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東吾せんせい、と呟く変態の側面

夕方から地元に帰る。
兎にも角にも、はやくかえりたい。
帰ったところで、あの屋敷は変わらないのだけど
自分の部屋に帰りたい。
あの中でねむりたい。


そんなこんなで嬉々とパッキングし
今回のお供を真っ先に詰める。

なにはなくとも、お供だけはここから連れて行く。

とくに上二冊と左下一冊、右下の彼は捕捉役。


ここ最近猛烈に、おかしいくらい
地名にハマっている。

なぜそのとなったのか。そこでなにが起きたか。


国立国会図書館のデータベースにアクセスすると
良質な記事と何百年前の文献が
わらわらと湧いてくる。
なんとこんなところに玩具があったのか。


どこにアクセスしてんだこれ。
まさに稲妻が走り震える手を抑えてクリックし
1日60分の制限時間内に飲めるだけ飲んだ。
そんな夏の前半。


特に吉田東吾の大日本地名辞書
何度アクセスしても
毎回その20分は、ただただシビれて、終える。


小学校教員が日清戦争で記者となったときから
13年をかけて編纂し続けた熱量に打ち震える。
第1次世界大戦の終了のゴングとともに
太平洋に突き出た丘である銚子で命を終えた。


死に場所すら香ばしいではないか。
ホンモノだ、、、と、1人図書館で悶絶する。


地理の言葉の成り立ちを知ってからは
一語一句に信頼と尊敬を覚えるようになってきた。


ヲシテ文字などの古代語にも通じ
新しい世界がひらいた。


とはいえ言葉そのものには、そんな興味はなくて
その言葉を使い生きた人のこころ
とんでもなく浪漫を感じる。


言葉があるということは
伝えたいことがある、あったということだ。

ナニを。ダレに。


その、ナニ、ダレに、俄然興味がある。
言葉の意味というハードルなんて
ガタガタと左右になぎ倒しながら
ドスドスと進んでいる。


幾多の屍の上を歩けば
足下から しゃれこうべが カタカタと笑う。
踏まれ甲斐があると 言ってくれたらうれしい。
本を読むことは、そんなコミニュケーションでもあるとおもう。


どこにあるのか わからないが
とにかく なにかのエサに向かって走っている。
気がつくと走っている。走る理由なんて走ってる途中には、どうでもいい。ぜんぜん興味ない。
ただこのぶら下がったニンジンの正体を知りたい。


そして食べられるもんなら食べたいし
触っていいなら触りたい。
めちゃくちゃに好きにさせてくれるなら
覚悟して取り組むので、好きにさせてください。


しゃれこうべの窪んだ目が覚めて
なにか喋ってくれないかなと思いつつ
あもう死んでんだっけね、とねぎらった。

#日本の歴史 #地理 #地名 #吉田東吾 #大日本地名辞書 #日記