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目標がなくてもそれなりの人生

何かになりたかったわけでもなく、成し遂げたかったこともなく、ただその時にできることを丁寧にやってきて、気づいたら人生半分、という人生の振り返り。

先日、中学の同級生からお試しで「コーチング」なるものを受けた。「あなたがこれからやりたいこと、目標としていることをかなえるために、一緒に考えましょう」というコーチング。そこで問題になったのは、私には目標がない、ということ。これから何がしたいか、何をやりたいか、考えたことがなかった。じゃあ今までは? 

高校受験は、自分の成績ではいれるところ、いわば落ちないところを受けて合格。その先の進学とか部活とか友だちとか、あまり考えなかった。通える範囲だったし、進学校だったから、大学に行ければいいな、と。

大学受験は先生が「あなたは推薦でいきなさい」といったので、指定校推薦で合格した。がっつり文系の私には数字を使わない学部がいいとおもっていたので、その大学と学部はちょうどよかった。しいていえば入学後の語学の勉強がかなりハードだった。

就職はバブル期で幸い選べる時代だった。出版や広告がいいなあと思いながら、いくつめかの中堅の会社で、なんだかとても気に入られて内定をいただき、そのまま就職した。

広告・販促の企画という仕事はそれなりに面白かった。クライアント次第の仕事だったからいろいろな業界を知ることができた。デザイナーやイラストレーターに怒られ、印刷会社の担当さんに厳しく指導されながら、上昇志向はなかったが10年ちょっと勤めると、それなりの経験になった。クライアントのおかげで海外出張も何度か経験した。

結婚しても仕事はできたが、さすがに出産となると、あの時代は両立が難しく、まあひととおり仕事もしたし、ということで退社し、そこから子育ての日々。子育てがひと段落したころから、夫の仕事を手伝い始めた。最初は手伝いだったが、今は企画担当として担当業務をこなす。なんと流されるままの人生か。

目標も、なりたい自分も、上昇志向もなかったが、ただひとつ、丁寧に仕事をするようにしていた。どんな相手であってもいただいた仕事は丁寧に、連絡はまめに、相手の期待以上をめざして、ということを心がけていたら、それなりに継続してお仕事をいただけた。ただ自分にできることだけを長く続ける、それもひとつの成功かもしれない、と最近になって思う。

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