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機械仕掛けの神 アベンジャーズ/エンドゲーム

※『アベンジャーズ/エンドゲーム』のネタバレを含みます。



 エンドゲームを観終わった後で振り返れば、この物語の展開は必然であると感じる。しかし観ている最中は、物語がどこに向かって収束していくのか分からなかった。

 我たち観客は最終局面になって初めて、自分が観たかったものが何かを悟るのだ。

 ところで、エンドゲームの脚本に携わる二人(クリストファー・マルクス、スティーヴン・マクフィーリー)は、かつて映画『ナルニア国物語』の脚本も書いている。ここで『ナルニア国物語/第2章: カスピアン王子の角笛』について書かれた文章をネットで見つけたので引用する。

全能の救世主アスランは、ペベンシー兄妹やナルニアの民のデウス・エクス・マキナであり、彼らにとってコントロールできないアスランの出現まで、作品世界は宙づり状態にある。
                                             石橋今日美 
http://www.flowerwild.net/2008/05/2008-05-23_120544.php

 デウス・エクス・マキナとは、ウィキペディアによると下記の通りだ。

古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した。
(中略)エクス・マーキナー(機械によって)とは、この場面において神を演じる役者がクレーンのような仕掛けで舞台(オルケストラ)上に登場し、このからくりが「機械仕掛け」と呼ばれたことによる。

 ナルニア国物語では、解決困難な局面に陥った時にアスラン(ライオンの姿をした神=イエス・キリスト)が現れ、混乱した状況を一気に解決へと導く。

 話をアベンジャーズに戻すと、エンドゲームでは「ガントレット」という舞台装置によって2度、「神」がやってくる。

 1度目は、「集結」のシーン。
 窮地に陥った時助けに来てくれるのがヒーローというものだが、この集結シーンでは形勢逆転のカタルシスにとどまらない、言葉にできないような大いなる何かが舞台に(あるいは観客の心に)「降りてくる」。

 2度目は、あの人の最期のシーン。
 あの人は始めからずっと登場しているのだから、舞台に突然現れたわけではない。なので、デウス・エクス・マキナの定義からは外れている。―――果たしてそうだろうか?

 ヒントと思える部分を挙げていきたい。

 序盤、あの人は仲間の命を取り戻すために行動を起こすことを拒否する。それは、家族との暮らしを失うわけにはいかないという、ある意味「人間」としてのまっとうな感覚に基づく選択だった。
 あの人にとって、家族との暮らしはすべてだった。そして、最終的には自ら望んでそれを失うのだ。

 ドクター・ストレンジが、最終局面(=エンドゲーム)の最後の一手として、人差し指で「1」を示す。その指が天に向けられているのは偶然とは言えない。

 マーベルヒーローのDNAは、スタン・リーの「Excelsior!(より高く)」。

 MCUの集大成である本作において物語の語り手は、意識するしないに関わらず、たった一つの終着点へと導かれていったのだ。一人の「人間」がある高みへと到達する、その結末へと。

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