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君と見た輝きだけを覚えていくよ、

本当の願い事や本当に叶えたいことは、
全部全部来世、生まれ変わって叶えるんだと
そう決めたのは昨年の年末でした。


たくさん一人で戦ってきたし、その経過の中であらゆることをゆっくりゆっくり諦めてきた。
諦めることで許すことができること、諦めることで大事なものを持たないこと、諦めることで期待しないこと、諦めることで自分を責めずに済むこと、諦めることで少しでも生きやすくすること、そうやって気持ちの整理をしてここまでなんとか生きてきた時に、今更ながらある人に心を惹かれて好きになった。

いつ?どんなタイミングで?どこが?と聞かれたら細かくは答えられないのだけど、こんなご時世でこんな世の中でも前向きに笑って熱い歌を歌ってバラエティで笑いをとって、かつ演技ができるアイドルがいるのかと思うとなんだか救われた気がしたんだと思う。

「全部、力に変えていくから。1人じゃないから。」そんな熱すぎる言葉を当たり前のように言える彼になんだか諦めることでしか自分を保てなかったわたしは救われてしまったんだと思う。その人の魅力は10年前のわたしには気づかず、そして必要なかったもので、人は生きていく中で自分の感覚や好みすらも少なからず多少は変化するものだと、そしてその変化は悪いものではないということを教えてくれたのも全てわたしにとってはヲタク活動だったと思う。


SNSを開けば、最近はみんな推しとやらがいるような世界だ。人の心をどうにか繋ぎとめようとしているような、もしかしたら、わたしもあなたも、必死に愛を探しているのかもしれないね。
愛なんてそんな綺麗なものあるかよ、と今でもわたしは心の奥底で冷めている部分と、愛というものが本当はこの世で一番大切なものだと信じたい気持ちがごちゃまぜです。 

こんなわたしでも心から人のことを愛したことがあります。本当に本当に一度だけ。なんでも話せる関係だったし、しょーもない話をするだけで楽しかった。ただただ、隣で笑えていたらそれで良かった。わたしの楽しかったことや美しいと思えたもの、悔しくてたまらなかったことや日々の愚痴をどんな時も伝えてみたくて、そうやって仲良くなって、気づいた時には「あなたは楽しそうな時は本当に楽しそうで悲しい時は誰よりも悲しくてまっすぐでいいね」と言ってくれた言葉を、そしてその人のことを生涯多分きっと忘れないんだと思います。
でもそうやって誰かを心底愛してると思えた経験があることが、愛してるという言葉の意味がほんの少し理解出来て乗り越えたことがわたしの人生の中ですごく大きなもので、だからこそ、これからもそのことは心の中心に大切に抱えながらも、違う道を歩いていこうと決めました。

わたしは昔から常になにかと戦っている気がしています。そう言えば「あなたは戦闘能力が高いね」と褒められたことがあったなと思い出す。昔から生身のわたし、と心の中のわたしの2人で生きてきて、わたしの心を常に奮わせるものは書籍で読んだ言葉や音楽やエンターテイメントそんなものだった。
言葉といえども両親に今まで色々と良かれと思って言われた言葉は多分心の中のわたしは半分も納得なんてしてなかった。わたし、として生きていきたいと思ったいつかのあの日から、この世界で70億人もいるのならどこかにわたしと同じ感性でわたしの吐き出す言葉を受け取ってくれる人がいるってなんとなく信じていた。絶対、どこかに。


両親にもあなたが何を考えてるのかわからない、私たちの育て方が間違っていたんだわ、とドラマでよく使いまわされている言葉を何度か投げかけられたことがあった。
若干ヒステリックな母と穏やかでそんな母を頼りにしている父を持って、その中で一人っ子だからワガママ娘にならないようにと厳しめに育てられたわたしは、小さい頃注射をしても一度も泣かなかったらしいし、おねしょもしたこともないし、「はい」と明るく答えてあらゆる習い事をこなしていた。塾のテストの点数が悪くて怒鳴りつけられるのと同時にテレビのリモコンが飛んできて唇が二倍に紫色に腫れても、涙ながらにごめんなさいと言って勉強を再開させ翌日その痛い唇のまま模擬試験を受けにいけるくらいに、変な強さと強がり、そして誰かの逆鱗に触れないように気をつける術を身につけた。
生きていく中でいじめを受けても一人で抱えて、なんとかその事実を理解しようとした。
でも、そんなことの繰り返しは知らず知らず自尊心を奪っていきコンプレックスまみれになった。いつも楽しく生きるってなんなのだろうと思いながら、エンターテイメントにすがりながら世界が回るのを眺めて、なんとか自分も楽しくあろうと重ねてきた日々の積み重ねが今だ。


どんな時もノートに自分の気持ちを書いて心の中のわたしと一緒に生きてきた。思考を落ち着かせ自分の気持ちを整理するために、誰にも言えない本音を吐き出すためにずっとずっとそうやって言葉を書いてなんとか今日まで辿り着いた。
ノートがmixiの日記に変わり、Twitterでのつぶやきになり、Instagramでの写真付き投稿になってもわたしは変わらず言葉を優先し、時にながったらしい文章で投稿をしていた。そのあとnoteを見つけ、気づけばもうSNSに10年以上言葉を綴り続けている。


昔から正直、結婚願望はありませんでした。
恋愛も苦手でした。それは自分になんの自信もないからで、自分の外見ひいては自分でも時々よくわからなくなってしまう性格も、時に努力をして頑張って頑張って足し算をしてみたとしても、自分を好きにはどうしてもなれないままここまで生きてきました。
それでも、と行動力だけはあるので婚活を疲弊するまで2年間しまくったこともわたしの人生にとっては確実に必要なプロセスでした。
その2年間、本当に一度もヲタク活動をせず、コンサートや舞台から全て手を引きとことんまでに自分と、そして結婚という得体の知れないものと向き合えて良かったと思っています。何度かお友達にコンサートに誘われたことがありましたが、絶対に行かないと決めていたのでお断りしました。その時、本当は彼らを見て元気が欲しいと思いましたがここで自分の決めたことを貫かないと、と強く思い直して本当にこんなわたしが一度も現場に行くことなく2年間、ひたすらに婚活に打ち込みました。
孤独になって結婚というものと向き合ったことで手にした異次元の強さも、若い子が有利とされる婚活市場の中で自分にとってなにが大切かを見極め自分の武器を探したあの切なさも、矛盾の中で見つけたさわやかな答えも、得たもの無くしたもの全て含めて愛しています。

だって、「どれが正しくてどれが間違いで 手探りのまんま生きているんだ 何が悪いのさ」

社会に出て社会人になって、こんなにも不条理で不公平でその中で揺れ動きながら生きていくしかないのかとどうしようもない絶望感に何度も苛まれた。
こんな中でわたしはずっと生きていくのか、とその中でたくさんのものを失って、違うなにかを得て、なにかが壊れて終わっていくこと、その壊れたなにかに執着しなくなっていくことにも慣れて、「生きる」ことにだけしがみつくような今日の日々に辿り着いた。

マイノリティとして生きていくことを好んで選んだわけではなく自然とそうなってしまったのに、世間一般の正常だとされる人生と少し違うと世間からは重いカーテンが目の前にひかれる。なかなか日差しを入れてもらうこともできず、目の前にどんと置かれた「偏見」という鉄製でできた壁をつまようじでほじくっていくような作業を毎日毎日こなしているような気がしてた。

これでいわゆるマイノリティから少しだけ逸脱できるという現状だったとしても、わたしの本質など何も変わらないわけで、わたしの心は正直追いついていない気がする。荒治療のように無理やり前に進んできた結果なだけで、心底どうしようもなくそうしたかったかと例えば牢屋で問いただされたら、そうじゃない、と答えてしまいそうなくらいには繊細。

でも、昨日や明日に戻ることも飛び越えていけるわけもなく、今日を生きなぞらえるしか方法が見当たらない。
あの日揺らいだ自分の気持ちを今更事細かく思い出しても、その一線の解析ほど難しいものはないのかもしれない。あの日、あの時に感じた気持ちも、差し出された手を握りしめたことも、ひっそり涙を流したことも、辛いのに笑って誤魔化したことも、どれも正しく言葉にすることは一番難しい。

とめどない痛みは包まれていって、わたしの糧になることを願って。
長年連れ添ってきた苗字が重岡くんの誕生日に変わってもわたしは何一つ変わることもなく、これからもわたしはわたしとして生きていくのみです。
例えば誰かから見るとわたしはどうしようもないくらい寂しい人に見えていたとしても、もう全然構わなくて。いつだってほんの少しの光だけを探して生きてきたような人生だから、今さら「あなたは寂しい人だね」と言葉を投げつけられたところでわたしは何も変わらない。痛くもない。だって、いつの日も夜はあけるから、すべて愛だなんて、そんなわけもないから。
永遠がないことも、永遠が通り過ぎていくことも知り尽くしたからこそのわたしの辿り着いた答えに自信を持っています。

誰も理解してくれなくても、頑張った自分は自分が一番知っている。もう無理だよ、って言いながら何度も立ち上がってきたわたしをわたし以外が知らなくても全然かまわない。それが、生きていく、そういうことなんだと思う。

わたしはわたしの哲学を信じて進んでいくことが自分が自分にできる最大の美しい逆襲なんだろうと知っています。だって、まだまだこの世の中には美しいものがたくさん待っているから。
自分の哲学を信じ切って進んでいける、そんな女の子がこの世の中であとどのくらいの月日を生きていけるんだろうか。そんな難題を自分に課しながらこれから先の将来をできるだけ笑って過ごせますようにと願いながら、昨年末からどんどん自分の人生が驚愕するレベルで良くも、そして悪くも進んでいっていることをひしひし感じながら、暗闇に迷い込まないようにと、すぐ目の前に待っている胸が高鳴る予定を頭で反復した。


重岡くん、32歳の誕生日おめでとう。
つぎはぎだらけのどうしようもない愛を込めて、ここに。
まさかここまできて誰かを応援するだけで楽しい幸せだって気持ちを思い出させてくれて本当にありがとう。

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