浮気性のAV女優がポリアモリーをしてみた理由
前回のnoteでは、ポリアモリーやオープンリレーションシップとはなんぞや?という話しをしました。
今回は、なぜ私がポリアモリーやオープンリレーションシップをしたかという話しをしたいと思います。
私は浮気者です。
それはそれはすぐに友達を作り、すぐに意気投合し、その相手を恋愛的に好きになることやその相手とセックスすることになんの心情的な抵抗もありません。
一夫一妻制や1v1の関係が当たり前の社会に、てめーらはセックスを特別視しすぎなんだ!しっかり避妊と性病予防をしていれば、ご飯を食べたりゲームをするのと変わらんただの楽しいアクティビティだやい!とか思ってました。
正直、今もそう思ってます。
セックスはしたい人同士がしたいときにすればいいものだと。
ただ、凝り固まった世の中様はそういう訳にはいかないのです。
だって、不倫や浮気はパートナーを悲しませるから!ダメでしょ!と。
ん、待てよ。
確かに不倫や浮気はパートナーを悲しませる。
でも、それは貴方が隠す努力をしなかったり、パートナーを放ったらかしにしたり、不倫相手や浮気相手と駆け落ちするからでしょ、と。
もしくは、今ある関係は永遠のものであり、わたしのコントロール下にあり、絶対に壊れないと思い込んでるからでしょ、と。
人はいずれ、死ぬ。みな、平等に死は訪れる。現代社会のもたらす、明日も同じ通り続くだろうという幻想は、現代社会においても、人の努力と運とタイミングで保たれているのだよ、と。
とはいえ、私は浮気を隠せるほど器用でもないし、大好きな人には私のことを全て知った上で好きかどうか、関係を続けたいかどうか決めて欲しい。
自分も自由でありたいが、大好きな人にも自由であってほしい。
そして、限りなく自由な相手に有り余る自由をもって、貴方と一緒に居たいんだ!と選ばれるくらい、情熱的に能動的に愛されたいと。
となった時に、世の器用な人々がやっている浮気というやつは私には向かないわけです。
だって、パートナーにばらさないことや、隠すことが前提だから。というか、隠している、嘘をついている、というのがおそらく浮気の本質の1つです。
浮気が嫌われるのは、好きな人に嘘をつかれたくない、隠し事をされたくない、裏切られたくない、離れてしまうかもと不安にさせられたくないから、なのではないでしょうか。
なので、誰かと仲良くなること、誰かを好きになること、誰かとセックスをすることなどが本質的に悪いのではなく、それらをパートナーに隠して、そしてパートナーが不安になるほどするのが悪いのであり、隠すことやパートナーを不安にすることこそが、回避すべきことなのではないかと思うようになりました。
そして行き着いたのがポリアモリーやオープンリレーションシップという言葉だったり、実際にそれを実行している人達。
本を読んだり、ブログを読んだり、直接話しを聞いたり、ポッドキャストを聴いたり。
とまあ、これだけ書くとあたかも私が誰のことも傷付けず、「社会」という人格のない概念と机上の空論をぶつけ合い、ポリアモリーに辿り着いたようですよね。
うん、全然違う。
初めてちゃんと相手のことを好きになり、沢山一緒に時間を過ごし、相互理解を深め、思いやりを大切にするようなお付き合いをしたのは、大学一年生のことでした。
それまでも浮気者活動やお付き合いや恋愛はしていましたが、どれも未熟というか、明確な裏切りも、相手に強く想われることもなく、なんとなく始まり、なんとなく終わったものでした。
その私にとっては初めてのちゃんとしたお付き合いの5ヶ月くらいで私は堂々と浮気をしました。留学先でのことでした。
というか、浮気も初めてでした。
そして、パートナーに隠してる罪悪感で苦しくなり、泣きながら伝えてしまい、パートナーをめちゃくちゃ悲しませ、謝りながらも、今まで言うべきだったのに言えてなかったことを遂に言えたことに深い安堵を抱えつつ、それに更に罪悪感を感じ、謝り倒しました。
許してもらったというか、相手はわたしの浮気を知っても、私と恋人で居続けたいと思うくらい、私のことが好きになっていたので、付き合い続けてくれた、というのが正しいと思います。
その後は、留学先の私と、日本にいるパートナーで、それぞれ独自の道を辿り変わっていく価値観の差の広がりや、私がパートナーの変わって欲しいと思うところが変わらなかったり、私もパートナーの思い通りにはならなかったりなどして、3度目くらいの「別れたい」でようやく別れることになりました。
3回とも私が別れたいと言ったんですよね。
色々未熟でした。
コミュニケーションも下手くそでした。
素直に話せなかったり、なんも解決してないのに関係値が高いから、お互い仲良くしちゃったり。
でも、その最初の浮気と、最後の別れたいで、凄く凄く相手のことを悲しませて苦しめてしまったのだけはとても強く私の中に残っています。
その恋人との時間のおかげで、私はポリアモリーやオープンリレーションシップの道を歩みだしました。
なぜなら、浮気者の私でも、好きな人を悲しませずに人と仲良くなれる方法かもしれないから。
自分のことを変えられると思い込んで、その変わるまでの間に好きな人を傷付けてしまえるほどワガママじゃないから。
変われないかもしれないのに、変われるまで人と仲良くなることを諦めるられるほど、強くないから。
人を愛し、人に愛されたい、さみしがり屋だから。
でも、先程の恋人と別れてすぐにポリアモリーを始めたわけではなく、そこに至るまでの次なるステージがありました。
また長くなってしまったので、続きは次のnoteで!
次回、「シングルライフを謳歌するの巻」!
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