うにぶどうお笑い年表〜今更の初めまして〜

はじめに

今までこのnote、一部例外はあれ基本賞レースの感想を中心に書いてきた。
そんな賞レース関連だけではなく、エッセイを書きたいなとずっと思いながら今まで取りかかれていなかった。
「よし今年こそはエッセイを書こう!いや、でもまずはエッセイの前に人となりを何となく知ってもらわなくちゃいけないな」
それが本稿である。
人となりを知ってもらうために、時系列でまとめるべく年表形式で半生を紹介していく。
※自己満足の素人の垂れ流しなので、自我出すな!読みづらい!って方はごめんなさい。

うにぶどうお笑い年表

小学生時代

生まれからずっと東京。
めちゃイケやはねとび、エンタの神様など2000年代のお笑いブームの全盛期を過ごす。
何がしかのバラエティ番組がずっとテレビで流れていた。
ワンナイとかはギリ見てなく、笑金も意味がわかるやつとわかんないやつが混在してほぼ記憶にない。M-1も多分観てたがほとんど理解できていなかった。

小5の林間学校と小6の卒業式後の謝恩会の2回、友達とコンビを組んで漫才とかもしてた。小学生らしく桃太郎とドラえもんの漫才を自分で作ってボケでやってた記憶。

基本は少年野球と中学受験の勉強、あとは友達とスマブラしたりポケモンしたりで6年間が終わる。

中学時代

中学受験するも落ちて滑り止めの中高一貫の男子校に入学。現在まで続く地味で陰キャな人格が形成され始める。
お笑いは変わらず何となくレッドカーペットなどのバラエティやネタ番組を見る程度。
M-1グランプリの漫才の理解がやっとでき始め、2008年のオードリーに衝撃を受ける。

4歳上の姉が高2になり、麒麟の単独DVDを友達から借りたり、ガラケーでM-1の準々決勝の結果を追ったりと結構オタクしていく。(ここまでだったことは去年初めて知った。)
姉がせっせとVHSに予約しているあらびき団をよく見させてもらい笑っていた。
(姉の1番のお気に入りはやりすぎコージーだったが、当時の私にはまだ難しかった)

大阪への家族旅行でNGKに行き、新喜劇でしげぞうを見て衝撃を受ける。

高校時代

AKBの全盛期が到来。柏木由紀のファンになる。箱推しにもなりAKBのオールナイトニッポンを聴きながら受験勉強をしていた。
受験後の春休みから曜日間コラボで出てきたオードリーのオールナイトニッポンも聴き始める。
バラエティはゴッドタンを見始めたぐらいで後はしゃべくりとアメトークとか。

中高一貫なので高校に進学したとて高校デビューとかもなく、スクールカーストにも特に変化はなかった。
所属していた軟式テニス部の地味な同期達の中では大回しして、クラスの1軍からいじられるまさに1.5軍な生活を送る。
オタクも1軍も隔たりはそこまでなく、男子校特有のひねくれ感は持ちながら、クラス全体でアメトークを収録している感覚で非常に楽しく過ごす。

大学時代

オードリーのオールナイトニッポンからお笑いのラジオにハマり、アルピーオールナイトや有吉のサンドリなどを聴き始める。
ニューヨークのオールナイトニッポン0が始まり、自分と同じような1.5軍感と毒を吐くニューヨークにハマる。
現場でのお笑い鑑賞はオードリーのネタライブとアルピーのラジオイベントに行ったぐらい。

基本は部活動に打ち込んでおり、他大学含め友達も沢山できるも、中高時代の流れそのまま陰気な性格で(今もだが)男友達とばっかり過ごしていた。
マイナースポーツの部活だったが、一年生の頃、部の慣例により新歓旅行で(競技は一切関係ないが)漫才をさせられる。
入部当初自分にいじりしろがない中、辛うじて先輩につけてもらっていた「虫取り少年」というあだ名を元に虫取り少年のキャラをベースに新喜劇のボケツッコミを織り交ぜるパクリ漫才で大ウケする。
なおその日の1ウケはハーフの同期が関根勤さながら「ペリーのモノマネします!開国シナサイ!」と言った瞬間だった。

社会人

まだそこまでお笑いにのめり込んではおらず、年に数回お笑いの現場に行く程度。
尖ったネタをやり続けるニューヨークが好きな一方、売れないニューヨークに対し、今後コンプラも厳しくなってくるしもっとポップなネタとかもやって売れて欲しいと、全然追ってもない癖に勝手にやきもきする。
2018年4月の「ありがとう」で初めてニューヨークの単独を見てやっぱりニューヨークは面白いなと再確認するも、そこで一番ウケたネタ「伊藤」がその年のKOCで二回戦敗退し愕然とする。

2019年に始まった ニューヨークのYouTubeも、YouTuberっぽい企画を見たくなくてほとんど見てなかった。
ニューラジオはたまに聴いていた。(2019の9月ぐらいから毎週聴いている)
ニューヨークがM-1決勝行ってようやくニューヨークにのめり込みだす。
その後2年は姉や友達とお笑いの話をしたり、年に数回ライブに行ったりM-1準決勝や決勝を友達と一緒に酒飲みながら観たりして過ごしていた。

2022年1月 仕事が落ち着いてきたのと、友達や姉に話すだけでは熱が収まりきらなくなってきて、お笑い用のTwitterを始める。

2022年4月 1年間のみだが海外に転勤開始。異国の地で言葉の壁に苦しめられ、誰からも褒められず、うにぶどうとしてのTwitter生活でのみ承認欲求を満たし存在意義を見出す。
そんな中で見つけた、自分と同年代で陰キャラである益村康平をどうしても他人と思えず、自分と照らし合わせながら沼のようにハマる。

終わりに

ニューヨークが好きで男子校出身の陰キャラ20代後半男が一丁前に半生を振り返ってみた。

たまたまニューヨークをちょっと長めに知ってはいるが、2020年あたりまでは基本はテレビでしかお笑いを追っておらず、それまでのライブシーンのことは何一つ知らないにわかなんですという点

今後書くエッセイから強烈に漂うであろう陰キャ臭をあらかじめ理解しててねという点

この二点を先に書いて自己防衛しておこうという意味合いで本稿作成しました。

お読みいただきありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

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