【偉人を支えた人たち】発明王エジソンの母ナンシー
こんにちは!
前田です。
前回、発明王エジソンについて学びました。
その中で、偉大な発明王エジソンが、自身の信じる道を貫けた背景に、母親ナンシーの存在があることを知りました。
私も大人になればなるほど、多くの人に支えられながら、ご縁のおかげで今の自分があるということを、感じています。
道を誤りそうになったときなどに、向き合って正してくれる。
挫けそうになったとき、世界中が反対しても、唯一信じ抜いてくれる。
そんな存在がいたからこそ、今の私があります。
その想いを感じているからこそ、次は自分が背中を見せていく側になりたいと思うようになりました。
今日は、エジソンの母、ナンシーにまつわるエピソードを見ていきましょう。
幼いエジソンは何にでも疑問を持ち、聞いてまわる子どもだった。6歳で通い始めた小学校では、落ち着きがなく、質問ばかりして迷惑だと言われてしまう。憤慨したナンシーは、エジソンを学校に通わせず、自分が先生となって教えることを選んだ。
ナンシーはエジソンの疑問を一切否定せず、一緒に考えた。卵を人間が温めてもひよこが孵るか、自分たちのポケットに入れて実験をしたり、考えてもわからないことは辞書で調べたりと、ふたりだけの教室は発見で満ちていた。
さらにエジソンの疑問を解決できるような本を次々と与え、地下室で実験をすることを許した。
ナンシーはきっと、エジソンの好奇心を「素敵な才能だ」とはっきり思っていたのでしょう。
そして世間体を気にすることなく、息子のことを第一に考えていたことが伝わってくるエピソードですね。
その一方で、エジソンが好奇心から麦を貯めておく塔に落ちかけたり、川で溺れたりしたときは、樫の枝で叩いて厳しく叱った。
そして夜には、息子が無事だったことを神に感謝し、祈りを捧げた。祈る母の姿を偶然見かけたエジソンは、その姿を生涯忘れることはなかったという。
「過度な甘やかしは、愛情ではなく暴力である」とよく言いますが、なんしーもまた、息子の身の安全を何よりも大事にしていました。
エジソンの日記には、「苦しいときは、私のすべてを受け止め、支えてくれた母の笑顔を思い出し、その無言の励ましに勇気づけられていた」と書き残されている。
私がお世話になっている先輩も、
「人を叱らないといけないとき、叱られている側は、殴られたかのように心が痛むかもしれない。
しかし叱っている側は、ガラスの破片を握りしめて、あなたを叱っているのだ。手のひらを血だらけにしながら、それを見せずに叱ってくれる人を、あなたは大切にできていますか?」
とよく教えてくれました。
エジソンが発明王と呼ばれるほどにまで、発明を追究できたのは、間違いなく母親ナンシーなくして為し得ないことだったでしょう。
そして私たちも、きっと多くの人に支えられて、これから色んなことを為していくのでしょう。
私も、そのことへの感謝を忘れてはならないと、ナンシーの話から学ばせて頂きました。
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