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『ハウルの動く城』を男性性と女性性で読み解く・2

好評かどうかわかりませんが、続きを書いてみたいと思います。今日は魔法使いハウル側の話です。4,800字超えてるのでお気をつけてどうぞ。笑

ハウルの初登場は、ソフィーが兵隊2人組にナンパされて困っている所を助ける場面です。彼氏のフリをして、魔法を使って兵隊をどこかへ歩いて行かせます。

その時に魔法を使ったせいで、敵に見つかり追われます。空を飛んで逃げて、ソフィーを店の2階のベランダに送り届けます。この数分でソフィーはすっかり恋に落ちてしまうのですね。

さて、このシーンから感じるハウルのキャラは「キザなイケメン」「女の子を助ける優しい男」「…と見せかけたチャラ男」といったところだと思いますが、もうちょっと深掘りしてみます。

まず前提として、この時のハウルの外見は「全て魔法で作り込まれたものである」というのがポイントです。後にわかるのですが、本当のハウルは金髪ではありません。ハウルが魔法で作り上げた外見をまとめると、

・金髪
・ピンクの柄物の派手な衣装
・ジャケットを肩掛けしていて、空を飛んでも落ちない=魔法で飛ばないようにセットしてある笑

つまり、ハウル自身が「俺イケてる!」と思う姿を頑張って体現しているのがコレなのです。んー、若干センス大丈夫かな?と思うところはありますが、実際にキャーキャー言われている所を見ると、アイドル的な感じで女子ウケは良いようです。

ここから察するに、
ハウルにとっての「イケてる俺」像とは…

・大勢の女の子にモテまくる
・スターとして特別扱いされる
・作り込まれたアイドル像を崩さないプロ意識w

といった所でしょうか。まさにジャニーズのお手本のような感じで、声優にキムタクという人選はなるほど納得です。

彼氏としてデートにこの格好で来られたら「んん?!」ってなるけど、「大勢の女の子に見せつけるための衣装」だとすれば理解できる。つまり、この時点でハウルが目指しているのは「1人の女性を愛する誠実な男」では無く「モテまくるスター」なのだということが分かります。

次に、行動のほうにも注目してみましょう。
ハウルはナンパされて困っているソフィーに声を掛けて、助けてあげます。ですがその結果、敵に追われる騒動にソフィーを巻き込んでしまっています。

ハウルほどの魔法使いなら、魔法を使えば秒で見つかることくらい分かっていたはず。それでも、魔法を使ってしまったのはなぜでしょうか?

それは「女の子にイイ所を見せたかったから」です。だって、ニンゲンのナンパ師を追い払うのに、魔法要ります?要らないですよね笑 既に彼氏ヅラして「ごめん、待たせたね」とか言ってるんだもの。口頭で十分追い払えたはずなのに、わざわざ「キミたち、ちょっと散歩してきてくれる?」なんてカッコつけて魔法を見せる。これはもう、あちゃーですよ。笑 女の子に「凄い、カッコいい!」って思われたくてしょうがない。なかなか可愛い青年ハウルさんなのです。

ま、モテたいと思うのは悪い事ではありませんよね。ですが、この時のハウルは「どんな自分でありたいか?」に対する答えが「女の子からどう見られるか像」になっちゃっているのです。アイデンティティーの定義が他人基準だということはつまり、ハウルも他人軸で生きている。ソフィーと同じなのです。(前回の記事参照)

ハウルはありたい姿がハッキリしていて、魔法使いとして優秀で、セルフプロデュースも成功していて、一見うまく自己実現できているように見えます。ですが、内面は他人軸。精神的には未成熟で不安定なところがあり、陰に生きづらい課題を抱えているキャラクターです。

実はソフィーに声を掛けたのも「イケメンな俺」に自己満足するためのパフォーマンスであり、モテるかどうかの定期確認作業。「凄い、カッコいい、好きになっちゃった!」と女の子に思われる事で、ハウルは自己肯定感を保っているんです。

その証拠に、ハウルは後のシーンで髪色が変わってしまっただけでブチ切れちゃう。「美しくなければ生きている意味がない…」というダメダメな台詞を吐き、なぜか全身からドロドロの緑の液体を出し、不必要なまでに無価値感に襲われて落ち込みます。さらに、それを見たマルクル(弟子の男の子)に「前にも女の子にフラれてこーなったことある!」と暴露されています。笑 女の子からの「好き」がハウルの唯一の支えになっている事は明らかなようです。

まぁ気持ちわかるけどね。他人からの評価で安心するって、誰しも必ずあるものです。完璧なイケメン魔法使いっぽく振る舞ってるけど、人間らしくていいじゃないのハウル。

そんなわけで、現実は違えども同じ「他人軸で生きてきた者同士」として、ソフィーとハウルは出逢った。そう考えると、まさに運命的な出逢い。引き寄せ的なやつですね。類似の課題を持つ男女が出逢うことでお互いに成長していく、というのは、スピリチュアルで言われるツインレイの話にも似ています。まぁ、とにかく、それがこのハウルの初登場シーンです(やっぱ長っ

そもそも男性性は、他人軸に振れやすいもの。他者との競争で一番になることを目指すからです。対して女性性は「内からの深い愛」でそんな男性性を満たそうとします。それが男性性の自信と安定に繋がるのですが、これがなかなか難しいのよね。なぜなら、男性性と女性性では価値基準が違うからです。

女性性が欲しいのは「誠実性」です。しかも、1:1のミニマムな関係性の中で、誠実性を「絶対値で」評価します。

一方、男性性にとっての価値は「勝ち」です。「1:他」の世界で得た「相対的な勝ち」を根拠に、女性性からの評価を期待します。

ですが、女性性にとって「(他と比べて)世界一強いかどうか」は関係ありません。「(私にとって)世界で最も信頼できるかどうか」しか見ていないのです。

現実の男女のパートナーシップでもあるあるな話で、妻が「約束を破られたり、要望を言っても無かったことにされた」ことで夫を信頼出来なくなる・愛せなくなるのに対し、夫が「でも、仕事では昇格した!オレは家族のために頑張ったのに!」と主張するのに似ています。まるで話が噛み合ってないんですよね。笑 

ハウルの女性性は、男性性に不満があるのです。なぜなら、ハウルの今の姿は「自分の心(=女性性)が本当に望むものを選んだ結果」ではないから。もちろん見た目だけの話ではなく、あり方や生き方、振る舞い方も含めて、要は「男性性が意志の力で作り上げたペルソナ」。他者目線で、どう見られたいかで作られたハリボテなんです。

男性性がどんなに努力しても、視線が外側にしか向いていなければ、内なる女性性は「私を蔑ろにしている」と拗ねたままです。他人からどんなに凄いと言われても、モテまくっても、内側から満たされることはありません。

ハウルは「内側から自分を愛せていない」のです。だから、外側から他所の女の子に好きになってもらわないと不安で仕方がない。それが序盤で描かれているハウルの姿です。

※ここから更にちょっと精神医学寄りのガチ解説を。重めの内容なので、興味ある人だけどうぞ。それ以外の方は次の☆まで飛ばしてね!

ペルソナ(仮面)は社会生活を送る上で誰しも持っていて然るべきもので、それ自体が悪いわけではありません。ですが、ペルソナを強固にするために自我のパワーを使いすぎると、自己が2つに分離して、本来中心にあるべき「等身大の自己」が空洞になっていくケースがあります。

自分の理想像、あるいは誰かに求められた役を演じ続けると、自信に満ちたペルソナが出来上がります。一方で、内的世界全体としてのバランス(整合性)を取るために、逆に自信の無いシャドーの自分が生み出されます。(ペルソナで自信の無いキャラを演じている場合、シャドーが気の強い性格になる事もあります。要は真逆のキャラが生み出されるってことです)

自己が2つに分離した結果、真ん中の「等身大の自己」がすっぽり抜け落ちて空洞化します。そのうちにペルソナとシャドーが二重人格のようにコロコロ変わったり、感情のコントロールが効かなくなり、精神的に不安定になる事が増えます。

シャドーの衝動性の強さはペルソナを支える自我の強さと同等なので、日頃ペルソナを頑張って演じている人ほどシャドーの衝動性も強く、突然人が変わったように見える(あるいは本人が感じる)事も。

ペルソナとシャドーについては、精神科医のカール・グスタフ・ユングが100年近く前に既に指摘しているので、もはや現代人の陥る典型的な精神トラブルの1つになっているのかもしれません。実は、かくいう私自身も経験してるんですよ(今は無事統合済みなのでご心配なく)。ま、わりとよくある事だよね!

ハウルは、人前では堂々として完璧なイケメン魔法使いを演じている一方で、家では小さな事で自信が揺らぎ、まるで子どものように衝動的に怒ります。そして無価値感に飲まれて、周りまで負のエネルギーに巻き込んでしまう不安定さを抱えています。

これだけギャップがある所を見ると、ハウルはまさにペルソナとシャドーに分離している気がしますよね。ま、人間らしくていいっちゃいいんだけど、渦中の本人は意外とガチでしんどい。感情が勝手に大きく揺れるのって疲れるもんだし、通常の感情コントロールのレベルではなく人格が乗っ取られた感じになるので、思うように制御できないんだよねアレ。緑のドロドロまみれの時のハウルの表情見たらわかると思います。ほとんどギャグシーンとして描かれてるんだけど、本人だけは至って深刻なんよね。笑(駿先生、そこまで人間見てるのやっぱ天才すぎやしませんかちょっと)

ハウルはそんな自分の抑えきれないシャドーを隠すためにか、身近には絶対に逆らわない弟子の子ども1人と、城から出られない火の悪魔カルシファーしか置いていません。ハウル本人が一番苦しみ、人知れず悩んできたのかもしれませんね。

でも、ソフィーと出逢ってここからハウルは変わっていくのです。物語の後半でちゃんと「等身大の自己」を取り戻して、精神的に安定していきます!がんばれハウル!!!

※ガチ解説ここまで

前回、ソフィーの男性性が第一歩を踏み出したところまで書いたので、ハウルも一歩踏み出すところまで書きます。

ハウルの最初の変化は、留守中に家に入り込んで居座っていた謎のおばあちゃん、つまりソフィーを受け入れる所です。詳しく話を聞こうともせず「この人を居させても大丈夫だ」と判断し、受け入れることを即決しています。

ハウルの男性性は、女性性の直感に従ったのです。

ベーコンエッグを3人分作って出してあげる。ハウル主導で一緒に食事をするというのは、彼がソフィーを受け入れたことを表す描写です。

この時点では、あの帽子屋の女の子だという事も、少年時代にタイムスリップしてきたソフィーと会った記憶にも気付いていない様子から、「この魔法の家に入って来られたなんて只者ではない、何かある気がする」と思った可能性はあります。

しかし魔法の気配は感じているにも関わらず、それについて質問するのは「食事を出してから」なのです。状況から考えれば、荒地の魔女の回し者かもしれない。でもハウルはそのアイディアを却下して、まず受け入れた。ベーコンエッグのシーンは、それを明確に表すような順序で描かれているのです。

まぁ何であれ「情報でジャッジせず、感覚を信じて受け入れた」というのがポイントですね。

ハウルの城の中で2人が再会するシーンは、ソフィーの男性性が取った「行動」を、ハウルが女性性で「受け入れる」という内容になってます。それぞれの内面が成長し始める第一歩をドラマティックに現した、素晴らしいシーンだと思います。

よかったら感想やご意見お聞かせくださいね!続きは多分また書く気がします笑 

※画像はスタジオジブリが公式に配布している物を使用しています

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