ファンに「プロ」と呼ばれる男 ―“GOD?” 大島洋平のプロ意識とは
とにかく祈っていた。何としてでもチームに勝ってほしかった。
もちろん、応援しているチームだからだし、接戦で延長戦にもつれこんでいたというのもある。
でも、その祈りのいちばん根っこにあったのは、今日だけは・・・という思い。勝って、ヒーローインタビューのお立ち台に彼を上げたいという強い願いだった。テレビ画面を見つめながら、つい拳に力が入る。
2対2の同点で迎えた延長12回表。1アウトランナー2・3塁、ボールカウント1-0。ピッチャーは中日・福敬登、対するバッターは広島・坂倉将吾。絶対絶命のピンチだった。
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2022年4月2日、バンテリンドームナゴヤで行われた中日ドラゴンズ 対 広島東洋カープ2回戦。この日はドラゴンズのFCスペシャルゲームだった。
選手は通常のホームゲーム用ユニフォームではなく、ファンクラブメンバーと同じ赤いラインの入ったユニフォームを着用する。2022年のFCユニフォームには登録名ではなく、選手のニックネームが入っている。
SHIOMUSUBI(2022 セ界の俊足|#0 高松渡 内野手)、SHABANI('20最優秀中継ぎ|#34 福敬登 投手 ※ シャバーニは東山動物園のイケメンゴリラから)、MASTER(4/10現在 得点圏打率セ・リーグ2位|#5 阿部寿樹 内野手 ※ マスターは昨年までの髭から)など、思わずニヤニヤしてしまうニックネームが並ぶなか、レギュラー最年長の大島選手はちょっと不思議な表記のニックネームをつけていた。
YOHEーー(頼れる野手キャプテン|#8 大島洋平外野手)
4/11現在 打率.385を誇るセ・リーグ首位打者 大島洋平は36歳で今シーズンを迎えた。ドラゴンズファンの間では「大島プロ」と呼ばれることも多い、職人気質のプロ野球選手だ。
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大島洋平を知ったのは、娘が野球部に入部した2017年。結婚してから縁遠くなった野球中継が、20年ぶりに我が家に戻ってきた年のことだ。
ドラキチだった父の影響で、こどもの頃からドラゴンズファン。小学生の頃は父とハマスタやナゴヤ球場のバックネット裏で、中高時代はテレビのナイター中継で、学生時代は当時ドラゴンズが本拠地としていたナゴヤ球場のライトスタンドへ足しげく通っていたから、2017年の観戦再開時、野球解説者や各球団のコーチングスタッフには知っている名前がたくさんあった。
でも、野球と同時にスポーツニュースからも遠ざかっていたから、肝心の試合に出ている選手の名前はほぼ聞いたことがなかった。
選手名鑑も買わず、前情報なしのまっさらな頭で野球を見る。必死でスコア記録の練習をしている娘から時おりルールを質問されながら、試合を眺めていた。試合に出ている全員の名前も年齢も甲子園などでの活躍も知らないままの野球観戦は、興味深くても記憶に残りにくい。第一、試合にのめり込めなくて、今ひとつ楽しみに欠ける。
昔のように楽しく野球を観るためにはどうしたらいいだろう? あの頃を思い返すと試合を見るたび、新聞やスポーツニュースを見るたび、立浪選手や仁村兄弟の活躍にわくわくして、夢中になって見ていた。
そうか! それだ!
わたしはまず「推し」を決めることにした。同じ背番号のユニフォームを着て球場で応援したいと思う選手は、いったい誰なのか。
「この中からひとりを選ぼう」と決めた瞬間、野球観戦が俄然楽しくなった。目を凝らし、耳を澄ませて、選手たちの一挙手一投足を見つめた。
かけっこが苦手だったせいか、昔から足の速い選手に憧れる。塁に出たら相手バッテリーを翻弄し、かき回すような走りで魅せてくれる選手。そういう選手は時代を問わず打順上位に置かれ、センターを守っていることが多い。
守備は堅実で、エラーの少ない選手がいい。
プロは高校野球とは違う。流れるように、呼吸するように、うまい守備を当たり前にやってのける選手は誰だろう?
春から夏にかけて試合を観ながら選んだ、たったひとりの選手。
それが、大島洋平(当時31歳)だった。
その年、大島のプロ入りからの出場試合数は1000試合を越えた。春先の打順では1番を打っていたが、骨折で登録抹消された8月末までは3番で活躍。左バッターだが左ピッチャーを苦にせず、ピッチャーが左でも右でも同じように打てて、ケースに合わせて左右広角に打ち分けることができる。甘い球が来るまでファウルでとにかく粘る。粘る。粘る。足が速いから、塁に出ればすかさず走る。
守備位置はセンター。よほど前進守備になっていない限り、フライが落ちてくる位置に必ず待っている。ギリギリをダイビングキャッチするような派手なプレーは少ないけれど、とにかく反応が速くて上手い。
ユニフォームを着て応援したい選手は、背番号8・大島洋平。
そう決めた頃にはドラゴンズの1軍の選手たちはしっかり頭に入っていたし、試合が待ち遠しくなっていた。20年にわたるブランクを経て野球に再会してから、3ヶ月が経とうとしていた。
ちなみに、2年連続で守備率1.000(つまり、エラー無)を記録した2019年オフのインタビュー動画で彼は、データを頭に入れたうえで、ピッチャーとバッターのタイプや「どういうバッティングがしたいんだろう?」と相手の意図を考え、打球の軌道を予測・修正しながら守っている・・・と答えている。
打球判断の速さ、球の落下地点までの移動の正確さ。常に「どうすれば、もっと良くなるか」を考えながら取り組む姿勢。野球人として、職業人としての在りかたに、高いプロ意識を感じる。
このインタビュー動画のシリーズが公開された当時、見る目は間違っていなかった!とうれしくなったのを覚えている。
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名古屋生まれの大島は小学4年生から野球を始め、硬式のボーイズチーム・東海チャレンジャーを経て、名古屋の強豪校 享栄高等学校へ進学。駒沢大学を経て日本生命へ入社。学生野球の東都リーグでは2007年、社会人野球の日本選手権では2008年、それぞれ首位打者を獲得している。
2009年ドラフトで中日ドラゴンズから5位指名を受ける。入団当時、大島は24歳。日生時代に結婚した妻と子、守る家族がいる身でのプロ入りだった。活躍しなければ、生き残らなければ、家族を露頭に迷わせてしまう。そのプレッシャーは計りしれないが、子連れで臨んだ入団会見の席で大島は、ルーキーの誰よりも具体的で明確な目標を口にしたという。
ドラゴンズ公式サイトが公開している、大島の年間打撃成績を見てみると、プロ入り1年目から12年目の昨季まで、一定して結果を出し続けていることがわかる。
176cm・75kg。プロ野球選手として、けっして恵まれているとはいえない体格。加えて怪我に悩まされてきた。前年に侍JAPANに招集されたものの肘の痛みに悩まされオフに手術をしたシーズン(2013)もあれば、骨折で9月から抹消されたシーズン(2017)もある。右手薬指(2016)・右足腓骨(2018)・肋骨(2019)を骨折しながら、怪我を隠して出場し続け、結果を出したシーズンもあった。
大島は著書『一歩、前に。――前に出る勇気のつくり方』のなかで、2014年に「信じられないエラー」をし、それをきっかけに極度の打撃不振に陥ったことを明かしている。
また、本書や2021年オフに公開されたCBCテレビのYouTube動画【サンデードラゴンズ延長戦】のなかで、打撃が不調なときは深夜のマンションの駐車場や暗い部屋に入り、素振りをすると話す。
CBC・若狭敬一アナウンサーにその理由を問われると、大島は「音が聞こえるじゃないですか」と答えた。しんとした暗闇でバットを振り、そのスイングの音に耳を傾けることで、不調の原因を探るのだそうだ。
調子のよいときは決して奢らず、コンディション不良や不調のときは厳しく深く自らと向き合う。常に客観的に自身の技術・身体と向き合いながら、プロとしての自らのポジションを守り、磨き、確立してきた彼のプロ意識とプロ根性がうかがえる。
だからこそ、ドラゴンズファンは愛と畏敬の念を込め、「大島プロ」と呼ぶのかもしれない。
シーズンを通して試合に出続けるために、大島はオフに徹底したトレーニングをし、出力を上げても怪我をしないための身体づくりを心がける。高橋周平・根尾昂などの後輩たちを率いて日本生命の練習場で行う自主トレは「大島塾」とも呼ばれ、過酷なことで有名だ。幅広く各球団から集う若手たちを大島は温かく、時には厳しく見つめる。
開幕すれば火曜日から日曜日まで、週に6日の試合が続くプロ野球。シーズンは全143試合。一試合一試合レギュラーとして出場し続けること、エラーと失点を防ぎながら守り、打席に立って打ち続けること。これこそがプロ野球選手としての彼の仕事。
それを成し遂げるために、大島は自身をハードに鍛え抜いているに違いない。
いぶし銀の職人魂が、そこにある。
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2022年4月2日、開幕から8試合目の本拠地カープ戦は、ロースコアながら、取られたら取り返す白熱した試合展開となった。
中日サイドは、ベンチもブルペンもほぼ総動員。その試合運びは、まさに「チーム一丸」という言葉がぴったりだった。試合は延長戦にはいり、開幕3カード目にも関わらず、優勝争いかというほどの総力戦を繰りひろげている。
同点でむかえた延長12回表。わたしは両手をかたく握りしめながらテレビを見つめていた。
カープの攻撃は3番小園から。先頭打者にフォアボールを出したピッチャー山本に替えて福敬登が登板。バントでランナーを進めようとするカープに対して、ドラゴンズバッテリーのフィルダースチョイスも重なった結果、1アウト2・3塁になってしまう。
拍動が鼓膜を揺らす。
胸が痛い。
無意識に手を合わせてしまう。
あぁ、神様。どうか打たれませんように。
必死の願いに反して、カープは5番バッター・坂倉の犠牲フライにより1点を追加。試合を2対3とひっくり返した。
ダメかもしれない。思わず両手で顔を覆った。
この日だけは、どうしても勝ってほしかった。勝って、大島洋平にヒーローインタビューのお立ち台へ上がってもらいたかった。
開幕から好調の大島は、この日も絶好調。12回表の時点で4打数3安打、1敬遠の猛打賞。しかも、安打のうち1本は第1号ソロホームラン。
それに加えて、この試合で大島洋平は、250盗塁を達成していた。
前回の盗塁成功は、昨年8月29日。この250盗塁に至るまでは長い道のりだった。もしかしたら、足の状態が万全ではなかったのかもしれない。走れるはずのチャンスで走る素振りを見せない大島の姿を見ながら、250回目を待ちわびていたファンは、決してわたしだけではないはずだ。
この試合、1回裏に彼がセカンドへの盗塁を決めたとき、わたしは思わず立ち上がり、ガッツポーズして叫んでいた。ようやく決めた。ひとつひとつ積み上げてきた、250盗塁のメモリアルゲーム。
2019・2020年に最多安打のタイトルを獲得している好打者・大島の猛打賞は、これから先も何度も見られるにちがいない。
でも、250盗塁達成はこの日限りで、もう二度とない。
試合に負けたら、ヒーローインタビューは広島の選手のものになってしまう。そう思うとより緊張が高まった。もちろんチームの勝利が第一だけど、お立ち台のうえで250盗塁を観客に祝福される大島の姿を見たかったからだ。
テレビの前で手に汗にぎり、固唾をのんで試合を見守る。
12回裏、中日の攻撃。ピッチャーはオリンピックでも活躍した広島のクローザー、栗林。1アウトからバッター溝脇がフォアボールを選ぶと、続いて打席に立ったのは、この日絶好調の大島洋平。テレビのスピーカーからでも、ドームの空気が変わるのが伝わってくる。
0-1から快音を響かせた大島の打球は、ライトへの同点3ベースタイムリーとなった。悠々と3塁に到達した大島は、常に淡々とプレーする彼にはめずらしくガッツポーズを見せた。
ホームランを含む5打数4安打1盗塁1敬遠。
本人の努力と勝負勘・勝負運のたまものとはいえ、この日の大島は、神がかっている。
続く1アウト3塁、バッターは今年ライトのレギュラーをつかんだ高卒3年目、岡林勇希。1-0からの岡林の打球はセカンドへの内野安打。これが逆転サヨナラタイムリーとなった。ギャンブルスタートだったという3塁ランナーの大島はホームへ滑り込み、右手を高々と天へ突きあげながら、仲間の歓喜の渦に飲みこまれていった。
サヨナラタイムリーの岡林に、京田が飛びつき、根尾が水をかけ、みんなでもみくちゃにする。まるで優勝したかのように、喜びを爆発させる選手たちを見つめていると、目頭が熱くなる。
―――――勝った!
勝った! 勝ったんだ!
昨年まであれだけ1点差ゲームに弱かったドラゴンズが、粘って粘って延長12回に逆転している。まるで、別のチームを見てるようだった。
これで、250盗塁メモリアルのヒーローインタビューが聴ける!
割れんばかりの拍手に迎えられた大島は、同点タイムリーを放った後の3塁上での気持ちを問われて、こう答えた。
「いやもう『頼むから返してくれ!』・・・と思って、待ってました!」
36歳のキャプテンが、隣に並ぶ20歳の岡林勇希を温かいまなざしで見つめる。
開幕から大島と1・2番でコンビを組んでいる岡林も、とっておきの笑顔で大島に応えた。
この試合の後も、ドラゴンズは確実に昨年とは違う姿を見せている。4月7日には昨年まで苦手としていた神宮球場で、ヤクルトスワローズ相手に15安打(うちホームラン4本)の猛攻。先発ピッチャーの高卒2年目・高橋宏斗、高卒4年目の石川昂弥など若い世代の活躍を含む先発全員安打で、3対11と快勝した。
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4月2日の逆転劇の翌日、中日ドラゴンズ公式Twitterは、サヨナラの瞬間の大島洋平の写真を投稿した。その写真には、こんなコピーがついている。
控えめに配置された「摂氏100℃のプロ意識」というコピー。
これこそが、36歳となった今も活躍し続ける大島洋平を支えている。
この写真を見るたび、思い出す。
2022年4月2日延長12回裏、あの熱狂の瞬間を。
これから若手選手たちと作りだしていくだろう熱狂の渦。
シーズン終盤、その渦の中心には自身初の首位打者を目前にした彼がいると信じている。
中日ドラゴンズ 野手キャプテン・大島洋平。
今シーズンも、この男から目が離せない。
ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!