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純な日本家屋は

こんにちは、アラカンのおかんです^^ コロナで経営していたゲストハウスのお客様がほぼゼロに😵日々悪戦苦闘しながらもほっこりしたものを書いていきたいと思っています😄

寝ながら星を見たい

おかんの家は古い木造住宅です。父が郷里の宮大工さんに頼んで建てた家で当初は超日本建築で全室、障子と畳で、床の間や雪見障子までありました。雪見障子とは、障子の下半分がガラスになっていて、障子を閉めても外の景色が見える障子のことです。西洋風が好きな中学生だったおかんは、あるリクエストをします。それは「自分の部屋は天窓が付いていて、星が見えるようにしてほしい」と。出来上がった家を見て、「何、これ!」そして自分の部屋を見て、「ええー、約束と違う」と両親に抗議をしましたが、時すでに遅しでした。そこも純和風な畳の部屋に障子だったのです。

ここはお寺か

その宮大工さんは腕をふるって、太い一本柱を随所に使い、釘を使わないで木材に切り込みを入れてはめ合わせて、骨組みを作りました。部屋は全室、襖です。一階の二間続きの部屋は、襖を開けると一つの部屋になります。その奥に畳二畳くらいの床の間があります。その風景はまるで、お寺の本堂のようでした。父はそんな家が自慢だったようです。

じゃりじゃり

「じゃりじゃり」と背中でこすれたところに、砂が。本でも読もうと床に座って壁に寄りかかると砂壁が落ちてきます。この家は砂壁が全室に塗られた家だったのです。うっかり寄りかかることはできません。障子も陽の光はやわらかです。が、何だか暗くて、障子を開けると直射日光が入ってきます。そして、電気のコンセントが居室にはなかったので、照明器具のひもをひっぱって、電気を付けたり消したり。寝る時はわざわざ布団から出て、ひもを引っ張りにいくのがめんどうなので、長いひもを付けて消していました。というわけで、実際に住んでみると不便な家なのでした。

移り変わる家

最初は居間と台所のリフォームを始めました。母はその当時現役バリバリでしたので、居間と台所をLDKにし、カウンターを設けて、台所から居間の様子がわかるようになりました。続いて、水回りの浴室、トイレ居室とリフォームを重ねていきました。一階の二間続きの部屋は障子をカーテンに変えただけで、そのままでした。

母搬送される

しかし、ここでハプニングが起きます。母が倒れて、救急搬送されたのです。それはおよそ、8年前のことでした。母はそのまま手術を受け、集中治療室で全身麻酔で18日間眠っていました。記事でも触れていますが、家に戻っても車いす生活になるでしょうと、主治医から告げられたのです。

本領発揮じゃ

ここでおかんは「火事場のバカ力ならぬ、火事場の底力」を発揮します。午前中は大工さんが入ってその二間の部屋を、畳からコルクタイルにする工事が始まりました。押し入れもクローゼットに。段差のあるところは、スロープにという現場を見届けます。午後からは母の元へ行き、主治医と現状やこれからの治療を話し合いました。おかんが毎日顔を出すので、先生もいろいろ相談に乗ってくれたのは今でも感謝しています。そして夜になると、母の治療のセカンドオピニオンがほしくて、インターネットで情報を調べるという日が続きました。また、古くなった砂壁を漆喰に塗ってほしくて左官屋さんがやってきますが、「このまま塗ると漆喰が付かないからいやだ」と言われます。それならば、自分で砂壁を落とそうと、夜中にスチールの金たわしを持ち、砂を落としていきました。粉だらけになったのはいうまでもありません。漆喰は無事に塗られ、オフホワイトの明るい壁になりました。

こうして、純な日本家屋は時とともに、変わっていきました。母は今、その部屋をベッドルームにしています。おかんのDIYなおとめ心は、その頃より芽生えていったのでした。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。スキやフォローもしていただけると励みになります。それではまたね。ばいばーい😃







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