エッセイ③変えたい性格
自分としての自我を持って生きてきて二十数年が経った。
幾度かの波はあれど、基本の性格は中2〜3、最終的には大学生ぐらいからずっと中身は変わっていない。
いつか何かきっかけがあったり、社会人になったら性格が変わる、変えられる。そう思い込んでいた。
昨年から大変ありがたいことに台湾で働かせてもらっている。この国で新しい自分になるんだ、そう思っていた。
でもこの性格のまま何十年も生きてきたから、多少のカルチャーショックはあれど根の根は変わらない、そう気づき悲しい気持ちになった。
自己肯定感は高くないけど自分が嫌いなわけではない。
ただ変えたいとはずっと思っている自分の性格のいくつかをせっかくなので明かしたい。
共感してくれるなら嬉しいし、共感できないならこんな奴いるんだなと思って欲しい。
(そういえば自己肯定感って言葉も嫌いだな、後から広まった言葉の癖にこれに囚われさせられている)
保守的
「自由にやっていいよ」この言葉が一番嫌いだ。
思えば小さい頃、母親に公園に連れられた時に「ほら遊んできなさい」と放り出されても、母親の足をぎゅっと抱いているような子供だった。
買い物など外に連れ出されても、家族旅行に車で連れていかれても安心できる場所が家しかないと思っていたので、それ以外の場所では「帰りたい」としか言わない子供だった。
子供特有の無知ゆえの怖いもの知らずによる失敗とかもなく、とにかく何事にもビビりまくっていた。
ビビり過ぎて少年野球の六年間でただの一度もスライディングをしたことがなかった。
食べたことのない食べ物も絶対に食べないし、面倒な子供だったと思う。
この謎の保守的な考えは何なんだろうと本当に考えてしまう。
仕事で「自由にやっていい」と言われて、普通なら自分の裁量でやれるなんて素晴らしいことなのに困っている自分がいるし、
せっかく台湾にいるんだから毎日違う台湾料理食べようって思いながら出国したのに気づいたら1500円するやよい軒にずっと通っている。
生き方の軸も保守的なものに則っているので敷かれたレールにずっと乗っている。
今書きながら思ったが、これ春日とあばれる君と同じだな、あんなに言われたことだけやるつもりも日本教育の最高傑作のつもりもないけど。
とにかく、特段そこまでのことはされたことないのに、失敗や失敗して怒られるのが嫌いなのだ。
父親にゴルフの打ちっ放しに連れられても、握り方やスイングなど形から入らないとやりたがらなかった。とりあえずやればいいのにね。
初めて何かするときとかにどうすればいいのってビビって何もできないことが未だにめちゃくちゃ多い。
争いごとが嫌い
これもまたずっとそう。さっきの幼少期の公園で言えば、行列の滑り台でひたすら順番を譲って一番最後にゆっく~り滑るような子供だった。
「俺が俺が」とかがないから譲るし、急かされて無理やり滑るのも怖いからだ。
姉や友達ともほとんど喧嘩とかしたことなかったし、親が口喧嘩しても自分の意見も出さずに仲裁ばかりしていた。
高校生ぐらいからはこうした極端な平和主義はなくなり、むしろ自分の意見をしっかり持って主張することを大事にし始めたけど、代わりに努力した結果うまくいかなくて傷つくことを極端に恐れ始めるようになった。
受験勉強もそうだし大学時代の部活でも就職活動でもそう。それなりに打ち込んでそれなりの結果をずっと手にしているけど、もっと努力すればもっと良い結果を得られたかもしれないし、最悪失敗しても全然よかったのになと思う。
ずっと自分には無理とか、やって失敗したらどうしようとか、厳しい状況に身を置きたくないと思って逃げ続けている。
たぶん上記の通りに失敗が嫌いだからだ。完璧主義でもないのに。
自意識過剰
これも昔から自分の嫌いなところだ。
誰々が誰々のこと好きらしいとか、誰々がう〇こ漏らしたらしいとか、小学校の時から人はみなゴシップが好きだ。
自分も当然ゴシップが気になって仕方ないのだが、後から友達に「なになに?」「何の話?」と聞けない。
聞いたときにうざがられてしまうかもしれないと思って絶対に聞けないのだ。というか自分も人に後から聞かれたらうざいと思うからなんだよな。こういうのを横柄に聞ける人がうらやましいなと思う。
で、これは中高大、社会人になってからもずっとそう、なので基本情弱だ。
しかもごく稀に情報が入ってきたら嬉しくなってつい言いふらしてしまい、それがバレて信用もなくす、最悪なタイプの情弱なのである。
情弱以外にも変えたい自意識過剰な一面があって、それは「自分なんかが」というところだ。
飲みや食事や遊びなど「理由なく人を誘うこと」ができない。
これは何なんだろう、オードリーのラジオとかで出来事に対しては必ずエピソードトークがあるという概念を知ったからなのかなあ、とりあえずなんかトピックや集まる目的もなくただ飲みに誘うのができないんだよな。
で、そのせいで中々普段自分から誘わないから急に誘うと「わざわざ誘ってきて何の用だ」と思われる(という自意識過剰になる)のだ。
飲みの席でも特に大人数の時は「自分なんかの話を」と思ってしまうので自分から話すことが得意ではない。メンバーによっては少人数の時でもだ。
マイペースな人付き合い
この上の話に繋がるが、人付き合いがマイペースだなと我ながらよく思う。
なんというかこの、深入りしすぎないというか、自分優先というか。
一人でいることにそこまで苦を感じないのと、懐に入りすぎない感じがあり、周りからもそう思われているので普段なかなか人に誘われない。
誘われて断ることはほとんどないのに。
で、さっきの自意識過剰もあるから目的やトピックなしで人を誘うこともないので、さっさと一人で帰ることが多い。現代っ子らしい合理主義なんて言えばそれっぽいが、損な一面であることには違いない。
自意識過剰による「自分なんかが聞いてもいいのか」「自分がこの場を回していいのか」に加えてそもそも人に興味を持たないことがあるのもあって、飲みの席でも自分から人に質問が出来なかったりもする。盛り上げるタイプでもないのでテーブルが定まってない大人数の飲み会では中盤以降気づいたら孤立している。
他のテーブルに後から加わって「なになに」と聞けない自意識過剰さもあってさらに孤立することもあるので、大人数の飲み会は苦手だ。
他人に興味がないと言ったものの、あちこちオードリーやニューヨークの30分トークに変に影響を受けて少人数の場で真面目インタビューしすぎて盛り上がらないことも多い。
ミーハーなのにあまのじゃく、純粋
これもずっとそうで、漫画、アニメ、ドラマ、ゲーム、ネット、SNS、だいたいそうだ。
私の世代はドラマだと「野ブタをプロデュース」「プロポーズ大作戦」「花より男子」、漫画だとナルトやBLEACHとかが小中高で流行っていたが、特に理由もなく何となく見ていなかった。
今もドラマや漫画なんかは後から流行っていることがわかると慌ててネタバレサイトとかで見たりとかして、なんとな~くストーリーを掴んだりしている。
流行り始めに後乗りするのがダサいと思ってしまうのと、それが本格的な流行をしたときに後から「なになに?」と聞けない自意識過剰、でも乗り遅れたくないというミーハー意識が合わさっている、非常に厄介なものだ。
もう一つ流行りに乗れない理由もあって、それは純粋さだ。
ゲームのモンスターハンターやメタルギアソリッド、ネットならFlashやニコニコ動画、ドラマは「ROOKIES」などが流行っていたが、なんかこう、グロいのとか怖いのとか暴力とかが全般苦手でずーっとポケモンやスマブラとかの任天堂ゲームやパワプロとかウイイレばっかりやっていた。
mixiなんかも95%ぐらいがやっていたが「ネット=怖いもの」という漠然とした純粋な意識もあってほぼ自分だけがやっていなかった。
とにかくこれによる弊害は大きくて、まずその時のリアルタイムで話題についていけないこと、そして大人になった今、会社の同僚や大学の友達との飲みやドライブで行われる同世代懐かしトークやカラオケでの同世代な選曲に全くついていけないことだ。
純粋なタイプなので音楽も嵐とAKBとEXILEしか聞いてなく、少し大人びた中学当時の皆が聞いていたRADWIMPSとか全然聞いておらず、カラオケで皆が歌いだしてマイクをほいと渡されて歌えず白けさせてしまうことが多々ある。
放送作家の飯塚さんが何かで言っていたが、子供ができたらとにかくその時の流行りに全力で乗れと教育したい。そのためにはゲームも買い与えるしYouTubeも見せたいと思う。そしてもし子供が中学で薄っぺらい歌詞のバンドに陶酔しても何も言わずになんであんな感じに育ったんだとか何であんなのが流行ってるんだと愚痴を言い合える人と結婚したい。
自分は何でこんなに流行りに全力で乗らなかったんだろう。どうせ乗らないなら誰も知らない分野にめちゃくちゃ詳しくありたかった。ポケモンとパワプロとウイイレに何千時間もかけてしまったのもったいなすぎる。
まとめ
だいたいこんなところだろうか。
あとはものごとに対して嫌なところから考えてしまうネガティブさとか、失敗が嫌いな癖に楽観的で面倒くさがりで確認が嫌いなところとか、そもそもな陰キャ気質、こういう分析好きなオタク気質とか、まだまだあるからいつか直したいけど多分無理なんだろうな。
結婚して子供できたら変わるのかな、まあ変わらないと思ってた方が気も楽なんだろうな。
皆さんも変えたい性格とか、きっかけがあって変わった性格などがあったら教えてください。
お読みいただきありがとうございました。
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