英語学習者でフリーランスデザイナー、初めてのアメリカとFigma Config 2020で個人的に奮闘した話 - 4・5日目 チャイニーズパレードと帰国
チャイニーズパレード
4日目。2月9日は、中国の旧正月を祝うチャイニーズパレードが盛大に開かれるため、17時までにホテルに帰る。私が泊まっているホテルは、パレードのスタート地点のため、普段は人・屋台であふれるらしい。
SF MOMAを16時50分頃に出る。ホテルまではだいたい5分。
かなりの人混みを想像していた。
が、この日は2020年2月9日。まだコロナが中国で猛威を振るっていた頃だったためか人通りはこの日滞在した中で一番少なかった。
この日のために中国から来た買った人もいたんだろうなと思った。
ホテルの部屋に到着。
私の部屋はパレードの通りに面していたので、旅と出張の総括にのんびり見ようと、窓の縁を片付け食べ物を準備。ぼんやりと待っていた。
ところが、開始直後、この部屋はほぼスタート地点でホテルの前に立つ木さえ気にしなければ全体が見れる好ロケーションだと知る。
これだから旅の初心者は!
窓の縁に置かれてたクッションを戻し、その上に空いてないミネラルウォーターを2本起き、間にスマホを挟んで固定。スマホの後ろに本を置いてアングルを調整すること恐らく20分。遅ればせながらムービーを回し始めた。
一部とったムービーはこちらです。
https://youtu.be/ixC6kTXQTYY
この状況下、恐らく日本であれば開催しない可能性が高いと思ったが、ここで開催する決断をするあたりが、アメリカで一番リベラルな街、サンフランシスコが持つ魅力なのかと思った。中国へのエールだったのかなと個人的に感慨深くパレードを見ていた。私自身あまりパレードに興味がないのだが、とても印象的だった。
パレードも見終わったのでとうとう明日には出国だ。なんとか無事に帰れそうと眠りにつく私は最後のトラブル(?)があろうとはこの時思わなかった。
チェックアウト
朝。ルームサービスの朝食が届く。
産まれてこのかた、ルームサービスなど使ったことはないが、英語を使いたくて昨日の夜はアルコールを、朝はパンとカフェラテを頼んでいた。
どちらも料金は高めだったが異様に美味しかった。特にペストリーとカフェラテが。カフェラテはミルクがフワッフワで日本でここまで美味しいものは飲んだことがなく、本場の味に満足した。
泊まったホテルについては別記事で。
(美味しかったルームサービス)
パッキングの確認をし、朝10時ホテルをチェックアウト。
部屋はよかったか聞かれ、にっこり笑顔で良かったと返した。ルームサービスの料金はデポジットから落として良いかなど聞かれ、良い旅をと身を乗り出して何度か言ってもらい、ホテルを出る。
ホテルのドア付近で配車サービスでドライバーとマッチング。ここで外に出た。私の他に待っている人は3組ほど。
突然、綺麗な身なりのホームレスの人がうやうやしくホテル正面でお辞儀をした。私の左側で家族の荷物番をしていた少年と同じタイミングで私は身を隠した。
すると、ドアマンがやってきて、綺麗な100ドル札束を懐から取り出し、見えるように数枚数えて彼に渡した。日常的に行われてる光景なんだなと思った。
スマホを確認すると私が頼んだドライバーが着いたみたいだ。
私に向け、手を挙げた人の方向を見て私は固まった。
風貌が違いすぎたからだ。
配車アプリで最後のトラブル?
アプリのサムネールでは、ドライバーは短髪で清潔でパリッとした30代男性だった。ドライバーの評価も5つ星満点で4.9。が、そこに現れたのは髪とヒゲを伸ばし倒した男性だった。目元で同一人物だとはわかったが、車も汚れている。これは、キャンセルするべきだろうか。
ただ、手を振る感じと、見つけた〜という笑顔にそこまで違和感を感じなかったため、思い切って足を進めた。ホテル玄関にいた人々の、君乗るの!?という表情を横目にドライバーに挨拶した。
荷物を積んでもらい、車のドアを開けた瞬間、私は後悔した。
嗅いだことのない強烈な匂いがした。身なりに構わなくなる、そして強い匂い。これはたぶん日本でやってはいけないアレをやってる人なんだろう。
体の良いキャンセル方法が分からず(今思うと、ホテルに忘れ物をしたのでキャンセルさせてほしい、と言ってチップを渡すのが一番良かったのだろう)、覚悟を決めて乗り込んだ。
車内でUberとGoogle Mapを立ち上げ、文字をタイプする振りをして黙り込む。未経験の事態に、動揺していた。ホテルから空港への道は覚えていたので、車窓を見ながら確認。空港には向かっているらしい。
突然、ドライバーに話しかけられた。動揺も手伝って、全くわからない。
何度か聞き返すうちにあちらがヒートアップしてる。うおお、私のHPとMPがゼロに。噛み合わない理由はわかっているが、私にはどうすることもできない。先方が機転を聞かせて「どこに行くの?」と聞いてくれた。「日本」と答えると、解説してくれた。サンフランシスコ国際空港は国内と国際で駐車ターミナルが違うから、ターミナルを聞いていた。高速で道路が枝分かれするのだ。私たちのやりとりが終わったのはその標識が見える寸前だった。たぶん、最初はターミナル?と言ったんだろう。
動揺で消耗してたが、落ち着いてミラー越しに彼の目をじっとみて「Thank you for your kindness」(kindnessを強調)と言った。満足そうだったので、感謝が伝わり安心した。
「僕、日本がどこかも知らないよー」と独り言を言っていた。
いい人で良かった本当に。でも、お願い、ヒゲ切って…。
無事空港に。「良い旅を!」と超爽やかな笑顔で送ってくれたが、ヒゲで魅力半減だ。切って本当に。「You, too!」と動揺が残る中答えてしまい、ドライバーに怪訝な顔をされ、何事もなかったように「Have a nice day!」と付け加えた。満足そうな笑顔で車に戻っていった。
本当に疲れたが、日本に戻れそうな感じが出てきて、美しいサンフランシスコ国際空港の玄関と青い空を見上げた。
フライトは14時頃。あと3時間位ある。
JALのカウンターが空くまで、空港内のSF MOMA Storeに入り浸ることにした。自分のおみやげがなかったので、その場でググって最近の出版でAmazonで評価の高かった「User friendly」という本を買った。
(SF MOMAストア店内で日本の本を発見)
あと、何となく勢いでボールペンやお土産を足した。SF MOMA Storeの人はやっぱり親切だった。
JALカウンター→保安検査→免税店→そして出国へ
JALのカウンターが空き、そこでチェックインだ。スチュワートのお兄さんがレディファースト的な案内をしてくれて、すごいなと思ってるところ、英語で話しかけられた。ちょっと英語もういいです、というのが顔に出てしまった。日本語に切り替えてくれた。ありがたや。
チケットを受け取り、保安検査に向かう。
アメリカは入国は厳しく、出国は緩いと聞いてたので、軽い気持ちで並んでいたが、靴・上着脱いで、電子機器は全て出せという言われた。日本より厳しい。そしてアジア人が見渡してもいない。少し不安になってきた。
いそいそと靴と上着を脱いで、電子機器を出す。私の持ち込み電子機器は多い。ラップトップ・一眼レフ・コンパクトカメラ・iPodだ。カゴに並べるをみんな不思議な目をしてた。ITっぽくないからな、自分。
検査員の人に「このラップトップは君のか?」と言われ、「はい」と答えた。他の人は聞かれてなかったがなぜだろう。
金属探知機を通ると、念入りにボディーチェック検査が行われてる。自分もバリバリ受ける気で、係員の前でニコニコしながら手を広げたら、それはいいから左手を見せろ、という仕草をされた。時計外すの忘れてたので、時計を示すとすんなり通してくれた。
ここまでくるとあとは食事をして飛行機に乗るだけだ。ここでクラムチャウダーを食べたかったのだが、いくら歩いてもみつからない。時間も迫ってきたので、諦めてたところに、行きたかったPete Cofee(スターバックスの創業者に豆の知識を教えた人がやってる珈琲店)があったので、そこでラテとプロテインバーを買った。ワンオペでやってたせいか、何か違う感じだった。
がっかりしてると、隣がクラムチャウダーのお店だった…。
次来た時にリベンジを近い、搭乗口に向かった。
JALの乗客はアジア人。アメリカとはいえ、もう既にここはアジアなのだろう。皆、マスクをしていた。
行きの飛行機の反省(真ん中で身動きが取れない)を活かし、通路側の席を取る。ホテルのアメニティで使い捨てのスリッパが異様に良かったので、靴を脱いで履き替える。片隣に人がいないというのはとても楽だ。
今後はずっと通路側だと思ってるうちに飛行機は日本に向けて出発した。
帰国・まとめ
飛行機が気流に突っ込むという判断を機長がして揺れるという話だったが、飛行機酔いなどなく無事に帰国した。
荷物を受け取り、関税書類を出し、Wifiを返して帰路で現地でお世話になった方に着いた旨を報告し、旅が終わった。行きでノロノロやっていたことがスムーズに終わり、慣れはすごいと思った。
アメリカ通貨がだいぶ余ったが両替は行わなかった。着いた時は、1人で計画・実行がハードすぎてもうしばらくは、思ってたが英語をやってる以上また行きたくなると思ったので、敢えてしなかった。
出張・旅行から帰ってきた2ヶ月がすぎた。時が経つと、やはりトライしたのは良い思い出になり、1ヶ月も経つ頃にはまた行きたい、と思っていた。
アメリカと日本は明らかに違う。風景をとっても人を取ってもやっぱり、大国という印象だった。(様々な問題はあるものの)すごくカラッとしていて、この世の春を謳歌してる印象だった。
私が行った当時は、まだコロナはアメリカでは完全にアジアの謎の病でダイアモンドプリンセスのことがニュースで報道されてるだけであまり関係がない、という感じだった。
2020年4月19日。
やっと旅の日記の感想を書き終えた。
世界は緊急事態の真っ只中だ。
当時はこんなことになるとは思ってなかった。
在宅勤務をしつつ、インフラを守ってくれる方々に感謝しながら、食事の買い物の時だけ外に出て粛々とできることを守っていくしかない。
私が2月に行った世界は恐らくもう戻らない。
ここから5年は、国内旅行でなく海外にと思い、初めに選んだサンフランシスコだが、私の望みは叶わない気もしている。
今の状況下で当時の気持ちを書くこと自体、浮かれてる感じが出るので迷ったが、できることなら次行けるチャンスがあることを願いながら、自分のできる事を守った先に希望を抱くのは間違いでないと思っている。
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