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罠の多いメヌエット〜ハイドン交響曲第94番第3楽章

Hob1:94はなかなか手の込んだ作品で、例の「びっくり」以外にも至るところに、受け手を混乱させる仕掛けがたくさんある。

ハイドンだから、メヌエットだからと舐めていると、足を取られる危険がある。
まあ、そこが面白いのだけれど。

少しこの作品について、書いていこう。

例えば、一番とっつき易いはずの「メヌエット」でさえも、性格の悪い意地悪さを持っている。

メヌエットは基本的には、2つの小節をセットにした音楽である。これはダンスのワンステップが2分音符になっているからである。有名な「バッハのメヌエット」も、

①0 0 ②1 2 ③3 4 ④5 6 |①7 8…

となっている。

だが、このHob1:94のメヌエットはなかなか一筋縄では行かない。一見簡単なはずなのに、演奏者泣かせな曲になっている。

このメヌエットのメロディの基本はその原則に則ってはいる。主題の基本形は二つの小節を分母にした4拍子になっている。

①0 0 ②1 2 ③3 4 ④5 6 |①7 8…


しかし、それに続く返しのフレーズは同じ分母の5拍子となっている。

①7 8 ②9 10 ③11 12 ④13 14 ⑤15 16 |①17 18…

反復の後も、その分母の5拍子→6拍子→3拍子と変化していく。挙句の果てには45小節めには「小節の三拍子」を挿入した上、フェルマータまで置いて素直な拍節を許さない。52小節めからやっと安定したかと思えば、二つの小節の5拍子で終わるという、なかなか面倒なメヌエットなのだ。

トリオにも罠がある。反復の後、70小節めから2つの小節を分母にした三拍子の2回転の後、80小節めからは、二つの小節による4拍子に切り替わる。81小節目あたりは受け手が大混乱する筈だ。

これらの面白さは小節のひとつ振りのカウント感覚がなくては発揮できない。四分音符で数えているような演奏では、ちょっと語呂楽譜合わない程度にしかならないだろう。そもそもメヌエットが「ゆったりとした三拍子のダンスだった」という20世紀に流行っていた迷信を未だ信じている演奏では、面白さを目指している作品の目論見は発揮できないのだ。

先述したように、メヌエットの基本形は二つの小節を分母にした音楽である。これはバロックや古典の時代だけでなく、ビゼーやドビュッシーのそれにも当てはまる。このメヌエットの基本形がわかっていないくせに、ベートーヴェンop21の第3楽章は「実質的にはスケルツォだ」などと、したり顔をするのは恥ずかしいことだ。なぜメヌエットなのかの分析が必要なのだ。また、シューベルトの交響曲も「メヌエット」と「スケルツォ」を使い分けている。その事実も忘れてはならない。さらに言えばK.550のメヌエットがどういう音楽なのかも、四分音符の三角カウントではさっぱりわからない。それでは近代的なクールさが全く発揮できないのだ。

このハイドンの場合、さらに、楽譜では「allegro assai」であるという事実を無視してはならない。
どんな言い訳もこの事実からは免れることはできないのだ。

安全運転を求めて、小節の中に三角を切るようなカウントでは、楽譜上の目標は達成できない。要は、演奏者がこの一見複雑なコースを把握していなければならない。

音符を鳴らして、音を並べた結果が音楽になるという姿勢では演奏はできない。音楽の形がどうなっているのかあらかじめわかっていなければならないのだ。
そのために因数分解や素因数分解的な捉え方ができていなければならない。和音進行の理論が把握できていたとしても、この数理的な捉え方ができていなければ「形」で語ることはできない。「弾けるから大丈夫」では済まされないのだ。

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