見出し画像

「起」のバックグラウンドミュージック

いま、短い劇中曲を制作している。

例えば、ギタリストの足元を見ると、エフェクターの類は転がっておらず、ギターから伸びたシールドは直接アンプに接続している。そしてアンプからは、燻されたウイスキーが似合うような、煙たいブルースが鳴っている。

世の中には、そのようなかっこよさはある。用の美を追求した柳宗理のスプーンやフォークが湛える曲線のような、鰹の一番出汁が活かされた和食の一品のような、泳ぎを追求した結果として生まれる無駄のそぎ落とされた水泳選手の肉体ような。シンプルなかっこよさというのはある。いろいろと自分を飾り立てずとも、わめきちらして自己主張せずとも、そのままでかっこいい。そのままだからかっこいい。そしてその人自身、ありのままの自分を受け入れているというかっこよさだ。

一方自分を省みれば、未来永劫乱れて整わない文をオンライン上で公開し、挙句の果てには、自己紹介に「作詞・作曲を担当」などと、なにか高尚なものでも創造し、皆を導いてるかの如く、ぬけぬけと書けてしまう自分の図々しさを情けなく感じないわけでもないが、あきれたもので、実のところ最近は特に何も思わない。

馴れたのだ。

むしろ自分の活動を広く知ってもらうために、自己紹介には「作詞・作曲」に加えて「アートワーク・MV制作」、「歌唱・楽曲制作のご依頼も承ります」などとちょっとした宣伝までも入れ込んでおり、さらには今まで制作した作品を一つにまとめたポートフォリオなんかも作って、恥をさらしている。しかもそれを自分で気に入っているのだから仕方がない。

しかし、恥を知らずに長年バンドを続けてきたからか、たくさんの素敵な人や親切な人とも知り合うことができた(好きになれない人にも会ったし、仲よくなりたい人とうまく話ができなかったこともあったし、いまもそんなことばかりだ)。そのつながりなどで、音楽に関する仕事も時々頂いている(これについては僕が気に入っている僕のポートフォリを参照していただきたい)。

そして今回着手しているのが、劇中の楽曲である。といっても今回依頼を受けたのは、メインテーマとなるような楽曲ではない。

『結婚できない男』で、主人公・桑野が、熱したフライパンにステーキ肉を馴れた手つきでのせ、ミディアムレアに仕上げた末に、丁寧にフォークとナイフで切り分けながら一人孤独に食す場面。または、『タイガー&ドラゴン』で、竜二が親父の借金で建てた裏原のダサい店「ドラゴンソーダ」に駆け込み、アルバイトのリサをブスだと罵倒する場面(リサを演じるのは蒼井優。ブスじゃない。かわいい)。そういった場面で流れる曲の依頼。

つまり、起承転結の「起」。そこに流れる音楽だ。

ある種、目立たない存在なわけであるが、「起」の場面に流れる音楽というのは案外記憶に残っている。テレビ番組を愛してやまず、NHKにも受信料を払っている僕だが、そういった音楽について言語化して考えたことはなかったように思う。

それらは、ドラマのカラーの一部にもなっていて、エピソードの空気を作り、溶け込んでいる。メインのテーマ、もしくは『エヴァンゲリオン』で使徒襲来の際流れる「DECISIVE BATTLE」のような、「承」、もしくは「転」の音楽のような良さとはまた違う、自己主張せずとも、場が自然とその音楽によってメイクされる音楽。その場の得も言われぬ空気がその音楽を通して共有されていく音楽。それが「起」のバックグラウンドミュージックのかっこよさなのだろうか。

一方「起」は元より、「承」や「転」さえ駆け足で、「結」だけを求め、恥を知らずに自己をアピールし、twitterやinstagramにおいても実のない更新に爽やかな汗を流すわたくし。

また、いままで作ってきた音楽や諸々を振り返って、試しに起承転結に当てはめてみれば、「起」をかもす作品というのはいまだかつて作ったことがないように思う(これについては僕が気に入っている僕のポートフォリを再度熱意を込めて参照していただきたい)。「起」とは一体なんだろうか。ひとまずギターをアンプに直接さして考えてみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?