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知ると「複雑」なのではなく「自由」に気がつく〜ブラームス交響曲第1番第2楽章

巨大過ぎて、わからない。そういう問題はよくある。でも、冷静に考えてみると物事は、コントロール可能な、シンプルな仕組みになっていることが多い。
因数分解や素因数分解という数学上の整理の仕方というのは、ある意味で、諸問題の解決のヒントになることがある。そういう意味でも「算数」が役に立っても「数学」は役に立たない、と言って切り捨ててしまうのは残念な考え方だ。

教室では「解けるがどうか」の問題になってしまう。それは理解力を把握するためには仕方がない。だが、そういう整理の方法があることを「経験」したり「知る」ことができるのは大事な機会なのだ。
それは何かと話題の「古文•漢文」も同じこと。「わかるかどうか」ではなく、触れる機会があることは「ありがたい」ことなのだ。

さて、複雑さを整理することは理解する上で大事なことだ。仕組みを理解することは、我々のコントロールの下に入れることができるようになるからだ。

さて、ブラームスop68の第2楽章は3/4andante sostenuto でできている。重厚な音響に足を奪われてしまいそうだが、まずは音符ではなく「小節」という因数で整理することで「音響の支配」から逃れて、「理解」は始まる。

この冒頭のフレーズは、「小節を分母にした4拍子」でできている。

0 1 2 3 | 4

この把握ができていないと、そもそも、このandante のメロディは自分なものにはならない。というのは、その把握が、その単純ではない仕組みの鍵になるからだ。それができないから、掴みどころのない音響を鳴らし、並べるだけで終わってしまうのだ。
この曲のテンポの遅い演奏はおよそこの形が見えてはいない。だから2小節目で「詰んで」しまうのだ。

この5小節間で作られる形が掴めて、音響は音楽として結ばれていく。外付け的にテンポ設定しても、それを機械的に維持はできても、自分の呼吸にはならない、だが、0小節めに踏み込んで、4小節めに足をつけるという一連の動きがわかると、テンポ感は自ずと見えてくる。そして、この「小節の4拍子」のフレーズの形が掴めると、後の場面でも矛盾なく語れるのだ。

さて、この楽章が「複雑」なのは、この後のフレーズのためだ。

4小節めに着地した反動で次のフレーズのためのアウフタクトがに引き出される。しかし、その続きのフレーズは「小節の4拍子」ではないのだ。そこが問題になる。ここで湧き上がるフレーズは「小節の5拍子」なのだ。

4 5 6 7 8| 9

そして、それは気まぐれなように、さらに次のフレーズからは「小節の4拍子」の安定に戻る。

そうやって、その2回転があると、もう、あのオーボエの歌が始まっていく。

それは「複雑」なのではない。それは、実は「自由」さなのだ。そこに気がつくとこの楽章がandanteである「軽さ」がわかる。

そして、たとえば、4小節めに帰着する足が次の5拍子のきっかけであることがわかっているからこそ、その自由さを「自由」にコントロールできるのだ。

「知っている」からこそ「自由」足り得るのだ。

もちろん、このような仕組みは必ずしも、作者の「意図」ではないだろう。
いやそれが「意図」であろうとなかろうと関係はない。
音楽は、共有可能な論理構造だ。彼の頭に浮かんだものも、共有可能な論理の構造を持っていたからこそ、作品として「形」にできたのだ。それはよくいう「作者の意図」とは別レベルの問題だ。
別な言い方をすれば、私たちが見出す「作品の構造」は、作者にとっても意識していなかったことかもしれない。意識していないものは、もちろん作者の意図ではないかもしれない。
だが、論理の形として成り立ったている以上、その「作者の無意識」の構造もまた「作品の姿」なのである。
作品の可能性と僕が呼んでいるのはそういうことなのだ。

そして、だからこそ、「作者=作品」という把握はしないようにしているのだ。「作者=作品」も作品理解の上では「色眼鏡」のひとつに過ぎない。「楽譜の事実」に勝る真実はないし、あってはならない。

この楽章をandante sostenuto を無視して遅く演奏する、あるいは遅くなってしまうのは、小節を「ひとつ振り」でカウントできる把握力がないからだ。sostenuto を言い訳にしても説明がつかない。※小節の中の拍を叩くのはあくまで補助的なものでしかない。そういうミクロ化をしていると、ますます音楽は巨大化して見えなくなる。

「複雑」で「把握できない」から音響に頼ってしまう。その音響の尤もらしさで自分の欠点を納得させているに過ぎない。

「複雑」だと決めてしまうから、この楽章の魅力である「自由さ」に気づかない。18小節目までがある意味で「前奏」なのだということを見落としてしまう。それほど残念なことはないだろう。

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