ばあちゃんの存在と私の半生④
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(13)姉への怒り
結局、私は適当な会社を見つけ、就職をした。電話営業の、ちょっとグレーなやばめな会社だったが、そんなことはどうでもよかった。
在籍確認のおおよその予定から逆算し、小さな安アパートの一室を借りた。在籍確認のみで保証人不要のアパートだからか、外国人の人やちょっと怪しげな人がちらほら見えたが、それもどうでもよかった。
徐々に荷物を持ち出していく。やることがあれば、気持ちが少し楽なこともあった。
それでも、父の暴言が特にひどかったある日、私の心がすっかり折れた時があった。やるせなくてつらくて、もう死にたかった。
力なくそれでも前に向かって歩く足が止まってしまいそうな、しんどさ。頭がいっぱいで苦しくて、しんどくて、しんどい。
どうしても耐えられなくなった私は、ふいに姉に電話をかけた。
状況を分かってくれるのは姉しかいない。
声を聴きたかった。
お姉ちゃん、って甘えたかった気がする。
そのはずだった。
ところが、既に恋人と平和を手に入れていたのんきそうな姉の声を聴いて、何かがぷつんと切れた。
そして、突然興奮して怒りをぶちまけてしまった。
火が付いたように、自分でも驚くほど急に号泣しながら激怒しはじめたのだ。
「お姉ちゃんは幸せでいいね!お姉ちゃんのせいで私は大変なのに!
なんで私を置いて行ったの?私はどうしたらいいの?
お姉ちゃんが置いて行ったからだよ!お姉ちゃんがいなくなったから、こんなにひどくなったんだよ!
いつまでこうしていればいいの?おばあちゃんが死ぬまで待てばいいの?
お姉ちゃんは自分だけ良ければいいの?連れて行くって言ってたじゃん!うそつき!どうして一人にしたの?置いていかないでよ!
ひどいよ!大嫌い!!」
何かの帰り道だった。
夜で人通りは少ないが、普通に道路だった。
涙も鼻水もひどかった。
姉がとても憎く感じた。あんなに好きな姉だったのに。
泣き叫びながら、今まで笑顔で何度も飲み込んできた恨み言を、初めて口に出してひたすら浴びせ続けた。
大好きな姉をこんなに恨んでいたとは、自分でも驚いていた。
驚いた姉は、止まらないその暴言を全て飲み込み、私が落ち着いてから話を聞いてくれた。
そして全てを聞いた姉は、状況を察した。
「私はね、弥生ほど、親にも祖母にも思い入れが無いんだよ。そんなに優しくなれないよ。好きじゃないもの。自分の大事なものがあれば、割り切って、捨てていいと思っているよ。でも、それが弥生には難しいんだよね」と、淡々と話した。
そして姉も泣きながら、「私は、家族は嫌いだけど、弥生だけは大好きだよ。連れていけなくて、本当にごめんね」「弥生はもう、無理しない方が良い。家を出ていいんだよ」と。
ばあちゃんのことをしきりに話した。
この状況じゃ後できっとひどい目にあう。
でも私は近くにいなければ守れない。
見捨ててしまうことになる。
でも、じゃあばあちゃんが死ぬまで実家でばあちゃんを守る人生を送るか。
でも、ばあちゃんを傷つけたくない。
姉はあまり祖母が好きじゃない。それは知っているけれど、この悩みを共有できるのは姉しかいなかった。
うちの歪さも息苦しさも、特有の空気感も、知っているのは姉しかいなかった。
姉は私を理解しながらも、私の祖母に対する思いよりも、死にたいという私を守ろうとしていた。
そして、
「おばあちゃんの為に残らないと、と言っても、じゃあこのままおばあちゃんは、弥生が辛い思いを我慢して耐え続けているのをずっと見ているのが幸せなの?違うでしょう?
あとね、いくらかわいそうといっても、あの世界を作った大人たちの責任もあるんだよ。自分たちが積み重ねてきたもの。あなたは子供なんだよ。あなたの責任じゃない。自分を守るために抜け出していいんだよ。
弥生が守らなきゃいけないなんてことはないんだよ」
と言った。
きっと私が欲しかった言葉だった。
家を出ることを肯定してほしかった。
ばあちゃんを置いて出ていくことを許してほしかった。
泣きはらしながら、浅い呼吸でその言葉を聞きながら、さらに涙があふれた。身体がとても熱かった。
そして、聞いてきた。
「彼氏さんは、なんて言ってるの?」
私は彼氏さんには何も言えていなかった。
大学を辞めて働きたい、という話は少しした。なんで?とも言われたが、のらりくらりそれっぽいことを言って返していた。
学校をやめても仕事を始めても一人暮らしを始めても、家の事情は隠し通そうと思っていた。
なんせ2か月程度しかまだ付き合っていないのだ。
まだ惚れたはれたくらいで、正直お互い、相手の本当の根底も知らない。
私は深くまで付き合うことが少ないし、そうなるには数年はかかる。元々上司だしただ憧れていた程度で、付き合うとなったってお互いの距離感はまだかなりある。
まして付き合っているのが親にバレた、くらいでこんなことになっていて、死にたいと思っているだなんて、そんなこと重たすぎて言えるわけがなかった。めんどくさ…やべぇ女じゃん…なんて思われるのが関の山だと思ってたし、嫌われたくなかった。
姉には、伝えていないことを言った。
姉はこれもおおよそを察した。
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(14)姉と彼氏さんと私
数日後だった。急に姉から連絡がきた。
「今そっちに来てるんだけど、会えないかな?彼氏さんも一緒に」
嫌な予感がした。
でも、もう新幹線に乗ってこちらに来てしまっている。
私は困惑しきりで、彼氏さんに連絡を取った。
「すみません、ちょっと姉が会いたがってるんですけど…一緒にきてくれますか?」
彼氏さんはよく分からないまま、来てくれた。
飲食店で待ち合わせをして、姉と合流した。
姉は恋人も連れてきており、2対2で対面で食事をするかたちになった。
最初こそなんとなく普通に挨拶はしたものの、やはりすぐに本題に入った。
姉は、私と実家の話を伝え始めた。
何と言っていたのか言葉は覚えていない。私は今すぐにでも逃げ出したい気持ちだった。ずっとうつむいていた。彼氏さんの顔を見ることが、怖かった。
彼氏さんを巻き込みたくない。嫌われたくない。知らないでいてほしい。
できれば関わらないでいてほしかった。こんなことに。
こんな、変な家族問題に。
面倒くさがりの彼氏さんは、きっと幻滅しているだろう。厄介ごとに巻き込まれたと思うだろうか。どうしよう、どうしよう。
一通り説明が終わった時に、姉は彼氏さんに聞いた。
「弥生のこと、好きですか?」
彼氏さんは、はいと答える。
「じゃあ、支えてあげてくださいね。この子すぐ隠すんで。」
他にもなんだか色々言ってたけれど、大体そんなようなことを話して、終わった。
息を殺したような時間が過ぎ去り、気まずいまま彼氏さんと二人になった。
そして車に戻って、彼氏さんと話し合いになった。
私は最初、怖がりが発動して、へらへら笑いながら「すみません!びっくりしましたよねぇ!いやぁ、お姉ちゃんったら急に、初対面なのに…すみません!あまり気にしないでいいので…あはは…」とごまかしていたが、そういう感じでもなく、長く続かなかった。
どうして言ってくれなかったのか
今はどうしているのか
親に具体的に何を言われているのか
これからどうするつもりだったのか
本当は、どうしたかったのか
私も観念して、ぽつりぽつりと、本当のことを話した。
バイト先でもにこにこ愛想のいい顔しか見せていなかった。
にこにこしていない、暗い顔の本当の私の顔を、思えば初めて見せたかもしれない。
そして、退学手続きも既に完了し、変な会社に就職を決めてしまったことも、アパートの契約も済んでいることも知った彼氏さんは、深くため息をついた。
そして
「わかった。とりあえずこれからは嘘を言わないでほしい。無理もしないでほしい。あった事は言ってほしい。で、俺はこれから二人で住めるとこ探すから、それまでちょっと待ってて。」
と言った。
「お前もなぁ、言えよもっと早く。なんで…」
とも。
嫌われたと思っていた私は、思ったより彼氏さんが冷静で驚いた。
冷静というか、とにかく整理してくれていた。
そして、別れ話どころか、一緒に前に進もうとしてくれていた。
付き合って3か月も経っていない頃だった。
元々そんなに器用でもなく、無感情無表情で無口な彼氏さん。
感情的にもほとんどならないのに、一生懸命頭を整理して最善を探してくれている。
その表情を見て、初めて気づく。
そうか。この人は、私を支えようとしてくれているのか。
保身とか攻撃とかじゃなく、私を今一番に考えてくれているのか。
そうか。
そんな人、いるんだ。びっくりだ。
そんな人が、血の繋がらない他人の方にいる、ということを知ってとても驚いた。
ずっと隠していたからか、急に肩の力が少しだけ抜けたような気がした。
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(15)走り抜けた離別
その後は驚くほどスピーディーに物事が進んでいった。
もちろん色々と急いで進めていったのもそうだが、彼氏さんが付いてくれたことで、より進むことができた。
なにしろ、後戻りができないのと、迷えなくなったことが強かった。
自分だけだと、またばあちゃんの涙をみたりなんかしたら決心が折れそうだったけれど、今はもう彼氏さんが付いている。
自分の為に物件を探して準備を進めてくれている。
「やっぱりやめる」ということはできないし、自分の味方がいることで足早にこちらも準備を進めることができた。
悩まないように、周囲への視界を断ってひたすらに走りきった感じだった。
まだ彼氏さんとの同居は先だったが、私は最初の保証人不要のアパートを既に借りることができていたので、一旦そっちへ引っ越すことにする。
姉は書き置きを残しある日消えたが、私はさすがにそれは出来ない。
母にもばあちゃんにも、それを事前に徐々に話をしていた。
ばあちゃんは、死にそうなほど泣いていた。
でも、私のために泣いてくれていた。
父の仕打ちの酷さを嘆きながらも、私に対して、
「体に気を付けてね」
「ごはんしっかり食べるんだよ」
「辛かったらもどっておいで」
「何もできなくてごめんね」
いろんな言葉をかけてくれた。
母は母で、複雑な立場の中で中立をなんとか守っているが、気持ち的には私の味方でいたいようだった。
母もこの歪な家族の中でバランスを取った立ち位置を死守していることは分かっている。
私の「キャラクター」とそう変わらない。必死なのだ。
「何かあったら言いなさい」
「健康が一番だからね。体を大事にしなさい」
私を思った言葉を母もくれた。本心だったと思う。
父にも何度か家を出る旨を伝えて、感謝や謝罪の言葉を投げかけた。
怖くてたまらなかったが、できるだけ穏便に家を出たい。
波紋はできるだけ少ない方がいい。ばあちゃんのためにも。
しかし父からは早く出てけよ、しかなかった。
父はうまく向き合ってくれず嫌味だけを返され続けて、結局きちんと意思疎通のとれた感じの挨拶は出来なかった。
そうして、私は家を出た。
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(16)仕切り直し
実家を出て保証人不要のアパートに住み、よく分からない会社に勤め始めるという状況で、私の新生活は始まった。
変な教材販売のグレーな電話営業の会社だった。
ノートに毎日ポジティブと何度も書かされる、やばい会社だった。皆病んですぐに辞めていく。
私も契約の決まらない電話を毎日ひたすらかけ続けながら、髪の毛がどんどん抜けていったのだけ覚えている。
それでも何故か、実家にいるより楽だった。
彼氏さんはそんな会社に最初に就職したことに呆れていたが、選択肢が多くなかったことは分かってくれていたため「適当なところで辞めること。そういうのは慣れるもんじゃない。仕切り直さないとな」と言ってくれた。
結局、実家を出るためだけの微妙すぎる新生活は3か月程で終了。
彼氏さんはなんとか二人であまりお金をかけずに暮らせそうな少し古めのマンションの一室を探して契約し、3か月で体制を整えて私を引き入れてくれた。私は早々と家を引き払い、その後なんとかかんとか転職をした。
一緒に暮らしてから、いろいろな文化の違いに驚いた。
隠すことでスムーズになると思っていた関係性は、あまり好まれなかった。
辛い時に隠さなくていい。
病気も隠さなくていい。
姉も母も私も身体があまり丈夫ではなかったが、父が病人嫌いで怒るため皆あまり言わないようにしていた。
ご飯に文句を言わない。まだ自炊も下手だったが、だいたいなんでも食べてくれる。
当たり前のことかもしれない。
でも、私には何でも分からないことが多くて、そのたびにびっくりと動揺がいっぱいだった。
彼氏さんは、一緒に暮らす時に一言添えた。
「もっとわがままを言ってほしい」
言われたときは「こんなに迷惑をかけてだいぶわがままを言っているけどな‥」と思っていた。
これが、私にはとても難しいことだったことを後で知った。
不安定な中で飛び出して始まった彼氏さんとの生活。仕事や家事や生活、戸惑いつつもなんとか楽しく暮らし始めた。
ホームシックはほとんどなかったが、ばあちゃんにだけはすぐ会いたくなった。
辛いこともあったけれど、全てが新鮮だった。
お金もあまりなかったけれど、夜中に二人でコンビニへ行ってアイスを買うだけで、本当に幸せだった。
そして数か月たった頃に気づいた。
私、そういえば最近泣いていない。
当たり前のように毎週発狂して布団をかぶって泣き叫んでいたのに、実家を出てから泣いていなかった。
私は思ったよりも、自分が何かから解放されたのだということを実感した。
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