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日本から戻って感じるベトナムの生命力


ただいまホーチミン! 

一時帰国から3日経ちました。ぼちぼち日記書くモードに戻りたいなあと、夕方近所のカフェに行って note をひらきました。

まず、前回の入籍の記事にいいねをくださった方、どうもありがとうございます。友人でない人にも読んでもらえる機会が多い note はやっぱりすばらしいプラットフォーム! 気軽に発信しやすいこのかたちを利用させてもらって、ゆるい公開日記を習慣づけたいものです。

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関西中を移動してお互いの家族に会うツアー。そして入籍。

大きなライフイベントを終えてホッとし、和食のおいしさに浸り、泊まりたかったホテルにも泊まり、念願の滝散歩デート(自然のなかでデートしたかった)をし。

乾物を中心に日本食材を買い込んでスーツケースに詰めて帰ってきた。関西が誇るローカルスーパー・イカリ、最高! 寿司最高! 松茸の土瓶蒸し、最高!

滝にむかう道中の神社
どこの滝かわかる人がいたらすごい!



日本の静かさと安心安全な環境はやっぱりすごい。

住宅街でもおかまいなく車やバイクが走り抜け、クラクションを鳴らしまくり、マンションの高層階なのにときどき路上カラオケの音が聞こえてくる。そんな国に住んでしまったのでもう「静かな環境が好き〜」なんて言ってられない気持ちだけど、やっぱり静かなのは最高だった。

慣れはしたけど、道ででっかいクラクションを鳴らされるとたまに舌打ちしたくなる。というか、ひとりのときはたまにする。(パートナーは理不尽にむかついて車を追っかけて怒ったことあるって言ってた。おもろいけど今後はやめてほしい)

それに比べて、日本は穏やか。

電車内ではみんなマスク顔でスマホ見てるけど。

あこがれのホテルのスタッフはロボットのようで味気も覇気もなかったけど。

どこも似たようなお店で溢れていたけれど。

バズりたい、売りたい、儲けたい。いや、バズらなきゃ、売らなきゃ、儲けなきゃ、と生み出された意思のない商品。そこで働く意思のない人々。どう生きればいいかわからない、正解を求め、人と比べてしまう人たち。自分で書いていて耳が痛い、いや目が痛い。他人事ではない。

こんなに豊かな国なのにもったいない。本当に豊かなのか。

よくできた綺麗な社会。知らないうちに消費させられてる消耗社会、搾取社会。

豊かに見えても、ベンタイン市場でテキトーな物をテキトーに売りながら店頭でごはん食べてる人たちのような気楽さや図太さがないよな。なんて考えたのであった。

鴨川なんてひさしぶり @京都
川のきれいさったら。すばらしや



でも、日本には日本の問題が、ベトナムにはベトナムの問題がある。国にも個人にも。マクロもミクロもおなじ。いいや、実は何も問題ないのかもしれない(なぞ)

結局どこに住むかではなく、政治や社会のせいにするでもなく(知ったり声をあげたりすることは必要だけど)、自分がどう在るか、80年くらいをどうやって過ごしたいかで、何を選択して生きるかだよな〜(そんなことを日本滞在中に考えていたわけではないが、ぼんやり空気として感じ、帰ってきたいま、ぼんやりと書き綴っている)

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そんなこんなで、走り抜けるような6日間を終え、最高に幸せな気持ちと程よい(いやかなりの)疲れを連れてベトナムに戻ってきた。タンソンニャット空港に着いて外に出たとたん、ああ帰ってきたと、しっかりホッとしている自分がいた。

grab で混沌とした道路を抜け、家のとびらを開けたときの安堵感。帰ってすぐにデリバリーで頼んだフォーを食べたときの安心感。

住めば都とはうまく言ったものよ。

帰宅してすぐフォー!


暮らし始めて2ヶ月半。

環境変化耐性が強いわたしでも、さすがにからだにいろんなストレスは感じていたし、いまもまだゆっくり慣れていっているところ。でも、元々海外に出たかったし、実際に出たいま、日本じゃなくベトナムで暮らしていきたいと強く思っている。

そう感じられているのはきっと、先に3年強ベトナムで暮らしてきたパートナーが日々気遣って、守って、ケアしてくれて、楽しくしてくれているから。

本当、いい相棒に恵まれたなあ。

入籍から数日後に取りにいった戸籍に書かれた「夫」「妻」という表記には、ふたりしてテンションが上がった。

これからはカップルでなく夫婦として、しばらくはホーチミンで、仲良く暮らしていこうと思う^^

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