに…」詩人・茨木のり子氏の献立帖に夢中



引っ越す前に3度ほどホーチミンに足を運んだけれど、直前の渡越で、先にすこしの料理本と書籍を運んでいた。

料理は、飽き性なわたしが小さい頃から続いている唯一の趣味であり、というか、これに関しては息をするように当たり前にできることで、そんなふうにずっとしていたいことでもある。

“特別うまく作れちゃう” わけでもないが、いちおう3年間飲食店を経営して料理を提供していたり、その以前にはケータリングでパーティー料理やお弁当を作ったりしていた。それなりにおいしいごはんを作ることはできる。

でも、この先きっと仕事で料理をすることはないんじゃないかなと、思う。

スーパーに出向いて、そのとき惹かれた食材やお買い得品を買い、冷蔵庫を比較的いつも充実させておいて、その日の気分であるものを作る。そんな自炊という行為が大好きだから。

気負いたくない、焦りたくない、追われたくない。純粋に楽しんでいたい、そう思う。

料理家の有元葉子さんの著書に「レシピを見ないで作れるようになりましょう。」があるが、この感覚もすごく好き。

(店をしているとき、有元さんのご家族が評判を聞いてくれて(?)食べに来てくださり、話をしたときは嬉しかったな〜)

レシピを見て食材を揃えて、分量をはかって作る楽しさもあるけれど、毎日の営みのことだからなによりも気楽にやりたいのがわたしの心持ち。

生きる力ともとれる料理という行為が、気軽に、楽しく、ストレスなく感覚でやれるということは、いいことだと思う。

(もちろん、苦手だ嫌いだという人は、それでいいと思う)

今日のお昼ごはん。冷しゃぶ、海苔と小えびの中華たまご、お土産でいただいた青森の帆立みそしる、玄米


毎日料理をする身となった今、ネタが切れたときやヒントが欲しいとき、持ってきた料理本をめくるのだけれど、昨日あらためて熟読していた本がある。

「茨木のり子の献立帖」(平凡社)

詩人の茨木のり子さん。

「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」

という言葉を聞いたことがある人はいるかもしれない。

彼女のレシピ(料理本をスクラップしたものや、それに手書きでメモを加えたものなど、実際の生活感あふれるレイアウトや見せ方がとても素敵)に加えて、甥である宮崎さんのコラム、彼女の当時の日記、が載っていて、読んでいるだけで昭和24年〜49年ごろの家庭の暮らしぶりや日本の様子が伺える。

日々の食生活はもちろん、家族や人付き合い、医者である旦那さんのこと、サラリー(給料や家計)、書いている詩やそれに向き合う己のこと、出版社やクライアントとのやりとりなどなど。

誰に見せるでもない、自分のための日記なんだろうな。そんな気がする。飾りのないありのままの言葉に、彼女の日々や心のうちを覗かせてもらっているようで、とてもおもしろかった。

ある日の日記の終わりに、こんな一文がある。

“いつまでも水々しく精彩あって、おもしろい女でいたいのに……私の頭をしめているものはだんだん現実的になってしまって、口やかましくなって世話をやきたがって、ツマンナイヤツになってゆくような気配、アヤウシ”

同書籍より

すこし調べてみると、彼女の10代後半のころは太平洋戦争の最中で、まさに戦時下を生きている。

学校の勉強なんかより軍事ごとが優先されるなか、海軍の薬品工場で働いていたんだとか(工場が爆撃を受けて友人がなくなったこともあるそう)

大事な時期を戦争に奪われてしまっている。

その後、どんなきっかけで詩を書くようになったかは存じあげないが、ご結婚されてからは旦那さんとの生活のなかで料理をし、詩を書き、家庭と仕事とに向き合われていた。

“つまんないやつになっていく” という感覚は、家父長制が強い時代、つまり女性が料理や洗濯をして家庭をまもることが当たり前の時代にもあったんだな。らしく生きることや、自分を表現することに貪欲な(?)のり子さんだからか。

その感覚は、わたしが今、専業主婦のような生活をするようになって感じていることと同義なのか、はたまたすこし違うのか。

なんにせよ真相はわからんが、わたしは想像するものが多々あり、とても楽しく読ませてもらいました。

日記のなかでも度々出版社とのやりとりが出てきたり、初報酬の喜びを綴ってあったり。凛とした様で紡ぐ言葉がとても生々しい。魅力的で、格好がいい。

時代は違えど、自らの手に職がある(持とうとする)女性というだけで、尊敬のまなざしを持ってしまう。ね。

こちらおすすめです、ぜひ。

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