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僕は英語がしゃべれない

MBAコースの最終課題となる修士論文が書きあがった。あとはプリントセンターで出力して提出すれば、1年間のイギリス留学生活が終了する。

MBAは「自分を見つめ直す機会」だと言われる。多くの学生が、キャリアチェンジを図って、しばらく勤めた仕事を辞め、転機を探すためにここに来ている。研究を目的とする他の大学院との違いは、アカデミックな学びよりも自分と言うフィルターを通した学びが中心になる。そういう意味では、自分という存在を見つめたし、異国の地で17カ国から来たクラスメイトと過ごす日々で、日本人であること日本国という存在を強く意識した1年で、得たものはあったと思う。

でも、友人や会社に「なんで留学するの?」と聞かれたときも、受験の際の面接や志望動機書にも、いろいろなもっともらしい理由を書いたけど、それは嘘じゃないけど、本当の目的は「英語がしゃべれるようになりたい」だった。

ただ英語がしゃべれるだけだろ?

この数年、英語がしゃべれる人に強いコンプレックスを抱いてきた。英語がしゃべれれば、英語が公用語とも言えるインターネット上でもっとたくさんの面白い情報を調べられ、特にアメリカ発の良質な映画やドラマをニュアンスレベルまで楽しむことができ、世界中に仲間や友達ができ、就職の機会も無限に広がるように見えた。外資系のクライアントの素敵なオフィスで、グローバル案件を担当する人を「たいして仕事はできないくせに、ただ英語がしゃべれるからって」と嫉妬の炎を燃やした。自分もバブル期に父親が海外勤務で帰国子女だったらなぁと今頃願っても遅い。

やるしかない。英語環境に身を置くしかないと決意し、考えた結果、行き着いたのがMBA留学だ。単身だったら、外国人の彼女を作るなり、バイトでも良いから海外で就職するなり、もう少し無茶な選択肢もあったかも知れないけれど、一家の大黒柱、2児の父の40歳としては精一杯の冒険だった。決して簡単ではなかったけど、もともと勉強は割と得意な方。無事、受験に成功し留学を果たした。実際の授業も障害は英語だけだった。授業の前日に教科書やスライドをしっかりと予習し、教授が何の話をしているのかが分かれば内容は問題なかった。試験や課題の成績も良い方だった。グループのディスカッションも、前日に自分の意見をまとめて書いて当日持参し、多くの場合、自分の意見が通った。多くの時間と労力は費やしたけれど、MacOSの「辞書」とGoogle翻訳のおかげもあって、1年間の学生生活はどうにかなった。

日常会話が最難関

それでも、まだ、英語がしゃべれない。どちらかと言うと読めるようになったし、書けるようになった。でも、聞きとれないし、言いたいことの全てまでは言えない。英語しゃべれるの?って質問に「日常会話程度なら」って答えはよくあるけど、その日常会話に苦労している。例えば、美容室で髪を切ってもらいながらの雑談。「こう切って欲しい」という主題は、事前にも準備してあるから伝えられるんだけど、その後のどうでもよい雑談パートがほとんど理解できず愛想笑いを浮かべてしまい、悔しい。

先日、クラスメイトが集まるパーティがあった。そこできれいな英語を話す中国人の女の子に、自分のこの悩みを打ち明けた。「え?でも今、わたしとしゃべれてるじゃん?英語がしゃべれなくて悩んでるって英語で言えてるじゃん?」と明るく言われた。確かにそれかも知れない。「しゃべれない」と思い込んでるから、しゃべれるようにならないのかも知れない。残り滞在期間はもう1ヶ月しかないけど、ここから考え方を切り替えて行こうと思った。ただたくさん聞いてたくさん喋る、実践の機会を少しでも多く持つしかない。がんばる!

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