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わかってもらうということ

noteのニックネーム、本名から変更しました。
本名でネット検索にかかってしまうと少し都合が悪かったので。
(お前のことなど誰も検索していないですね。わかります)


自分の考えを他人に伝えるということが、これほど難しいことなのかと最近ひしひしと感じる機会が多いです。
じゃあ前はそんなこと感じなかったというと、そういうわけじゃなく、もう少し単純で誰もが想像つくような、そういうコンテンツでのコミュニケーションが多かったからなのかな。

初めて会った人に自分のことを伝えるという状況は、もはやミッションと呼ばれるレベルの処理に思われる。僕にとって。
そりゃ面接や、自分がこれからやりたいことを説明することが難しいのは言うに及ばないわけです。
ヒトを巻き込んで色々な活動をしている人が多いですが、これも僕からしたら、モーセやキング牧師レベルのカリスマがないと出来ない。
本当にすごいと思うし、うらやましいと思う。


じゃあ何がそう難しいのか?
例によって、自分の傾向を考えてみた。

①説明する言葉が多くなる。
②どう伝えたらいいかを考えすぎる。
③話すテーマ自体が難しい(時がある)。

大きく分けて上記3つ、これをもう少し砕いてみる。


①説明する言葉が多くなる。

①-1:単純にボキャブラリーが不足している。
①-2:わかってもらおうと考える余りに、本題にかかる前前前段階くらいから説明しようとする。
①-3:話す順番に誤りがある。


②どう伝えたらいいかを考えすぎる。

②-1:突っ込まれたくない。
②ー2:スマートだと思われたい。
③-3:相手の予備知識に関する自分の想定が誤り。


③テーマ自体が難しい。

③-1:世間で認知されていない。
③-2:そもそも自分が整理できていない。 


僕がリスペクトしている人が言ってました。
伝えるとは、
“理解して、納得して、行動してもらうこと”


 “改めて、人はどのように言葉を理解するのか”
 「(わかるとは)あらかじめ頭の中にテンプレートという、その人なりの『考えの脈絡』のようなものがあって、外から来たものがそれにピッタリ合致する、ということ」
 相手がわかる言葉に置き換えるということは、頭の中にあるテンプレートに合致させるということなのです。
 更にもうひとつ、大切なポイントがあります。それは「頭の中にあるテンプレートは人によって違う」ということです。
 人間は、言葉が情報として入ってきたとき、実は文字列で理解するのではない、ということをご存知でしょうか。その文字列をイメージに変換して理解するのです。
 だから、全く知らない言葉など、イメージに変換できない言葉は理解することが不可能なのです。この変換したイメージを認知心理学では「心像」と呼びます。
 そしてイメージに変換する時には、同時にそこから連想する情報も思い浮かべます。この連想した情報は「スキーマ」と言います。
 例えば、「遠足に持って行きやすい果物を用意しました」と言われたら、多くの人にはバナナというイメージ(心像)が思い浮かぶのではないでしょうか。そして同時にバナナから連想される、「ナイフがなくても皮がむける」「種がないから食べやすい」といった情報(スキーマ)も浮かぶことでしょう。
 これで、実際にはリンゴとナイフを渡されたら「??」となりますよね。でも、世の中には「リンゴは傷みにくく持ち運びしやすいから、遠足に向いている」と答える人もいないわけではないのです。
 つまり、「わかりやすい」言葉の正解は、相手によって異なるということなのです。


「伝える」時に相手を考えることは最低条件なのかもしれません。
でも、相手を考えすぎて、言葉を迷いすぎて伝わらないということは、本末転倒ではないでしょうか。
それならば、いっそ自分が伝えたいコトに集中してもいいんではないかなと思う今日この頃です。

「わかりやすい」言葉の正解は相手によって異なる。

のなら、尚更そうとも思えませんか?



<今後の処理方法>
・シンプルに結論から語ってみる(アウトプットを洗練する)
・相手を思いすぎない(言葉を選びすぎない)
・読書量や人との会話を増やす(言葉に触れる機会“インプット”を増やす)
・カッコつけようとしない(正直になる)
・③に関しては短期的に解決するのは難しそうなので、いっそこれから
 も悩んで考え抜く(常に頭に問いを立ててみる)

ものすごく月並みな対策になってしまいましたが、要は月並みなことが出来ていなかったということなのでしょう。ね。


あ、あともう一つ。


・伝わらないときは、いっそあきらめる


ことも忘れずに。

いつも読んでくださって感謝します。 医療業界のアグリゲーターになれるように頑張ります。