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「無料から始めたフリースクール」と「これから ♪」

これまで、支援の根幹となる部分をご紹介してきました。
ここからは、今、私が思うこと、挑戦していること、これからしようとしていることを記録したいなと思います ♪

私は世界平和に向かって進みたいなと思っています。(偽善に聞こえる💦)
「子どもと地域の未来を拓くため」に行動しています。(でも本心💦)
そのために、「思考を柔軟に」をテーマにどうやったら子ども達が楽しいと思う時間を過ごせるのか、少しでも現状が改善できる工夫を重ねています。

私は、東日本大震災の時、福島県で小学校の教員をしていました。娘は小学校1年生。耳が聞こえなくても、困ったことは一つもありませんでした。先生が気付かなくても、お友達がフォローしてくれていたんだと思います。
被災し、避難先々で娘は不登校になりました。
私は、担任の先生に「ほとんど聞こえないと思ってください。なるべく板書に書いていただき、口の形を見せ、ゆっくり、大きくはっきりと話してください」とお願いしました。授業参観の時は懇談の最後まで残り、普段の生活はどうか担任の先生と情報共有をしました。先生たちは
「娘さんはしっかりしています。もっと他の子の方が手がかかります。大丈夫です」と仰いましたが、しばらくすると、娘には友達が居なくなり、不登校になりました。私はすぐに母子登校を始め、失礼のないよう担任の先生に具体的なお願いをし、お友達に「それでは聞こえないんだ。マイクが前に付いているからね。まず、トントンって肩をたたいて、今から話すよってことを分からせて、それから、ゆっくり、はっきり、口を大きく開けて話してね。口の形から何を話してるか読み取るからね」などとお願いしました。
そうやって、お友達と繋ぎ、先生にご理解いただき、少しずつ少しずつ母子登校の時間を減らし、私は去っていきました。

だから、『どの子ども達も楽しく学べるような場づくり』には学校の先生の工夫が足りないと思うことは沢山あります。でも、批判をしても現状は改善されず、互いの精神的衝突から現状は悪化する一方。

私がしたいことは、『どの子ども達も楽しく学べる場』をつくること。

だから、学校連携では先生方の批判はしません。
こうした方がいいという提案もしません。
「これがお家の方から聞いた情報です。これは私の見立てです。これは私の支援方針です」
とお伝えするだけです。

それを積み重ねるとどんどん変化がおきました。

私が、はじめ、フリースクールを開設した当時、教育委員会に行き
「フリースクールを開設したいと思います。認可していただきたいのですが、どうすればよろしいでしょうか」と尋ねました。その当時、「子ども若者困難者支援団体」という会が市からの声かけで始まっており、そこに入っておりましたので信頼は少しはあるのかなと思っておりました。
しかし、教育委員会の窓口からの回答は
「そういった制度自体がありません」
とだけ伝えられ、その態度から門前払いをされたと感じました。
その当時は、フリースクールに来られる生徒さんの籍がある学校へ赴き、こういう事情がある生徒さんが来られたので出席扱いにしていただきたいと、一校一校お願いに上がりました。中には出席扱いにしていただけなかったところもあります。毎月の活動報告を1年ほど続けると途中から出席扱いにしてくださったところもあります。
でも、現在は市の教育委員会様の方から通達がされており、私は出席扱いのお願いをしなくても、現状の情報共有だけで事が進んでます。
これは、精神的に大きな前進でした。

また、学習内容などについても思うことはたくさんあります。
例えば、発達障がいと診断された子でも、なるべく当該学年の学習内容にします。今、他の子達もやっていることを、無駄を削ぎ落し、一番身に付けるべきことをなるべく簡単な説明でできるようにします。(例外もあります!)
そうすると、今まで何年も下の学年の内容をやっていた子が、「自分もできるんだ」という自信をつけてるんですね。そうすると、勉強に対するやる気が変わるんです。やる気が変わればできるようになるんです。
するとですね、宿題の内容が変わってくるんです。こちらに寄せてくるんです(#^^#)

こんな風に、「現状を変えるには如何にすればいいか」と思考を柔軟にすることが私の挑戦です。

来週、山形の小学校の体育の授業に入ってきます!
外部講師の依頼へと繋がれば、学校現場に「楽しい学び」をつくれるし、先生方にもインクルーシブ教育(健常者も障がい者も同じ場で学ぶ教育)の如何を味わっていただける。
今回のチャンスをモノにできるよう、最善を尽くして頑張ります

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