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これが最初の(御糸さち)

挨拶をしますね。

こんにちは、はじめまして、こんばんは。
御糸さちと申します。みいとさちと読みます。
「育児クラスタ短歌部(いくらたん)」の部誌を作ったり、「未来短歌会」という短歌好きの集まりの中にある「かつて門」という塊に所属して短歌を発表したりしています。


挨拶を終わりますね。


○テーマ「短歌とわたしの暮らし」


今年のはじめ、未来短歌会で、1年間の掲載歌を選考対象とする賞をいただいた。発表号の会誌にはその選考会の様子が掲載されており、私の歌の強みと弱みを客観的な視点から知ることが出来たが、その多くは常から自覚していることでもあった。


曰く、「言葉が自由でエネルギーに満ちている、命の迫力ある歌、パワフル」。
分かる。自分でも勢いがあると思うし、勢いしかないと思う。


曰く、「テレビで聞いたことのある言葉を安易に持ってくる」。
ですよね!


>おすもうさんとおすもうさんとおすもうさんおすもうさんの宝石箱や


私の悪いところを煮詰めて凝縮したようなこんな歌が、自分では大変気に入っている。


そして曰く、「新しい育児短歌の可能性を感じる」。
ありがとうございます。


第一子を生んで半年後くらいの頃から真面目に短歌をつくり始め、第二子の月齢が九ヶ月の頃に短歌部を立ち上げ、第三子が生後一ヶ月経たない内に未来短歌会へ入会した私にとって、育児の歌というのは私の短歌歴そのものと言っても少ししか過言ではない。


ただ、「育児の歌」よりも「子供の歌」の方がしっくりくるなあ。
幼い子供って何を着ても絵になるし、何を言っても詩になるし、裸で黙っていても短歌になってしまう。
子供は短歌。


だからと言って子供の歌ばかりつくっているわけではない。
私は仕事もしているので、職業詠と呼ばれるものも時折つくる。
社会批判と取られてもまあ仕方ないかなと思えるような歌を、実際には別にそこまで考えているわけでもなくつくる。
「ん?」と心に引っかかったことが短歌になっているので、批判と言えばそうなのかもしれないけれど、私にとっては批判ではなく短歌だ。
仕事は短歌。


また、子供と仕事の他に、結構よく題材にするのはゲームだ。
特にNintendo Switchを買ってからゲームをする時間が増えていて、育児クラスタ短歌部の部誌にはこれまでに『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』、『ファイアーエムブレム 風花雪月』、『リングフィット アドベンチャー』、『あつまれ どうぶつの森』の連作を寄せている。
元ネタとなっているゲームを知らなくてもそれなりに読んでもらえるようにはしているつもりだけども、わざわざ選をしてもらうようなものでもないので、部誌に載せてひとりでフヒヒと笑っておしまい。
ゲームは短歌、


ではない。
けれど、ゲームをする時間が増えると短歌をつくる時間が減るので、締切が近付いている時にもゲームをするにはゲームを短歌にするしかない。
よってゲームは短歌とする。今した。


かように。
仕事をし、子供を育てながら、ゲームで遊び、それらを短歌という形に変えていくらたんや未来で発表する……いや、そうではなくて。先に述べたように、仕事も子供も、更にゲームも強引に短歌なので、短歌をし、短歌を育てながら、短歌で遊んでいるとも言える。
これが私の、短歌との暮らし方である。


そして私の短歌との暮らしに、この度「水たまりとシトロン」という新たな場が増えた。
ここが私にとってどんな場所になるのか、私にもまだ分からない。分からないけれど、それはきっと楽しいことなのだと信じながら、この文章を終わろう。


「死と論」と名付けられたるフルーツをやさしくやさしく呼ぶよ、しとろん

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