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【君の心が叫ばなくなる前に一人でいい、味方になってくれたなら】(それはそれとしていじめ反対)

昨今、ちょくちょくいじめによって亡くなられた学生さんのニュースを朝のテレビで見かけます。正直いって辛い、悲しい、いつの時代であろうとどこの学校でも普通に有り得てしまう〖いじめ〗はひらがなたった3文字に収まらない悪質な行為だと言うのに無くならないのはなんでなんでしょうね。

自ら命を絶つことを選んでしまえるほど、幼い心は踏み躙られる、嬲られる、そんなことをされるほどの〖何か〗を被害者はしたのですか。

『お前の存在なんかこのクラスに要らない。出ていけ!』
これはかつて浴びせられたクラスメートの男子の言葉でした、きっかけは担任の先生から皆への内緒の約束事。
『●●●できたら、次の体育の時間をみんなの好きなドッチボールにしよう』そんな内容でした、クラスは大いに喜びました。けれど他クラスにその話が流れてしまい『ズルい』という批判が相次いだのです、その件が漏れたのが何故か『ナマケモノが喋ったんだ』『ナマケモノのせいだ』『ナマケモノが悪い』という流れになったのです。
これよりも前からいじめと思しき嫌がらせがありました、教科書も無くなりました、机を並べるのすら嫌がられました、とばっちりを受けたくないが故に助けてくれる人はほぼ居ませんでした。

直接的に暴力を振るわれるより、言葉の暴力の方が辛かった。常に耳に転がってくる否定、嘲笑、そういうもののおかげで少しずつ心の中の枝が折れていくのです。実際死ぬことを考えるほどに。

私は幸い教頭先生がいてくれたおかげで辛い日々を抜け出せました、しかしじゃあ何もかもなかったことになるのか?
否、有り得ません。言われた言葉は心に突き刺さったまま、折れた枝は折れたままなのです。

理不尽に苦しめられて、しかし肝心の頼りになるはずの教師若しくは学校がいじめの事実を認めません。何故ですか?学校の評判が悪くなるからですか?加害者の未来が大事?では被害者の未来はどうでもいいのですか?数の問題ではありません、『ひとりの人間の人生』を髪を丸めてゴミ箱にポイ捨てするかのように簡単に考えないで。

そんな御託を並べる教師よ、あなたのそれは犯罪に加担してるのと同じなのです。少なくとも私はそう思います。

いじめ被害に遭われた皆さん、まだ自分を捨てないで、どうか待って下さい。生きることに望みを見い出せないでいても、立ち止まってください。疲れたなら休んでいい、悲しいなら泣いていい、辛いと喚いていい、逃げても良いのです。
あなたの心は加害者や傍観者のためにすり減らす為のものではありません、あなたの為の、あなたの生命です。逃げても、それを責められる言われは無いのです。

どうか、どうか、まだ投げないで。

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