元気な子供

都立公園保育。

この土日はパン喫茶のブランチに家族で行ったあと、都立公園でテントを張り、昼寝をしながらコーラを飲んだ。こんな日を、何百回と過ごした数年間を思い出した。

家庭保育での4年間は、彼の『好き』をどこまでも愛するだけの時間だった。2時間あれば、ほとんど必ず自転車に子どもを乗せ、広い都立公園に通った。

1歳前後の歩き始めの頃は、近所の公園で延々砂遊びをして過ごしていたけど、だんだんと公園の枠が小さくなり、遊びが納まりきらなくなったのだ。
公園の隣にあるマンションの階段や、道路の向こうのタンポポまで、子どもにとっては『公園』だった。

「車も自転車も、ぜったいぼくを避けるでしょう?」

そう言わんばかりの自信満々な子どもの行動に戸惑う以上に、自由に好きなものを見つけて遊ぶ姿は、悶絶級にかわいすぎた。生まれたままの心の前に、ひれ伏したくさえなる。
けれど、育児休暇の期限は間近だった。出来ればいつも、自由時間のように居させてあげたい。葛藤し迷いながらも、保育園の申請書類は用意したが、公立の保育園では20人の枠に対して240番待ちだった。
公立を諦めて、見学した都内の出勤に適した保育所は、どこも小さくて、なんとなくわたしですら息が浅くなりそうな空気を感じた。

職場では初めての育休復帰社員だった。けれど時短制度は受け入れることが難しかった。小さな会社では、配置転換先さえも開拓するのが難しいと言われていた。自分の家族と、職場の条件。彼の生まれ持った自由気ままさと、どう折り合いをつけるのか。帰りの電車で子どもを抱きながら考えた。何日考えても、一ミリもイメージできなかった。

復帰を考え出すと決まって、公園の土や葉や虫や水や石で遊ぶ子どもの姿がチラつく。
あの子の世界には、親友がいっぱいいる。親友たちはこぞって、彼の手や足や肌や目や髪や耳や舌が、楽しくて仕方ない君だけの武器だと教えているようだった。子どもの親友たちは保育園の先生のようであったし、人生の先輩のようだったし、彼の仲間のようだとおもった。

自分との対話の世界に没頭する子どもの姿と、今後のキャリアを天秤にかけて、うんうん悩んだ。だけど出した結論は、この子にしてこの親あり。自分にとって一番大事なものを優先する、だった。


わたしは何を贈ろう。わたしの命で。
もしわたしがいなくなっても、あなたが思い出せなくても、残らなくても。
いや、そんなに生半可な気持ちで贈るプレゼントじゃないんだ。
かならず遺るって、どこかで信じた。本能的に。そう、本当に、この子にしてこの親ありだ!

わたしは何を贈りたいんだろう。あなたに遺せるもの。
わたしに贈れるものはなんだろう。

距離も時間も天気も関係なく自分との対話をトコトン味わえるのは、一生で今だけかもしれない。ちょっと自由すぎるマイペースな未就園児への、またちょっと自由で独特な親からの贈り物は、この、時間にしよう。

そうして復職ではなく家庭保育の4年間を選んだ。


家庭保育には、いい面もあったし悪い面も両方あった。
いやきっと何の選択をしても、両面はセットだったろう。

言語やコミュニケーションの成長を促す刺激が少ないのは気がかりで、1歳のときは自分で親子広場なるものを開いたりもした。足しげく図書館や読み聞かせにも通った。それでも2歳半まで3語文は出てこなかったし、言葉の成長はとてもゆっくりだった。健診では心配や不安を聞いてもらったり、保育士さんたちは、小さく丸めた一口サイズのおにぎりを「かわいいわぁ」と愛でてくれた。

児童館や保育園の一時保育もよく利用した。
食事の食べムラなど気になることを保育士に相談し、様子をみてもらった。保育士さんの優しさに安心してポロポロ泣いた。背中も撫でてもらった。誰かの目が入ることで、選択への迷いや育児への不安というカサブタが、ぼろぼろと剝れた。


そしてまた、お弁当とレジャーシートと水筒と虫かご。たまに朝ごはんや夕飯を持って、都立公園に通う。週に何度も。

遊び疲れてお昼寝をして、起き抜けから遊んで、泥だらけの子どもとお風呂に飛び込んだ。靴が小さくないか気になって、動きやすくてやわらかい服を作って、採れたてのミニトマトを食べた。野花の蜜を吸い、アリの巣まで追跡し、紅葉を集めて絵を描いて、霜柱を踏みつぶした。泥水の中で三輪車を走らせて、川の中で寝転んで、草の中で寝てしまった。風に吹かれて飛んできた虫が、やわらかな君の頬っぺたで休んでいた。


何百回もあの大きな公園で、息子の親友たちに囲まれて、そんな時間を過ごしていた。懐かしいし、嘘みたいな体力があったんだなと今はおもう。そして、やっぱり、あれはわたしへの贈り物だったとおもう。

息子は8歳。この春、思春期に片足を突っ込んだ。今じゃずいぶん達者に大人顔負けの口ぶりで反抗したり、岩より硬い意思を持ち、ブレずに日々じぶんのことに一生懸命だ。

学校というものや、8歳ということに悩みながら、じぶんなりの歩み方を探しているようにおもう。学校の行き渋りもまだあるし、新年度の緊張からお腹の調子もよろしくない。だけど彼はとても耳が良く、努力家で、理解が早い。同級生の女の子が、彼はクラスで一番スピーチがおもしろいと教えてくれた。

頑固で意志が強くて、好奇心旺盛で。自分との対話に余念がなかった。
あの0歳の君らしさが、大きく成長したら、そりゃ、こうなるよね。

不思議な話だけど、今こうなることを、あのときのわたしは知っていたようにしか、思えない。

わたしは、自分に君を遺したんだ。

君がいつ大人になってもいいように。
そうなる前に、君と一緒にいたかった。それだけなんだ。