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陸のASEANに向け南進する中国

前々回(連載第3回)で、陸のASEAN諸国に対する中国の影響力の増大を、貿易活動や投資活動、対外援助金額等の定量的な側面から視覚的に図示してみた。

今回は、「陸のASEAN」(タイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、ラオス)と陸路で隣接或いは近接する中国側からみて、両者の関係がどのような状況になってるのかにフォーカスしてみたい。但し、視点としては、中国内部事情を中心とした定性面に着目する。過去からの中-ASEAN関係の推移にも触れるが、その延長線上としての推測ではなく、中国の内情を勘案した場合に、当地域で今後起きるであろう事項の蓋然性について考察したい。


1.変化する中国の対ASEAN外交姿勢

まず、陸のASEANに対する、中国の基本姿勢の変化についておさらいする。

1990年代、対外開放政策を本格させた中国の関心は、同胞としての華僑や華人が多く住み、華僑系財閥が商業の担い手として経済力を持った東南アジアに向かっていた。また、アジア開発銀行(ADB)によって中国雲南省をも含めた大メコン圏(GMS; Great Mekong Sub-region)開発構想が提唱された(1992年)こともあって、中国はASEAN協議パートナー(1993年)としての地位を与えられ、さらに対話国(1996年)へと変化していった。この過程は、中国が「ASEANの流儀(ASEAN Way)」に従って、ASEANに取り入ろうとした時期だったと総括できる。

よって、1990年代の主な動きについて整理すると、この時期の主体は中国ではなくASEANとなる。

1992年10月 第1回メコン経済協力会議(雲南省地方政府が参加)
1993年9月   ASEAN、中国を協議パートナーにする
1994年6月   第2回昆明進出口商品交易会(昆交会)にASEAN諸国を招聘
1996年7月   ASEAN拡大外相会議で、中国をASEAN対話国に昇格させる
1997年12月 クアラルンプールで開催されたASEAN非公式首脳会議の後、第1回ASEAN-中国首脳会議を開催(第1回ASEAN-日本首脳会議も同年)


一方、2000年代に入ると、中国とASEAN諸国の経済関係は「WIN-WIN」の蜜月時代を迎えつつも、中国側が自国に有利に働くような環境作りを推進するようになった。中国の位置づけは、ASEANの対話国から戦略的パートナー(2003年)に昇格し、中国が「より積極的」な役割を担い始める。その典型が大メコン圏(GMS)を中国の内陸部開発と連動させていくという発想であり、中国ASEAN博覧会(CAEXPO)に代表されるような、中国がASEANに出て行くのではなく、ASEANを中国に呼んで新たな関係作りを進めるという周辺地域に対する「中国化(Sinicization)」の試みである。

この時期の主な動きについて整理すると、各出来事の主体者はASEANとするよりも中国とした方がしっくり来る。

2000年11月 第4回ASEAN-中国首脳会議で、朱鎔基首相が自由貿易協定(FTA)を提案。
2002年11月 温家宝首相、中国-ASEAN包括的経済協力実施に合意(2003年7月発効)
2003年6月   中国、東南アジア友好協力条約(TAC)へ加盟(日本の加盟は2004年)
2003年10月 中国、ASEAN域外で最初の戦略的パートナーになる
2004年11月 南寧で第1回中国ASEAN博覧会(CAEXPO)を開催
2010年1月   中国-ASEAN包括的経済協力枠組みが完成


上記の「中国化(Sinicization)」の動きを対外的に明示したものが、前回説明した通り、中国政府による2013年の「陸の経済シルクロード」と「21世紀海上シルクロード」であり、これらが2014年の「一帯一路」構想として統合され、同構想がカバーする国・地域のインフラ需要に応じるためという位置づけで、2015年、1000億ドルの基金でアジアインフラ投資銀行(AIIB)が発足することになった。

ここで改めて強調しておきたいことは、中国自身が主体的な意志を持って、今後は中国が直接的に関わる地域のルールは中国が決めていくという主旨で「中国化(Sinicization)」を積極的に推進しているという事実である。また、このことを念頭に置いた上で、今後、中国の周辺地域で発生するであろう様々な事項を、1つの文脈として理解し、把握していくことの重要性である。


2.GMSのおける中国雲南省の立ち位置

「陸のASEAN」に南進する中国側の主体者の1つという位置づけで、GMSにおける雲南省について概観しておきたい。というのも、中国との関係を語る場合、中国自身が広大であり、かつ中国内部の地域間格差があまりにも大きく、中国の平均数値を以て、周辺国との関係性を語っても、殆ど正しい理解が進まないばかりか、誤解を大きくするだけだからである。

まず、雲南省の地理的な場所であるが、以下の地図に図示した通り、中国の最西南部にあり、南部でベトナム・ラオスと、南部から西部にかけてミャンマーと国境を接している。

北西部はチベット自治区、北部は四川省、北東部は貴州省、東部は広西チワン族自治区と接する。14世紀までは大理という独立王国があった場所だが、天然資源が豊富で当時から銀山が発見されていた為、中国の直接の支配下に置かれることになった経緯がある。岩山が目立つ中国の一般的な景観イメージとは趣が異なり、森林に恵まれ、地形が複雑なことから地域によって気候が多様、動植物相も豊かである。実際に訪れれば分かるが、中国内の東南アジアの感がある。

次に、雲南省の規模である。面積は394,100 km²と中国の中でも8番目の大きさを持つ省で、人口も47百万人と、ここだけで中規模国家レベルのサイズ感がある。中国全国の人口(13.38億人)に占める省人口は割合は2.7%だが、GDPの割合は2.0%に過ぎず、経済水準は低い。逆に言うと開発のポテンシャルが残された地域とも言える。一人当たりGDP(2014年)は27,264元(3,959ドル)で、31ある省・自治区中29位である。(中国の全国平均は43,320元で、6,290ドル相当)


3.雲南省のライバル

雲南省の動きを考察するには、実はライバルとなる存在の認識が必要である。その理由は、中国内では、各省トップの出世競争が発展実績にシビアに依拠しているからである。北京の中央政府から、経済成長戦略の要の1つとして「西部大開発」と呼ばれる内陸部開発の大号令が掛かる中、各省トップにかかるプレッシャーは相当に強い。特に、実績の優劣の比較対象として、同じような条件下にある、広西チワン族自治区(面積は雲南省に次ぎ9番目で236,700 km²、人口は雲南省とほぼ同じ48百万人)の存在はまるで双子の兄弟のようで、否応無しにも意識せざるを得ない。

大メコン圏(GMS)に広西チワン族自治区を足した地図をみると、両省の兄弟っぷりと陸のASEAN諸国との規模感の類似性が分かるだろう。(雲南がYUNNAN(ユンナン)で広西がGUANGXI(グアンシー))

この広西チワン族自治区の省都が南寧市であるが、同市で毎年開催されているのが「中国-ASEAN博覧会(CAEXPO; China-ASEAN Expo)」で、隣接するASEANと経済関係作りにおいて着実に実績を積んで来た。

以下は、CAEXPOの実績の推移一覧表である。

(出所)CAEXPO公式サイト(図表は、末廣教授ご講演資料から)

広西のCAEXPOと比較して、いくら内陸に位置するとは言え、右肩上がりを前提にある程度は高い成長率を実績として示すことが出来なければ、省のトップとして「無能」の烙印を押されかねない。必然的に、雲南の地方政府は、昆明進出口商品交易会(昆交会)の活性化に力が入る。CAEXPOと比べて絶対的な規模感こそ異なるものの、以下が昆交会の出展したASEANブース数の推移(1994〜2015)である。

(出所)雲南省商務庁資料(図表は、末廣教授ご講演資料から)

広西チワン族自治区の発展から遅れること約10年、規模が伸び悩む南寧のCAEXPOを尻目に、2015年における雲南省の昆交会でのASEANブースの存在感の躍進振りが際立っている。対ASEAN関係を考える際、中国にとっての雲南省の重要性や期待値が、飛躍的に高まってきている一つの証左と言えないだろうか。


4.中国内陸部開発と中国経済全体の課題との関係性

日本では、上海株式市場の乱高下を見て、中国経済全体がすぐにでも崩壊するのではないかといった感情的な議論が人気を呼ぶが、当然のことながら、本来的に将来期待値を反映する株価だけで実体経済は語れないし、中国沿岸部に進出した外資企業を中心とする貿易活動の動向や、不動産市況の動きだけを見ても、中国経済全体は語れない。

中国のGDPはリーマンショック以降(経済年度としては2009年度以降)、投資比率が45%近辺を占めている状態がずっと続いている。

(出所)IMF

投資比率とは、GDP全体に占める固定資産投資の割合でのことで、企業の設備投資や不動産投資に加え、公共インフラ投資が含まれるが、投資比率は日本高度成長期でのピーク時でも37%程度(1973年)であった。如何に中国経済が固定資産投資に依存して成長し続けてきたかが分かる。

よって、中国経済の今後を見据える場合、経済成長率を「新常態(ニューノーマル)」とも称される6%台にまで低下させつつも、どのように過度な投資依存から脱却し、中国の産業構造を変化させていくのが現実的であるのかを考える必要がある。

ある中国経済の専門研究員によれば、中国経済が抱える課題を克服(=さらなる成長を維持)するには、3つのアプローチがあり、1つは「拡張」(内陸部、国境を接する周辺国、アフリカを含めた新興国への進出)で、もう1つが「高度化」(ここは日本が最も協力可能な分野で中国側も望んでいる)、最後が「改革」である。

「改革」とは、過剰な生産設備の破棄や人材の新産業へのシフトを主に指すが、大量の人員整理を伴う為、これが最も困難で、国内の反発も強い。規模も非常に大きく、鉄鋼業界を例に挙げると、東南アジアの鉄鋼メーカーを全部潰しても需給ギャップが解消しないレベルとなっている。

よって、最も痛みを伴わないという意味で手を着けやすく、かつ前向きで現実的なアプローチとなると「拡張策」が取られることになる。結局のところ、中国の「拡張策」とは、中国の内陸部および国境を接する周辺国への大規模インフラ投資のことを指す。

中国南部においては、これらの活動を支えるビジョンおよび資金的裏付けとして、ADBによる大メコン圏(GMS)経済開発構想でも良かったのだが、問題は中国全体の抱える課題を考えた場合の時間軸である。中国内部での事情に沿ったスピードでの大規模な投資が必要と言う現場事情と、壮大なビジョンが合わさる形で、「一帯一路」構想とAIIBが存在していると考えるべきだろう。

懸念される中国経済の大規模な調整については、世界的に過剰流動性が維持されている状況下、顕在化は先延ばしにされて来た。バブルは弾けない限りバブルではないからである。

また、問題が実際に発現するかの可能性は、他の選択肢の実行に時間を要することを考慮すると、「拡張策」の進捗度合に依存していると言える。そのように考えると、「中国経済の封じ込め策」の効果的な発動は、中国の経済問題発現のトリガーになると認識しておいた方ががよいだろう。

なお、中国が関わるインフラ投資は、内部競争も相まって、非常に大規模かつ同時多発的である。ASEAN諸国におけるインフラ開発は資金不足から、よく「遅々として進む」等と揶揄されて来たが、中国の場合は、高架式の高速道路の建設も、計画路線に沿って順々に開発するのではなく、全線についてほぼ同時的に工事がなされる。それこそ一度始まると「圧倒的なスピード感で完成する」という感覚である。「陸のASEAN」と中国が高速道路で繋がる日は、私たちが想像しているよりも、ずっと目前に迫ってきていると思っておいた方が良いだろう。


以上、1回分としては長くなってしまったが、詳述し過ぎない様に気を配りつつ、中国の内部事情を見ると言う視点から中国と陸のASEANとの関係性を見てきた。「中国の南進」の意味合いについて、少しでもイメージが頂ければ幸いである。

次回は、上記考察を踏まえ、世界から見て中国がどのように評価されているのかについて、日本にいると気づくことのなかなか出来ない「現実」を見て行くことにしたい。


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