マガジンのカバー画像

父の在宅介護の記録

27
2019年から2020年に、膵臓癌で闘病中だった父の在宅介護をしていた時の記事です。
運営しているクリエイター

#膵臓癌

亡くなった父と親しかった方々と話して思うこと~Human-being。Not human-doing

春爛漫。 これを天国というのか!と、自由・解放・快適感を満喫した葉山での1週間を終え、世田谷の両親の住処(父が亡くなったから、母の住処)に、昨日、戻ってきました。 い、息苦しい・・・。 何かと気ぜわしい東京だからか。 寝たきりになった父と3カ月過ごした場所だからか。 幼少期から合わない母と2人だからか・・・・・。 なんてことをつらつらと感じつつも、先々週に、今の賃貸マンションでは、父から母へ名義変更をすることができず、さっさと退去しなくてはいけないということを知り

日本に帰国中 膵臓癌父が再入院&容態が変化してしまった昨日の出来事

11月に膵臓癌が再発し、入院してしばし治療していた父が、残念ながらもう治療がなくなり、1月8日に退院してきました。 しばし、低位安定していた父の容態が、変化してしまいました。 ドレーンチューブに不具合が出てきて、痛みが発生ここ1、2週間、腸液を体外に出していたドレーンチューブの周りから、かなりの量の腸液が漏れ出てきてしまうようになっていました。 ガーゼに漏れ出した腸液が、チューブを通すために開けている穴に触れていたため、穴の周りが炎症を起こしてしまい、「痛い痛い」と言い

大雪ホワイトデーに亡くなった父。在宅介護生活していて驚いたこと

すい臓癌で闘病中だった父が、ついに、3月14日ホワイトデーに亡くなりました。 あり得ない暖冬で、一度もセーターを着ることもない中、突然、東京に雪が降りました。 (寒い寒い雪の日で、「まきの涙か、と思った」と、いつも気にかけてくれていた先輩からメッセージをもらいました。) 父は結構急に脈が弱くなってしまい、病院から連絡を受けて駆けつけましたが、最期には間に合いませんでした。幸い、痛みなく、眠るように、息を引き取ったと看護師さんに言われたのが、救い。 さらに、父の「ねー、僕

膵臓癌で亡くなった父は、おしゃれだったのかー

すい臓癌で3月14日に亡くなった父について、書こうと思います。 何気に「おしゃれ」だったことについて。 遺影を、妹の結婚式のときの、にっこり笑顔の写真にしたんですが、改めてみて見ると、なんともかわいいピンクの蝶ネクタイをしている! これは、妹がハワイでお土産に買ってきたものらしい。 (全然知らなかった・・) 写真の背景を選べたんですが、菜の花の写真をチョイスし、黄色とピンクがなんとも春っぽい。 このにっこり遺影のおかげなのかなんなのか、告別式も、なんかほんわり雰囲気

膵臓癌で亡くなった父の座右の銘は「為さざる罪」

父の短歌仲間である書家の川上さんから、お手紙と色紙が届きました。 闘病中にも、激励のお手紙と、「祈」という文字をいただき、壁に貼ってました。 今回届いた色紙には、「為さざる罪」とある。 「ん?なんだろう、これは?」ポチと2人で首をひねる。 その後、同封されていた手紙を拝読し、この言葉は、「お父様の人生訓のような座右の銘」だったことを知りました。 父の目指した姿は、レオナルド・ダビンチ!父の座右の銘と聞いて思い出したのが、10年前、まだ父が現役でもりもりもりもり働いて

膵臓癌で亡くなった父は、最期まで仕切り屋だった

ブログを読んでくれてるあっこさんから、「お父さんかっこいいね」とメッセージをもらいました。 たしかにかっこいい面もありましたが、とにかく仕切り屋で、しつこいという面も持ち合わせていました。 今回は、いくつかそんなエピソードを思い出してみます。 旅行のときのホテルは勝手に自分好みを手配して、娘に振込指示を出す父父とは、何度か一緒に旅行に行きましたが、まずはホテルへのこだわりが強く、大きくてゴージャスなホテルを好みました。 妹と私の、「こじんまりとしたホテルがいい」という

膵臓癌で亡くなった父よ、あの世でも頑張って!(お肉あげるから)

なんだか朝からお腹が痛いなあ~、なんだろう? そうだ!腹筋だ! 外を散歩するのも少し控えようと、家でストレッチをするついでに腹筋100回したんでした。 痛いというのは、効果出てるってことなんですかね?そう信じよう。 さて、今日は、アメリカのがんセンターでナースプラクティショナー(上級看護師)として働いている友人のブログを読んで、父の死について思ったことを書いてみます。 「末期」というのは、どういうことなのか?膵臓癌を11月に再発した父は、年を越せることはないだろうと

日本に帰国中 膵臓癌父の介護生活ってこんな感じ(午前編)

11月に膵臓癌が再発し、入院してしばし治療していた父が、残念ながらもう治療がなくなり、退院してきてから、今日で47日目。 毎日、夜寝る前に、1日に何したか&感想をメモしてます。 今、見直してみると、「へー、こんなことしてたんだー。」「え、こんな感想書いてる。いいこと言ってるじゃん!」みたいな、かなり遠い日のような気分。 まとめてブログに書こう書こうと思いつつ、先延ばしにしてきました。 まとめないで、とりあえず、昨日、ぞろめ(令和2年2月22日)に何をしたか、書いておく

日本に帰国中 膵臓癌父の介護生活ってこんな感じ(午後編)

11月に膵臓癌が再発し、入院してしばし治療していた父が、残念ながらもう治療がなくなり、退院してきてから、今日で47日目。 午前編に続き、午後の生活は、こんな感じでしたー。 今日の生活(=生きるための活動)夜ご飯まで編13時に、訪問看護師さんが来られました。 今週は、毎日来てもらってます。 先週までは、月曜、火曜、金曜に看護師さん、木曜にお医者さんに定期的に来てもらっていました。 先週、腸液を体外に出すための管を通すための穴の周りが炎症を起こし、激痛発生。 夜中に緊

膵臓癌の父への感謝&思い出ノート作成プロジェクト

11月に膵臓癌が再発した父が、病院での治療がなくなり、1月8日になんとか退院してきました。 そもそも、12月19日に日本に帰国するチケットを取っていたのが、19日までもたないかもしれないからもっと早く帰国できないか、と妹から連絡を受けました。 で、慌てて、どたばた12日に日本に到着しました。 そこから、まさか、退院できることになるとは誰も思っていませんでした。 父への感謝プロジェクト開始!ふとした思い付きで、「父への今までの感謝を、文字にして渡さない?」と妹に打診。

日本に帰国中 2020年インフルエンザでお正月を迎えた

2020年新年早々、インフルエンザでダウン・・・・。 12月30日に、妹と一緒に東京丸の内にあるオアゾの丸善でうろついてた時から、くしゃみと鼻水。 その後、だんだんと全身の筋肉がちょっと痛くなってきて、ほぐしてみようかと夜ストレッチしてみるものの、異常ーに硬い。 特に太ももの裏ががちがち。 でも、関節は痛くないから、インフルエンザではなく、単なる風邪だろう、そうであって欲しいと祈りながら床に着く。 大晦日も、全身なんとなく筋肉痛。 熱は37度6分と、高熱まではいか

膵臓癌の「人骨の標本」姿の父が突然退院し、介護スタート!

インフルエンザで幕開けした2020年も、あれよあれよと、26日目。 【2020年の全体運】変化を恐れずに、自然の流れに身を任せて:最初は変化に戸惑うことがあっても、なるべく自然の流れに任せたほうが万事うまく収まります。 参考記事: ふと気づくと、なんだかこんな感じで進んできたことにびっくり。 わたしはいつ、なんで日本に一時帰国したのか思い出してみるとなんだかもうずいぶん長いこと日本にいるような気分ですが、1か月半くらいなのか。 膵臓癌を再発した父と一緒の時間を過ごす

膵臓癌父の退院日の様子はこんな感じ

1月8日(水)15時、父が病院を出て、家に帰ってきました。 普通に、ただ歩けないという状態ではなく、体力がなくなってしまって座ることもできないので、無事に退院してこられるのかしら・・。 退院は、車椅子ごと乗り込める大きな介護タクシーですが、何かあって途中で病院に逆戻りするケースもあり得ます。 もはや、なんでもあり状態。 さらには、正月早々私の身体を蝕んだインフルエンザ菌が、抜け切ってるかも若干心配でした。 関連記事: なぜか、父も母もまったく心配してなかったんです