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すぐにできるインナーチャイルドケア | サンダーバニーと小さな自分

インナーチャイルドって、特別な家庭環境で育った人だけにあるものではなく、誰にでもあるもの。

特に、人と自分を比べる癖がある人、人生に焦りを感じている人、ネガティブ感情のなかに長くいる人、思考過多の人には、たいてい傷ついたままのインナーチャイルドがいる。


インナーチャイルドとは、大人の自分の中にいる子どもの自分。未解決な感情・欲求。「本心」とも言い換えられる。


幼少期のことを思い出すのが大変だったら、こんなふうに考えてみるのもいいです。

たとえばなんだけど、仕事や暮らしの場面で誰かにアドバイスをもらいました。頭では、「そっちのほうがいいんだろうなあ」と理解していても、胸のあたりがざわざわする。その、「胸のあたり」がインナーチャイルド。

もしくは、何かいいことをひらめいた。でもその後に、「いや、やっぱり〇〇だからできないよな」と諦めてしまう。最初の、ひらめいたほがインナーチャイルド。思考じゃなくて、ハートのほうですね。

自分の人生を振り返ってみても、退職、移住、起業、結婚していない人生を許可すること(してもしなくてもどっちでもいい)など、大きな決断の時には必ずインナーチャイルド癒しのステップがあったなあ、って思う。

「〇〇しなければいけない」という思考がゆるむとどんどん楽に自由になるし、以前よりも自分のことを好きになり、信頼もできる。親の人生を生きるのでなく、他人の評価を気にするのでなく、ただ自分の本心に沿って行動していけばいいわけだから。


ふだんの暮らしの中でのインナーチャイルドケアのやり方は、自分の感情が動いたとき(淋しい・怒り・悲しい・不安)にただただ感情に寄り添うこと。

「寄り添う」って何をするのかというと、自分で自分に声をかけるのです。紙に書いても、実際に声に出しても、心のなかで唱えるのでも。「あんなこと言われてすごい嫌だったよね」というぐあいに。


すべての感情は、一番初めに子どもの頃に経験してるものなんですよね。大人になって、それを繰り返してるともいえる。だから、しっかりケアに取り組む場合は「子どもの時に同じようなことがあったかな」って思い出して、出来事ではなく、自分の「感情」にフォーカスしてとことん寄り添う。

それができたら、同じくらい大事なのは「じゃあ、本当はどうしてほしかったのか」「どうしたかったのか」っていう欲求・望みに目を向けること。

たいていの人は、この真の欲求が抑えられて、モヤモヤしたり、好きじゃないことをやり続けていたり、生きづらさを感じている。だって、自分に嘘をついてるわけだから。


何度かインナーチャイルドケアを繰り返していると、子どもの頃の鉄板のエピソード(淋しい・悲しい)をたまに思い出すことがあります。もちろん、思い出したらまたケアをするタイミングなのですが、こんな簡単なやり方もあるのでご紹介。

それは、映像として浮かぶ子どもの自分の右肩あたりに、妖精みたいなキャラクターを加えてあげること。なんでもいいんです。飼っていた犬や猫、死んじゃったおじいちゃんやおばあちゃん、スヌーピーやティンカーベルでも。


よく思い出す私の話をしますね。


小学校3年生の時、スキーのスポーツ少年団に参加することになりました。私は運動が苦手で自分からやりたかったはずがないから、たぶん親に参加を促されて。

それで、初めての日にオリエンテーションでいろんな知らない子どもがいるアウェイ感を感じた後、心細い気持ちでスキーのリフトに並びました。生まれて初めてのリフトだった。

顔は正面を向けたまま体をねじって右手でリフトの棒をつかむのですが、うまく乗れなくて転んでしまったんです。鉄のシートが頭にゴツンとぶつかった。すごく痛いし、恥ずかしかった。失敗したのはたぶん私だけだった。

それでももう1度チャレンジをして乗ることができて、でも空中を動くリフトは体がスース―して怖いし、雪山をスキーで滑ってくることもすごく怖かった。全然上手にできなかった。それで、本当にもう我慢がならなくて、先生にも誰にも言わずにこっそりスキー板を脱いで、涙をこらえながらひとり山から下りて来たのです。

家まで歩いて帰れる距離ではなかったので、途中の電話ボックスで母に電話をかけて迎えに来てもらうことにしました。誰かに見つからないようにしてたからなのかわからないけど、なぜか子どもの私は道に出ずに、電話ボックスの中にいたまま母を待っていたのです。

わかりにくい場所にあったので、母は私に気づかずに車で通りすぎてしまいました。その時に、電話ボックスのガラスをバンバン叩いて、涙を流しながら「お母さん、ここだよ!」って声をあげたことを覚えています。

そこからはしばらく記憶が途切れてるのだけど、結果的に母に見つけてもらって家に帰って安心したと思ったら、夜に父に叱られた。途中で諦めたこと、誰にも言わずに帰ってきたこと。しかも、スキーのことだけじゃなくて、当時私がやっていた学習教材のページが真っ白で全然勉強していなかったことを一緒に怒られたのがとても印象に残ってる。「こんなにつらい思いをしたのに、なぜ怒られてるんだろう…」と思ったような。

こういう記憶って、大小はあれども誰しも子どもの時にありますよね。

大人になった今思うと、ああいう体験の中に「自分は、そのままの自分では愛されない」という思い込みが生じて、勉強を頑張ったり、親の顔色をうかがったり、人の評価を気にする癖が仕上がっていったんだなあ、と思います。


こういう場合のスタンダードなインナーチャイルドケアとしては、まずは感情に寄り添う。その後に、抑圧した欲求を見つける。今回の私で言うと、そもそもスキーのスポーツ少年団には行きたくなかったはずで、自分の意思を確認してもらいたかった。スキーができなくて帰ってきた時も、「怖かったよね。もう行かなくても大丈夫だよ。」と優しい言葉をかけてもらいたかった。父に叱られたとしても、母には守ってもらいたかった。それが叶えられなかった欲求・望み。こういう欲求をそのままにしておくと、「人に認められたい」っていう承認欲求が不健全に強くなるんです。


それで、「右肩の妖精」の話に戻りますね。


まずは、この一連の体験をしている子どもの自分に、片時も離れずにずっとそばで守っていてくれる小さい何かがいるっていう想像です。

私の場合はサンダーバニーになりました。

あの時の自分のそばに、ずっと小さなサンダーバニーが付いていて、「がんばれ!」「大丈夫!」と応援してくれていたと思うと、どうかな。安心する。これが簡単なインナーチャイルドケアのひとつ。あなたはひとりじゃなかったよ、っていうこと。子どもの自分が癒されてあったかい気持ちになると思います。子どもの時じゃなくても、頑張っていた、つらかった時代の自分をイメージして、思い出の中の自分に光をそそいでみてください。

みずうみ
https://mizuumi1980.com




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