ジャック・ラカン 『エクリ』、あるいは『エクリ』との格闘法

(2020年の31冊目)

日記には『エクリ』を読み始めた日が記録されている。3ヵ月以上かけて読了したようだ。キツかったね……。邦訳のひどさに定評がある『エクリ』だったが、予想以上の意味不明度だし、フランス語が読めない読者は、手元に英訳を置いておくと良いと思う。はじめから英訳で読めばスムーズかもしれないが、そこまでの気力はないため、気になった個所を英訳で確認、ぐらいのノリでしか活用できていないが。

でも、ブルース・フィンクによるこの英訳は驚くほど明快に訳されていることが多い。また、『エクリ』邦訳の問題として、現在定訳となっている述語が当てられていない問題がある。邦訳で「欲求」となっていたら、それは「欲望(désir, desire)」だし、「欠乏」と書かれていたら「欲求(besoin, need)」だ。

あと「主体の転覆と欲望の弁証法」という有名な論文(邦訳のタイトルは「フロイトの無意識における主体の壊乱と欲求の弁証法」)については、向井雅明の『ラカン入門』でもこまかく整理されている。

重要な論文らしいのに日本語の壊滅具合もかなりのものなので、いっそ入門書のほうを頼りにしたほうが良いのでは、とも思ったが、この入門書の記述自体が結構むずかしい、というか、体力がいる。

あと人名とかも結構邦訳はひどい。アレクサンドル・コイレが「コワレ」って書かれてて結構衝撃を受けた。古い訳にあまり文句をつけても仕方がないのだが、言及されている人物がだれなのかもちゃんと検討していないで適当に訳してるのか? もっともわたしが持っているのが、全部初版なので(大学図書館の除籍本を買った)いまのヴァージョンでは改善されている可能性もあるのだが。

で、これ、ラカンの主著と言われてる本なので、てっきり症例分析とかがっつりやってるのかと思ったら、全然違うのね。半分か、1/3ぐらいは、精神分析家はどういう風に臨床に臨んだらいいのか、とか、精神分析家を育てるためには、みたいな話をしている。それは収録論文の多くが、精神分析家に向けた講演とかをもとにしているので当たり前なのかもしれないが、予想と違ってた。ただ、その精神分析家はどうクライアントと対峙すべきなのか、みたいな話の「わかる」部分は、コンサルタントとして働く自分の身の上にも共通している気がするような部分があるような気がするような……という感じであって面白い。

あとはもう入門書で書かれてたことの確認とかだよなあ……正直。邦訳の第3巻では「欲望は〈他者〉の欲望である」みたいな話が複数の論文にまたがってでてきて「これ、これ、入門書で読んだわ~」となった。

あと読むにあたっては、東浩紀を振り返ったりしてもいた。

ラカンについて触れられている部分はわずかだが、その整理は明快でとくに「≪盗まれた手紙≫についてのゼミナール」でつまづかないようにするのには役立つだろう。

とりあえず『エクリ』を一周したことで、自分の実力不足(いったい何を目指しているのか、って感じだが……)は再認識できたので、ジジェクなどのルートも活用しながらもう少しラカンの山を攻めてみたいと思っている。

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