見出し画像

「市場価値」と「ケーキ屋さん」の間で

ケーキ屋に憧れる会社員

はじめて抱いた将来の夢はおそらく、幼稚園の卒業アルバムに書いてある「ケーキ屋さん」。

あれから二十数年。

社会人4年目を迎えた現在の仕事は、ベンチャー企業のマーケティングだ。新卒で入った会社を1年足らずで退職して流れ着いたこの会社も、まもなく4年目に突入する。今すぐ転職したいわけではないけど、これからの仕事人生どうしようか?

そんな風に考え事をはじめるとき、いつもぶつかる壁がある。「市場価値」という大正義だ。

会社から求められる成果を達成して、市場価値を上げたい!
仕事に熱中していたら、こんなに市場価値が上がっていたよ!

図らずも仕事熱心なベンチャー戦士たちに囲まれている今、周りを見渡せばそんなことを考えている人ばかりだと感じる。

でも世の中には、市場価値を追い求める「こっち側」とは距離を置いた世界が広がっていることもぼんやりと認識していて、「あっち側」の仕事への淡い想いがなくならない。

あの会社が伸びているらしいよとか、あいつが転職して偉くなったらしいよなどと同期から噂を聞くたびに、

いやいや市場価値ってそんないえらいのかよ!
私の心は今もケーキ屋にあり!


と叫びたくなるのだ。

もちろん今から本当にケーキ屋になりたいわけではない。「世間一般の評価に囚われることなく、自分の好きを表現できるような手触り感のある仕事選んだ(ように見える)人」が羨ましいのだ。この曖昧極まりない気持ちを消化しないことには、いい転職なんてできないように思える。

たとえばテレビの特集で「脱サラでパン屋になりました」「一念発起してアパレルブランドを立ち上げました」「フリーで物書きをしています」といった人が登場すると、ああ、あっち側の人はいいなあという気持ちが湧いてくる。

それならパン屋になればいいじゃないと言われると、別にパン屋になりたいわけではないと反論したくなるし、結局は明確にやりたい仕事があるわけではないのだけど。

しかし、今の仕事と同じ年収・同じリスクを維持したままあっち側の仕事ができるとしたら?と再び質問されたなら。えっ・・それならベンチャーのマーケティングなんて今すぐやめます、と言ってしまうかもしれない。

自分のこの「えっ・・」という気持ちを整理して、願わくはあっち側とかこっち側とか区別しなくてすむようなキャリアを選んでいきたい。

ちなみに、「あっち側」と呼んでいる仕事の解像度はめちゃくちゃ低い。ビジネス色が薄く・好きなことを仕事にしていて・個人のセンスが発揮される仕事、くらいのイメージだ。

実際にはしっかりビジネスとして成り立っている仕事なわけだから、偏見であることは間違いない。

もうすこし具体的に言語化しようと試みてみても、雇用形態と職種に対する勝手なイメージの話にしかならない。

①雇用形態 = 個人事業主 に対するイメージ
・苦労が多そう(仕事をもらうハードルが高い・収入が安定しない・責任はすべて自分にある)
・それでも心は自由そう(事業の方向を自分の意思で決められる・組織に依存しない)

②職種 = 飲食、ファッション、アートやカルチャー全般 に対するイメージ
・自己表現できる仕事
・日常生活に身近で、誰かの心を豊かにする仕事
・個性が強く、おしゃれな人がやる仕事
・大体は労働集約的な仕事

改めて文字に起こすとまるで学生の感想のようで情けないが、どちらも自分が経験したことのない働き方であるがゆえに、その表面的なイメージがいつまでも払拭されない。

幼稚園のころの「ケーキは美味しいし、見ているとかわいくて幸せな気持ちになるし、シルバニアファミリーでも遊んだし、自分の好きなケーキを作れるからケーキ屋さんになりたい」という気持ちをいまだに引きずっているようなものだ。

これは言い訳だけど、自分が属してきたコミュニティの中では、大学受験を頑張って、卒業後はいい会社に正社員として入って、サラリーマンとして評価される・・というシナリオが至極当たり前のものとして浸透していて、いきなりケーキ屋さんになる人なんて周りにいなかったのだ。

ところが今になって、面白そうな選択をしてきた多くの人たちがいることを目の当たりにして、自分が律儀にたどってきたシナリオがとてもつまらないものに思えてきた、ということかもしれない。

もしそうであるとしても、市場価値に振り回されている「こっち側」への嫌悪感と、目の前のお客さんにケーキを売っている「あっち側」への憧れ、という偏見に満ちた二元論を壊さないことには、納得して今後の仕事人生を考えることなどできない。

今回はその第一歩として、2つの観点から頭の整理をしてみたい。

「自分にとって、仕事とは何か」
「市場にとって、自分とは何者か」

転職エージェントには聞けないこと

勢いに任せた書き出しになってしまったが、いざ現実的に「働く」を考えるとなると、仕事探しのプロである転職エージェントやキャリアコンサルタントが思い浮かぶ。

彼らの仕事がなくならないのは、それだけ転職やキャリアを取り巻く環境が複雑で、仕事を選んだり働き方を変えたりすることが難しいからだろう。

ただ、プロに頼ればいい部分と、自分で解決しないといけない部分がある。

プロは「市場にとって自分とは何者か、何者になりうるのか」は教えてくれるけど、「自分にとって、仕事とは何か」は教えてくれない。

もう少し具体的に言うと、

プロが助言してくれるのは、お金がたくさんもらえるキャリアプランや、そのプランを達成するための方法、マーケットの知識、選考のテクニックなどだ。

そのもっと手前で考えるべき人生観や、抽象的な感情の棚卸し(私のケーキ屋コンプレックスなど)は、どうやら自分で解決するしかないらしい。

まずは手始めに、この「自分にとって、仕事とは何か」を考えてみる。

頑張り続けることを前提にしたくない本音

働くを考える上で、表向きは隠してきた本音が2つある。
1つは、仕事において必ずしも上を目指したいわけでないこと。

上とは、会社における成長や成功といった分かりやすい目標だ。
採用面接で「そこそこ頑張ります!」と意気揚々と話す人はいない。

同じように、転職エージェントの担当者を前にした時にも「正直、そこまで労働意欲がないんですよね」とは言いにくい空気がある。そもそも会話の前提が、今よりも価値の高い場所にいくためには?といところにあるように感じてしまうからだ。

仕事への好奇心や自己実現的のような欲求は人並にあるものの、じゃあ10年後のキャリアの目標は何?などとふっかけられると、そこまで考える元気はないよという人も多いのではないだろか。

失業などの大きなリスクは避けつつ、程よく働くことはできないのか。そこそこ楽しくて、そこそこ稼げて、自分らしい仕事はないにだろうか。

とにかくお金がたくさんほしい!
どうしてもこの職業に就きたい!
といった明確な価値観を持っている人であれば、将来の選択に迷いは少ないかもしれない。それを達成するか方法に頭を悩ませればいい。

でもそうじゃない「なんとなく」「そこそこ」「何かを」頑張りたい人は、その前提を隠さずにキャリアを考えないと、あれこれ調べるうちに意識の高さに食傷気味になって、考えること自体が嫌になってしまう。

もう1つの本音は、「仕事がつらくないだけでも恵まれてるよ」という言葉への抵抗感だ。

「楽しく前向きに働くことこそ幸せだ」という考えに囚われる必要はないという意味では、たしかにそうかもしれない。食べていくための仕事なんだから、こんなものだよと言われたこともある。

でも、長い人生の中にはきっといろんな時期がある。
やる気に満ち溢れる時もあれば、メールを開くのすら辛い時もある。日々の生活をこなすのに必死な時期もあれば、自分を変える新しいチャレンジがしたくなる時もある。

だから、仕事が楽しくない状態に慣れきって、仕事なんてそんなものだとハードルを下げてしまうのはもったいない。

働いているだけでえらい!というマインドは持ちつつも、前向きな時には、もっと生き生き楽しく働くことを目指したい。

「仕事」は「個人」に何を与えるのか

本題である、市場価値を追いかけることってそんなに偉いのかよ!を考える前に、そもそも個人と仕事にはどのような関わりがあるのかを整理し整理してみる。

■仕事と個人の関わり方
(1)仕事内容そのもの 
どんな仕事をするか
(2)お金 その仕事でいくらお金がもらえるか
(3)技術 その仕事でどんな専門性/経験が身につくか
(4)人との繋がり その仕事でどんな人と出会うか
(5)身体 その仕事で身体にどんな影響があるか
 拘束場所 / 拘束時間 / 健康 / 楽 / 活発 / 不健康 / 病気 / ケガ / 疲労
(6)周囲からの見え方 その仕事で周囲からどう思われるか
 バリバリ / すごい / 憧れ / だらけている / 負け組

思いつくままに書き出すと、こういう分け方もできるかもしれない。これらそれぞれの状態によって、仕事に対して抱く感情が変わってきそうだ。

楽しい / 嬉しい / やりがい / 高揚感 / 充実 / 誇らしい
ストレス /悲しい/ 辛い / 悔しい / 惨め / つまらない などなど

ポジティブな感情の割合が高くなればなるほど、自分にとっていい仕事である、幸せに働けているということだろう。

ただ、どの要素をどのくらい重視するのか、それぞれの理想状態はどんなものなのか、といった価値観は人によって異なる。同じ人でも時期によって変化していくだろう。

なので当然、「いい仕事」の条件も人によって異なるはずだ。

労働時間(=身体の拘束や疲労)が1.5倍になる代わりに、年収(=お金)が600万円から800万円になるとして、それを喜ぶかどうか。

自分の専門性(=技術)が高まることと、同期が羨むポジションに就くこと(=周囲からの見え方)では、どちらに達成感を覚えるか。

就活のお作法になっている自己分析でもこのような棚卸をした気がするが、あえて今考え直すことに意味があ流。仕事の現実や情報にまみれた今の方が、本音で考えるのが難しくなっている気がするからだ。

先ほど例に出した「脱サラでパン屋」の場合。
自分がどうして羨ましく思うのかを分解すると、

リスクを取ってでもやりたいことに挑戦する
お金よりも好きを取る
組織の一員ではなく自分主体で仕事をする

ことへの肯定的なイメージがあることがわかった。

さらにその背景には、
リスクを取ること」をかっこいいと感じる心理
お金」と「好き」をトレードオフとする捉え方
その上で「お金」よりも「好き」を上位とする考え
「与えられた」仕事への否定的な認識

などが隠れている。お金とそれ以外を要素を混同している。

ここで言う「リスク」を深ぼると、
個人事業主の経済的な不安定さ
給与水準が低い飲食業
潰しが効く分野のキャリアが途切れること

などをイメージしていた。

こういった価値観は、自分の原体験から生まれることもあれば、世間の言葉を自分の価値観だと思い込んでしまうこともある。

「好きを仕事にしよう」「個で働く時代」などのフレーズが良いものとして語られることは多いが、この価値観が誰にでも当てはまるわけではない。

どれが正解ということではなく、自分の価値観やその背景を正しく理解することで、少しずつ自分にとっての「いい仕事」の解像度があがってくる。

かなり余談
最近の就活生には「とりあえずコンサル」という価値観を持っている人が一定数いるらしい。そこには、キャリアに保険をかける心理を感じる。自分が本当にやりたいかは別として、スキルが付きそうで・一定の地頭の証明にもなり・途中で辞めやすく・親や世間の評判も悪くなく・給料も高め・という細かい加点方式によって「総合的になんとなくお得そう/不正解ではなさそう」というイメージが作られるんだと想像できる。
就業経験のない学生が、本当に自分が幸せになる仕事を選ぶのは不可能に近い。保留期間を延長するようにこういう選択が増えるのも、不思議ではない。

ここからようやく本題だ。
市場価値ってそんなにえらいの?
「あっち側」の仕事と「こっち側」の仕事の正体は何?

といことについて考えてみる。

「市場価値」ってそんなにえらいの?

これまで市場価値に対しては、そんなものクソくらえ!というアレルギー反応を示してきたが、改めて市場価値とは何者なんだろう。

アレルギーの背景にはおそらく、

・拝金主義
・ステータス
・マウント

のようなイメージが関係していると考えている。

先ほどの整理で、自分は「お金と好きはトレードオフで、お金よりも好きの方が上位にある」と考える傾向があることがわかった。
それなら、市場価値を向き合うためには、給与との関係を理解しない訳にはいかない(ここは次の章で)。

以下にまとめている市場価値と給与の原理は、北野唯我さんの著書『転職の思考法』で提案されている考え方を引用した。

一度目の転職時にこの本を読んだ時、正直わかったようなわからないような気持ちになったのだが、再び転職を考え出した最近になって読み返すととても納得感があり、その後の思考のベースにしている。

ということで、そもそも「市場価値」とは?

労働"市場"における、自分の"価値" のことを指している。

ポイントは、「労働市場における」という条件だ。労働市場では、人材を「経済活動において利潤を最大化するためのリソース」と捉える(ここは私見です)。

人材の市場価値を決めるのは、3つの要素だ(ここから引用です)。

■市場価値を決めるのは、3つのかけ算
(1)技術資産

職種に紐付く「専門性」→特に20代で重要
職種に紐付かない「経験(マネジメント等)」→特に30代で重要

(2)人的資産
人脈。「あなただから」協力してくれる人。

(3)業界の生産性
市場価値への影響力が一番大きい。

平たくいうと、一人当たりどれだけのお金が生めるか。

市場価値にとって重要度が高いらしい「業界の生産性」を深ぼってみる。

業界とはつまり、どういう仕組みでお金をもらうか、というビジネスモデルのことだと理解できる。投下するコストに対して、生み出せるお金が多いほど、効率のいいお金のもらい方であり、生産性が高い事業ということになる。

一般的に生産性が高いとされるのは、不動産や金融などの「資本集約型」と呼ばれる産業で、逆に生産性が低いのは、飲食・美容師をはじめとしたサービス業などの「労働集約型」。

市場価値を上げるためには、すでに生産性の高い業界か、これから伸びる業界を選ぶことが重要だと書かれていた。

ここでやはり考えてしまうのが、市場価値は高めないといけないのか(そんなにえらいのか)というところ。

お金のため?優越感のため?

周囲の人や本から考えると、おそらくこの辺りに整理できる。

■なんで市場価値を高めるの
(1)お金がたくさんもらえる

市場価値と給与は、長期で一致するようになっている(「転職の思考法」より)。これはもう納得感がある。"長期で一致"の詳細は次の項で!

(2)やりたい仕事が選びやすくなる
業界内の知名度や信頼性も高まっているので、やりたい仕事が選びやすくなる。確かに周りを見ても、結果を出している人は異業種・異職種にチャレンジする機会が回ってきているようには思う。市場価値を決める3要素の中でも、実績を積むことで「技術資産」を、信頼を集めることで「人的資産」を高めた場合だろう。

(3)自尊心や優越感が得られる
市場価値が高い=仕事ができる・稼げる、という認識から自尊心や優越感が得られる場合がある。やや俗っぽい表現をするとステータス。

なるほど。(1)と(3)のイメージばかり持っていたが、たしかに(2)のような効果もあるなと思った。

特にもやもやが晴れたのは、市場価値はあくまで労働市場における価値だということと、市場価値が高いことは好きな仕事への近道にもなりうるということ。

「市場価値が高いからといって、その人間や仕事に価値があるわけではない!」という気持ちがなだめられた。
噛み砕くとこんな感じになる。

労働市場  = 企業が労働力を買う市場
企業の目的 = 利潤の追求

企業にとって価値が高い労働力
=効率よく利潤を生める人
=市場価値が高い 


そりゃそうだなと頷ける。

お金が生める(=企業にとって価値がある)ことと、人間にとって価値があることは全く別物だ。もちろん価値がないところにお金は生まれないが、お金を生まない価値もある。

「市場価値」と「給与」の関係を考える

次は少し視点を変えて、そもそも給与は何に対して払われているものなのかを考えてみる。

会社員の場合、やはり基本にあるの、は市場価値を決めている3つ要素だ。そこに加えて、企業の人事戦略が影響している。

■給与はどう決まるの
市場価値を決める3要素である
(1)技術資産
(2)人的資産
(3)業界の生産性 
に加えて、
(4)企業の人事戦略 が影響する。

市場価値≒給与水準と捉えた場合、

給与への影響が最も大きいのは、市場価値への影響が最も大きい「業界の生産性」だ。生産性が高いビジネスモデルであれば、雇っている人数に対して利益が多いということなので、これは納得できる。

おそらく次に影響するのは、スキルや経験である「技術資産」。企業内におけるポジションに紐付くものなのでこれも想像がつく。ただ、技術資産の大きさをどのくらい給与に反映するかは、このあと触れる「企業の人事戦略」にも左右される。

「人的資産」については、あまりイメージがつかなかった。転職時や独立時には大きな価値を発揮しそうではあるけど、給与に反映されるほどの強力なコネクションというのはどれだけあるのだろうか。

最後に、厄介なのは「(4)企業の人事戦略」で、
人材をどのように捉えている企業か
どのような基準を元に給与を決める企業か

によって、同じ人材であっても働く場所によって給与は大きく変わっていく。

例えば、このようなバリエーションが考えられる。

・年齢や勤続年数(年功序列)を重要視する
・徹底した成果主義で給与を決め、一定の人材の入れ替わりを許容する
・ビジネスにおいて重要度が高い、特定の職種を優遇する
・人を育てるマネジメント層は、特に給与を高めに設定する
・人材の流動性が高いエンジニアは、給与を高めに設定する
・採用緊急度が高い職種は、給与を高めに設定する
・応募が絶えない人気職種は、給与を低めに設定する
・新卒の離職率が高いから、若手の給与水準を高く設定する
・中途を大事にする文化で、新卒より昇給率が高い
・自己評価と同僚の評価を元に給与を変動させる
・利益の配分を、従業員の給与よりも投資に寄せる

社会人になるまで、人事戦略がこれほど多様だということを知らなかった。せいぜい想像していたのは、「外資は成果主義で、普通にクビになるらしいよ」くらい雑なものだ。

人事戦略の影響力が意味するところは、捉え方次第では、市場価値が低くても企業選び次第で給与を上げる余地があるということだ。

一方で「転職の思考法」で指摘されていたのは、企業の人事戦略によって(年功序列などで)給与が上がっていた40〜50代が、いざ転職やリストラを迎えた時にはじめて自分の市場価値の低さに気付くという現実。

1つの企業にしがみつけていたこれまでは、市場価値が低くたって問題にならなかったけど今や・・ということらしい。

市場価値と給与は長期的に一致する、なるほど。

ちなみに個人事業主の場合、収入の決まり方はもっとシンプルになる。
個人が企業ということなので、収入は単純に「売上ー経費」。企業との雇用関係にないので、いわゆる労働市場における「市場価値」も無視されているように見える。自分が提供する価値がそのまま収入に転換されるとも言える。

ケーキ屋コンプレックスはなくならないが

「自分にとって、仕事とは何か」
「市場にとって、自分とは何者か」

将来のキャリアを考えようとするとケーキ屋コンプレックスに陥ってしまう自分のために、今回はこの2つについて考え直してみた。

ここからは、自分の価値観と労働市場の仕組みをすり合わせる必要がある。

自分がうまく噛み砕けなかった「市場価値にがんじがらめのこっち側」と「かつて夢見たケーキ屋さんのようなあっち側」という謎の二元論も、なんとなく分解できそうだ。

自分にとって市場価値はどの程度重要なのか
市場価値に囚われない働き方は可能なのか

まだまだ迷走はつづく。

内容の整理
・転職のプロは、

「市場にとって、自分とは何者か」は教えてくれても、
「自分にとって、仕事とは何か」は教えてくれない。

・捨てたくない2つの本音
仕事において必ずしも全力で上を目指したいわけでないこと
「辛くないだけでも恵まれてるよ」という考えへの納得とそれじゃない感

自分にとって、仕事とは何かパート
・個人と仕事の関わり方を整理すると、

(1)仕事内容そのもの どんな仕事をするか
(2)お金 その仕事でいくらお金がもらえるか
(3)技術 その仕事でどんな専門性/経験が身につくか
(4)人との繋がり その仕事でどんな人と出会うか
(5)身体 その仕事でどんな身体への影響があるか
(6)周囲からの見え方 その仕事で周囲からどう思われるか
→各要素の状態によって仕事への好意度が変わる。
→好意度の変わり方は、人それぞれの価値観によって異なる。
→全体で見た好意度が高いほど、幸せに働けていると言える。
→自分の価値観を捉えなおすには、要素を混同しない。

市場にとって、自分とは何者かパート
・市場価値とは、
労働市場における、自分の価値

・市場価値は、3つのかけ算で決まる。
(1)技術資産
 職種に紐付く「専門性」
 職種に紐付かない「経験(マネジメント等)」
(2)人的資産
 人脈。「あなただから」協力してくれる人。
(3)業界の生産性
 一人当たりどれだけのお金が生めるか。
 市場価値への影響力が一番大きい。

・市場価値が上がると、
 ①給与水準が上がり
 ②やりたい仕事も得やすくなり
(③自尊心や優越感が得られる。)

・給与は、市場価値 + 企業の人事戦略 で決まる。

・市場価値と給与は、長期で一致する。

おまけ
脳内でイメージが混沌としている「こっち側」と「あっち側」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?