平成最後の年末に、鬱母がもたらしたもの。
今年は2年ぶりに、家族が全員実家に揃った。
大晦日前日は、朝から晩まで餅をつき、のし餅を何枚も作り、6人半分のご飯と洗い物をし、郷土料理をいくつか教わり、父に頼まれたお土産を渡す。
お土産の話は、多分いつか書くことになると思うけど、まだ言葉にはしない。今はまだ、馳せたいとも思わない。
その代わりなのか、今年の年末は、実家で賑やかに過ごせている。
弟の1年ぶりの近況とその顔色を見た安心と、妹の変わらない無邪気さと少し神経質になった物言いから、過ぎた年月の重みが、波のように響く。
この家族の歴史はいつも、自由に顔を覗かせる。
そこに生きて居るだけで良い人たちが、今生きていて、会えるだけで、過去と未来が現在にもう、届いている。
年末を穏やかに過ごしたかというと、そうでもあるし、そうでもなかった。もう10年以上鬱患いの母は、夜中に突然、薬を辞めたいと話し出した。引き攣りながら手と唇を震わせる母の決意に、みなそれぞれ思い思いの反応をした。
困る。面倒な事を。またアップダウンがきたか…。
その顔を見ると、わたしもしかめっ面になっていたはずなのに、おかしくなって吹き出してしまった。無茶な自己判断を頑なに告げられるのは、大変な事態であるはずなのに。なのにこの、大変な事態慣れしてしまった家族たちを、客観的に見ると、急に笑いが込み上げた。
平成最後という年末に、何年も前から変わらない大問題が降り注いでしまった、哀れな乗組員は、なんと自由なことだろうか。
泥の船は宝船にあっという間に姿を変えてしまう。ついに全員に、笑いが電波した。意味のない止められない爆笑をする家族を前に、母は引き攣った白い顔の虚ろな目を、キョトンとする。
何がおかしいの?と言う母に、お母さんは悪くないの!ごめんね!と謝る。何を謝っているのかわからない可笑しさに、更に大笑いする子どもたちに釣られたのか、母も引き攣りながら笑おうとした。
結局、母は数年ぶりに、睡眠薬だけを飲んで寝るということが、できた。
こんな年末を迎える、このうちらしさって、なんてユニークなのだと思う反面、それが皆のこの10年の、いや生きてきた時間の、成果なのだとしみじみと思った。
わたしは、この家族と連れ立って生きることを、いつまでも大事にし続けるのだろうと予感する。
笑いながら船を漕ぐ、自由なオールを手にした、大切な同志なのだ。