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色相環の補色のあなた。

カレー沢薫先生のマンガに「KAWAIIはおじさんによって作られる」と書かれていて「確かに!」と思った記憶がある。
(何のマンガだったか忘れてしまったので、調べて分かったら追記します)

今を煌めくアイドルたちが歌う、甘酸っぱい恋の歌の歌詞はほとんどと言っていいほどおじさんが考えている。

「アイウォンチュー・・・と来たら次は・・・アイニージュー・・・か?」とつぶやきながら考えたのかも知れない。

「チョコレイトルンバ・・・いや、マンボ?いやいや・・・ここはディスコにしよう!」と思いついたのかも知れない。

アイドルの対極にあるおじさんによって作られる「かわいい」。

なぜ私たちはそれらを「かわいい」と感じるのだろうか。

胸キュンするのだろうか。

共感するのだろうか。

その答えは「『かわいい』や『アイドル』の対極におじさんがいるから」に他ならない。

最も遠い存在は裏を返せば最も近い。

対極からは対極がしっかりハッキリクッキリ見えるのだ。

しかも冷静かつ細かく観察できる。

私は高校生の時、クラスカーストの底辺にいたのだが、キラキラと輝く頂点に君臨するクラスメイトたちのことはよく分かっていたつもりだ。

「ああ、こういう時にこう言うとほんと可愛いな」

「可愛い顔してこんなドジっ子な間違いしたら萌え死にするしかないな」

「ああ、男の子とはこんな距離感で話すんだ。パーソナルスペース狭いな。天性かな。」

冷静に観察していた。

対極とは、冷静に観察できる距離と位置にいる存在なのだ。

冷静にじっくりと観察できるから、彼女たちの好きなものや、曲、化粧の仕方、制服の着こなし方までよく分かった。

対極だから真似ることはできないし、あちら側に行こうとすることもしなかったが、理解だけは深くできていたように思う。

逆に、彼女たちは対極にいる私を観察していたのだろうか。

全く気にしていなかったのかも知れない。

答え合わせをしてみたいような不思議な気分だ。

対極は、ある意味、対極の一番の理解者だ。

無自覚な部分までよく理解しているタイプの理解者と言っていいだろう。

自分の気づいていない気持ちや、自分の理解していない心の隙間を表舞台に引っ張り出せてしまう対極の言葉に、表現に、行動に、思考にドキッとするのではなかろうか。

色相環の補色(反対色)同士はお互いの良さがきっとよく見えている。
お互いのことをよく分かっている。

黄色から見た青紫は素敵な色なんだと思う。
青紫から見た黄色もきっとそう。

私が自分によく似た人よりも、自分に無いものを持っている人に惹かれるのは、このせいか。

いつかどこかの誰かと色相環の補色のような夫婦になりたい。

自分の補色の位置には誰がいるかはまだ分からない。

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