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レディ・ジョーカーの悪、笑い男の正義

1.悪

攻殻機動隊 S.A.C シリーズの中で、髙村薫『レディ・ジョーカー』の影響が最も強く表れているのが、23話「善悪の彼岸」だ。この回に登場するセラノゲノミクス社社長アーネスト瀬良野氏は、その運命も含め『レディ・ジョーカー』に登場する城山社長との共通点が多い。
それだけでなく、アーネスト瀬良野氏の下記の台詞は両作品の本質を端的に示すものだ。

世の中に潜む悪は、我々が想像するようなレベルを超えてそこにいる。
               『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』
世のなかには、自分のこの黒い腹よりはるかに黒い腹の持ち主たちがおり、はるかに大きい悪意をもって、社会を動かしてゆくのだ。
                    髙村薫『レディ・ジョーカー』

この二つの作品に通低するテーマの一つは「悪」だ。レディ・ジョーカーで語られる悪についての記述は、"STAND ALONE COMPLEX"という概念にも通ずるところがあり興味深い。

この一年の間に、誘拐や恐喝、強請、詐欺、殺人、失踪、自殺といったかたちで表に現れた多くの事件もそうだった。表面的な因果関係は明らかになったが、そこにはほんとうの発生源はなかったのだ。巨大証券と大手都銀の商法違反事件も、解きあかされたのは個別の事犯の個別のメカニズムだけであり、そのメカニズムを動かしている真の駆動装置は見えず、どこに、どんなかたちで存在しているのかも分からない。辿っても辿っても道はどこかで途絶え、決して発生源に行き着くことがない。
そのイメージは、結果的に個々の感染経路を辿ることが不可能な、インフルエンザウイルスの蔓延に似ており、感染したら対症療法を施すほかなく、ウイルスそのものが死滅することもないのだった。
                    髙村薫『レディ・ジョーカー』

2.正義

神山健治監督は、攻殻機動隊 S.A.Cという作品を通じて悪を描きたかったのだろうか?

この作品を観たものならば、トグサや笑い男に対して作り手の側が特別な思い入れを持っていることに気づかざるを得ない。
おそらく、神山監督は正義を描きたかったのだ。悪は、正義と背中合わせに存在するいわば影として対置されている。正義への意志が強力であればあるほど、それに呼応するように影もその色を濃くしていく。

神山監督はこの作品に全てを懸けていた。それはインタビュー等からも伺えるが、何よりこの作品の持つ熱量の大きさから実感できる。攻殻機動隊 S.A.Cとは、神山監督がこの世に刻みつけようとした魂そのものであるとも言える。

サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が、物語のあらゆる細部と驚くほど自然に結びついているのは偶然ではないだろう。サリンジャーはおそらく、神山監督の魂の一部なのだ。

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