見出し画像

曾祖父さんにまつわる話。

前回の記事で出てきた曾祖父さんについて、記していこうと思う。

この曾祖父さんは父方の方になる訳だが、私は父方のお祖父さん、私の父にとっての"お父さん"に会ったことがない。
お祖父さんは、父が高校生の頃に亡くなっていて、そもそも、もう会える、会えないの存在ではなかったのだ。
会ったことも、話をしたこともないので、記事になるか分からないが、機会があれば父方のお祖父さんについても今度考えてみたいと思う。


本当のお祖父さんが居なかった私にとって、曾祖父さんは”曾祖父さん”であり、”お祖父さん”でもあった。
この事に気づいたのはいつのことだったか…
小学校高学年?中学生なってからだっただろうか?
はじめて曾祖父さんが曾祖父さんだったと気づいた時には、なんというか驚きを隠せなかった。
だって、曾祖父さんって、ご長寿の象徴じゃん!(?)、なんかすごいじゃん!私、曾祖父さんと遊んだり喋ってたんだ!と、感動さえした。
ずっと曾祖父さんは曾祖父さんじゃなくて、お祖父さんだと小さい頃は勘違いしていたから。爆


曾祖父さんは、私が生まれてから私をとても可愛がってくれていて、私も曾祖父さんに懐いていた。
外に遊びに行く時も曾祖父さんを引っ張って連れていき、
仏壇でお経を唱える曾祖父さんの隣で見様見真似で一緒にお経を唱え、
自転車に乗せてもらってお菓子を買い物に連れて行ってもらったり…
ずっと一緒にいたなぁ。好きだったなぁ。

まぁ、曾祖父さんも曾祖父さんなわけで、そんなにずっと一緒に遊ぶことも出来ずに、病気になって入院し、私が3~5歳くらいの頃に亡くなった。小さかったから曖昧にしか覚えてないし、亡くなるってことに関してもよく分かっていなかったから自分が泣いていたか、その時悲しかったかどうかもよく覚えていない。
あんなに可愛がってもらったってのに、薄情な曾孫でごめんね。

覚えていることといえば、その頃流行っていたのが[だんご三兄弟]で、そのCDを買って貰って、お葬式の日もずーっと聴いていたことくらい。
当時の事を、父が思い出す度に「あの日も、ららがだんご三兄弟を流して~!とねだってくるからだんご三兄弟をずーっと流してて。
だからだんご三兄弟を今聴いてもあの時期あたりの事を思い出す。」と話す。


話は逸れるが、私は歴史が大好きで、昔の資料や写真を見ることが大好きだ。
昔生きた人達の事を知るのって、最高にロマン感じませんか?今風に言うとエモい的な?(使い方合ってます?)

悲しい気持ちや痛ましい気持ちにはなるが、当然戦争中の写真やエピソードなんかも見たり、聞いたりすることもある。
曾祖父さんは戦前生まれ。なので戦争出兵の経験もあったとの事。
母は、曾祖父さんからよく話を聞いていたそうで、その話を私にも聞かせてくれる。
私はまだ赤ちゃん同然だったので、当然、戦争の話など聞かせてもらったことがない。
私がもう少し大きくなってて、曾祖父さんが元気だったら、昔の経験話も直接聞かせてくれたかな、色々な話をもっと聞いてみたかったな、と思う。
この場合は、年齢のせいで仕方のなかったことだけれけど、後悔している。

当然だが、人とは生きているうちにしか、コミュニケーションは取れない。
人とのコミュニケーションを、疎かにしないように生きていきたい。
後悔しないように、聞けることは聞ける内に、伝えたいことは伝えられる内に伝えるように心がけたい。


#備忘録  #アラサー女子 #ブログ #家族



2021.07.17




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?