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女性であることとゲーム好きであることの両方を受け入れる

自分の関心にドンピシャの本を読みました。

私は子どものころからゲームが好きだったけど、私が触れてきたゲームは本当に表面的な、一部でしかなかったんだということを痛感しました。そして様々なテーマのゲームも世の中にはたくさんあるのだと知ることができて感動しています。

ゲームは昔「ゲームボーイ」というゲーム機が発売されていたくらい、当たり前のように”男の子”のものだった。

近藤銀河 「フェミニスト、ゲームやってる」 p.8

ゲームが大好きなのに、一部のゲームでどうも女性である自分が「お呼びでない」「プレイすることを想定されていない」ように思われる表現に出くわすことがあったことを強烈に思い出しました。
主人公になりきってプレイできるのがゲームのいいところだったのに、そのために「男の子」になりきっていたつもりだったのに、なんだか急に主人公が「自分とは程遠いもの」になってしまう。
それは下ネタなどの性的な表現、女性の扱い方などにあらわれていて、すごく嫌だったのに見ないふりをしながらゲームをプレイしてきたことを思い出してしまいました。

だからといって別に女性向けの恋愛ゲームをやりたいわけでもない。女性が普通に冒険するゲームがやりたかっただけなのになぁとずっと思っていました。

この本の中に、著者の近藤銀河さんが子どもの頃のゲーム体験について振り返っておられる個所がありました。

子供の頃に遊んでいたゲームたちは、いま私が遊んでいるゲームのように明示的にクィアだったりフェミニズム的な要素があったわけではない。むしろいまだったらわざわざプレイしていないような、男女規範の強いゲームがほとんどだったと思う。
ただそれでも、当時自分で意識さえできていなかった、自分の中のクィアな要素やフェミニズムの感覚を投影できる余地はあった。

近藤銀河 「フェミニスト、ゲームやってる」 p.277

これを読んで、自分にとって子どもの頃に遊んで、とても好きだった、自分に影響を与えた作品は何だろうと考えてみました。
自分にとってはドラクエⅢ,Ⅳ,FFⅥ、ロマサガ1,あたりのような気がします。

「型にはまらない女性が冒険する」、「いろいろな見た目や性別、年齢の人がいてみんなで冒険する」、という表現があるゲームが大好きでした。
ドラクエⅢはパーティメンバーに個性はないけど、いろいろな職業と見た目の人がいます。ドラクエⅣとFFⅥは、いろいろな人たちの寄せ集めのパーティです。ロマサガは主人公が選べます。
ドラクエⅣの城の壁を蹴破る姫のアリーナ、賭け事好きで妹に怒られるマーニャ、FFⅥの自分の存在が定まらないティナ、口の悪いリルム、ロマサガ1のごつくて強いシフ、熟女のバーバラ。女性でも、「女らしく」なくても、年をとっても、自分の得意なこと、自分のやりたいことで世界をめぐっていく姿に希望を見出していたような気がします。
勝手にサイドストーリーを妄想して楽しんでいたことも思い出しました。

この本で、知らなかったゲームをたくさん知るにつれて、私は自分のためのゲームを探す努力をしてこなかったのかもしれないなぁ、と思いました。男女規範の強さにムカつきながら、それでもそれらのゲームをやってきたなぁと。
これからは自分の感覚を大事にしながら、新しいゲームを開拓したいし、楽しみたいなと思いました。


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