World Triathlon (旧 International Triathlon Union) 設立の歴史とガバナンス
はじめに
トライアスロンは1974年に初めてアメリカで大会が行われ、正式にオリンピック種目になったのは2000年シドニーオリンピックからであり、比較的新しい競技である。さらに、初回開催から男女ともに実施され、コース、距離、ルールもすべて同じだ。オリンピックの開催初期は女子の出場が禁じられ男子のみ競技に出場できたこと、女性の種目は設けられていなかったスポーツは多々存在した。トライアスロンは新しいスポーツであり、ジェンダー運動が盛んであった時代に誕生したことも大いに関係していると思うが、このように組織が誕生初期からジェンダー公平であったことは何故なのか、疑問に思った。
この疑問を解消するファーストステップとして、今回はITUが誕生した背景を調べてみることにした。
オリンピック種目になるまで
1989年にレス・マクドナルド氏が中心となってITUを設立するまでにさまざまな奮闘があったようだ。トライアスロンは1974年に米国のサンディエゴ州で誕生した。サンディエゴ・トラッククラブのメンバーが正式に大会を開催したことが始まりであり、その時の距離はラン4.5km+バイク8km+スイム0.4km+ラン3.2km+スイム0.4kmと今の種目とは順番も距離も異なっていた。また、転機となった大会が1978年にワイキキで行われた大会であり、アイアンマンが誕生した。
(参考文献)笹川スポーツ財団「トライアスロンの歴史・沿革」(取得日:2024年8月15日、https://www.ssf.or.jp/knowledge/dictionary/triathlon.html)
ITU設立までの奮闘
トライアスロンをオリンピック種目にするためにはオリンピック憲章に則った国際組織をいち早く立ち上げることが必要であった。その国際組織を立ち上げるため、何度か試みたことが以下からわかる。
1984年 米国が率いる他11カ国が設立を試みたが失敗。同年に欧州トライアスロン組織が設立。
1987年 米国および欧州の組織が一緒に国際組織を設立しようとしたが失敗。
1988年 IOCが “Union Internationale de Pentathlon Moderne et Biathlon” (国際近代五種連合)に加わることを推奨したが、自治権を持つことができず、ガバナンスに不信感を持ったため拒否。
1989年 レス・マクドナルド氏が主導となり、独立した国際組織 “International Triathlon Union”を設立。
ITU設立のため、主導していたのはレス・マクドナルド氏である。彼は1980年初期からスキー、山岳、ロッククライミング、そしてトライアスロンと多くのスポーツで活躍した人物でもあり、ITU設立当時からお亡くなりになる2017年まで会長を務めた。Phelps (2010)によると、レス・マクドナルド氏は女性を含めた民主的な組織を目指していたと記載している。
道のり
Sisson(2005)曰く、オリンピック種目に登録されるためにはオリンピック憲章に記載されている条件を網羅し、国際的な承認を得る必要があった。そのためには、75カ国に連盟が組織されることおよび五大陸全てで男女が公平に出場できる大会が開催されることが必要であった。この条件を満たすために、最初はマクドナルド氏らは他国で国内連盟を設立することに必死で動いた。また、トライアスロンの憲章も国際近代五種連合を参考にしたり、アメリカのトライアスロン組織から助言を得たりしていた。
さらに、オリンピック種目になるためにはメディアも重要な要素であった。そこで、メディアのためにトライアスロンのルールも改定した。改訂されたルールは以下の通りである。
ドラフティングの許可
(背景)オリンピックでは世界を代表するトップアスリートが出場するため、スイムだけではタイムが開くのが難しく、どうしてもドラフティングレースになってしまう(当時ドラフティングはエリートレースでも禁止されていた)。また、ドラフティングを取り締まるためにいちいちバイクに乗ったマーシャルを設置するのは極めて困難だ。そのため、エリートレースではドラフティングが認められることになった。
距離の変更(オリンピックディスタンスの誕生)
(背景)トライアスロン本来の距離をテレビで放映するのは長すぎるうえ、極めてコストもかかってしまうことから放映することが可能である2時間以下にに競技を抑える必要があった。オリンピックの放送のために、スイム1.5km、バイク40km、ラン10kmのトライアスロン種目が誕生したことから、この競技をオリンピックディスタンスと呼ぶようになった。
このような工夫と努力があり、2000年のシドニーオリンピックで初めて男女ともにトライアスロンが正式にオリンピック種目として認可され、開催された。
一方でトライアスリートの中ではオリンピックに加わることを反対するものもいたようだ。その理由は、オリンピック種目にするためには他のスポーツのように国際中央組織が必要であり、そのような組織は競技を厳しくコントロールしようとするためだった。
2つのポイント
ITU設立のため、ポイントになったのはやはり、1)オリンピック憲章、2)レス・マクドナルド氏の想い、この2つである。レス・マクドナルド氏が残した言葉は大きなインパクトを与え、今でもトライアスロン界で受け継がれている。
Sisson (2005)によると、この言葉は以下のように2つの強い思いも象徴していると述べている。
強権的な官僚主義を嫌う
スポーツをやったことない者、アスリート思い出ない者、裏取引に惑わされる者の集まりである古い体質の組織を嫌う
学び
トライアスロンが初期の段階からEDIのコンセプトを大切にし、公平性を重要視し、スポーツにおける国際組織の中でも民主的な意思決定を実施してきた理由について、ITU設立の背景を調べることによって理解が深まった。中でもITU設立までの中心人物であったレス・マクドナルド会長の人間性とポリシーが大きく関わっていることがわかった。彼は民主的な意思決定を好み、男女公平な組織を望んだことからトライアスロンはスポーツ組織の中でもかなり最先端の考えを象徴していると考える。「トライアスロンは今の世の中が目指している多様性、公平性、包摂性のロールモデルである」といい切りたいところだが、そのためにはさらなる研究と根拠が必要だ、、、今のガバナンスがどれほど進んでいるのか(民主的でありジェンダーフレンドリーであるという観点で)調査してみたいと思う。
参考文献(まとめ)
日本語文献
日本トライアスロン連合「トライアスロン」(取得日:2024年8月15日、https://www.joc.or.jp/sports/triathlon/)
笹川スポーツ財団「トライアスロンの歴史・沿革」(取得日:2024年8月15日、https://www.ssf.or.jp/knowledge/dictionary/triathlon.htm
英語文献
Sisson, M. (2005) Interview with Author on 27 May 2005, “Cassette recording in possession of author”
Sisson, M. (2005) Interview with Author on 29 May 2005, “Cassette recording in possession of author”
Phelps S. (2010) “Isomorphism and choice in the creation and development of an international sports federation: a review of the International Triathlon Union” Int. J. Sport Management and Marketing, Vol. 8, Nos. 3/4, 2010, pg. 289
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