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恋人つなぎのディスタンス

 学生時代、デートに着ていく洋服は、無地の白いシャツかTシャツ、冬はセーターとコート、ボトムはお気に入りの数本のジーンズが定番だった。普段と変えるのは、足元と口元。行き先が遊園地や公園じゃなければ、スニーカーからヌーディーなベージュのピンヒールに履きかえて、赤いルージュをひく。
 スカートやワンピースは持っていたけれど、めったに着なかった。もともとユニセックスな服が好きだったし、当時の年下彼氏のスタイルにはちょうどよい味付けだったから。

 

 

 フロントガラスのひだり前方にさくら色の陽だまりが揺らいで、思わず目をやった。やわらかな陽射しにふわりふわりと揺れていたのは、やわらかそうなミモレ丈のフレアスカート。彼女の手は隣の男性と恋人つなぎになっている。
 デートかな? 春らしい色彩と風をはらむ丸みを帯びたフォルムは、可憐でかわいらしい。
 でも、何だか変。何かがおかしい。何でだろう?

 違和感の理由は、すぐにわかった。
 恋人つなぎにされた手の角度だ。おたがいの5本の指を絡ませてつないだ掌から伸びるふたりの腕。その角度は90°をはるかに超えた、135°もあろうかという角度だった。間にこどもがぶら下がってるわけじゃないのに。恋人つなぎしているわりには、ふたりの身体の距離が離れすぎている。

 ソーシャル・ディスタンス? つなぐ前に手指消毒? いや、まさか。
 何でだろう? 変なの。都会の人混みでもない歩道を、わざわざ恋人つなぎして歩きたいほど好きなら、もっとくっついて歩けばいいのに。

 彼らが離れて歩いている理由は、すぐにわかった。
 わたしは助手席の娘に話しかけた。

 ねぇ、恋人つなぎして歩きたいんだったら、日傘を彼に渡して くっついて歩けばいいのにね。


 娘は答えた。


 自分で さしたいんだよ、きっと。
 あのね、若者で日傘をさしている女の子はね、“日傘をさしている自分”が好きなの。ファッションの一部。だから、彼氏に持ってもらうのは意味がないんだよ。


 え、そうなの? 日焼けしちゃうからじゃなくて、日焼けを気にしてる女の子、日傘が似あう女の子を演出してるってこと?


 娘はうなずき、私はガラじゃないから日傘ささないけどね と言って、笑った。
 そうね、わたしもファッションとしての日傘はささない。デートだからって、ひらひらふわふわのスカートなんか着ない。砂糖菓子のような女の子を演出したりしなかったし、日傘さすわたしが好き!なんて思えない。

 

 

「それって、僕と付きあってくれるっていうこと?」
 後輩男子のそのことばを聞いた瞬間、やらかした!と後悔した。それは誤解だと告げなければ。

 何でそんなところで電話していたのかも、わたしがその前に何を言ったのかも覚えていないけれど、テレホンカードの残数が37だったことは覚えている。バイトしていた楽器メーカーのビルの近くの電話ボックス。黄昏にテールランプが流れている。受話器の向こうではしゃぐ彼の声を放心状態で聞きながら、やはりわたしは誤解だと言えなかった。
 微妙な笑い声で曖昧なYesを渡してしまった、20歳の春。

 

 年下の彼は、はじめて付き合った人がわたしだった。一行で表現すれば、素直で優しくて頑固で甘ちゃんでいい人。彼はその恋にわかりやすく夢中になった。
 当時、別の人へのジェットコースターのような片想いに疲れ果てていたわたしには、都合の良いぬるま湯だった。誤解から生まれた恋をわたしは利用したし、ちゃんと知っていた。そんな自分のずるさを。

 大学にほど近い彼の下宿は、地下鉄の駅から20分ほど坂を登ったところにあった。どこかへ出かけるデートでなければ、駅まで彼が歩いて迎えにきて、いっしょに坂を登る。
 彼はよく手をつなごうとしたし、肩を抱こうとした。でも、わたしはその行為に少なからず抵抗があった。ならんで歩くふたりの身体のあいだで、手と手が触れあい、はなれる。申し訳ないなって思っていた。でも、人目につく場所でいちゃいちゃしたくない。
 部屋に入ればセックスしてたんだから、変な話だけれど。

 今ならわかる。大好きな人といっしょに過ごせる時間。片時もはなれずに手をつなぎたかった彼の気持ちを。
 でも、当時のわたしにはわからなかった。比べるものではないし比べられるものではないけれど、想いに圧倒的な質量の差があった。この恋がシーソーだとしたら、揺れず動かず斜めで止まっている。彼の両足は地面についていて、わたしは空に高々と上がったまんま。

 AVで予習したらしい彼とスポーツのようなセックスをした後、シャワーを浴びて、床に散らばった衣服を身につける。実家暮らしのわたしは何事もなかった顔で帰るために、ていねいに髪を結い、メイクを直す。その様子を、彼はうれしそうに時おりちょっかいをかけながら眺めていた。最後に塗るルージュは、朝よりも控えめなベージュピンク。軽く口をあけて、輪郭をなぞる。仕上げに油とり紙をくちびるにあてて。
 その行為が、彼にはたまらなかったらしい。毎回、彼はその瞬間をボールを見つめるワンコのように待っていて、油とり紙をわたしの手から奪いとった。何に興奮しているのか、意味がわからない。わたしにとってはただのゴミだったけれど、彼にとっては宝物だったらしい。
 わたしのくちびるの残滓。
 その日のセックスの魚拓。
 彼の脳内AVのサムネイル。

 そんなものを欲しがる彼をどこかでちょっと気持ち悪いと思っていたけれど、毎回わたしは律儀にルージュをひいて、油とり紙でおさえ、彼に奪いとらせた。
 わかっていた。年上の彼女の大人っぽい振る舞いに彼が興奮し、夢中になることを。知っていて「年上の彼女」感を演出していた。
 きりっと襟を立てた真っ白なシャツも、ヌーディーなピンヒールも、真紅のルージュも、無造作にスティックで留めたまとめ髪のうなじも、そのスティックを抜いて髪がほどけ落ちる瞬間も、シャツを肩から落とした瞬間の黒いレースの下着も。すべては彼の視線を自分に釘付けにするための演出だった。本当はレースなんて身につけたくないくせに。

 同じだ。
 同じだった。
 わたしも、日傘の彼女と。

 当時のわたしが欲しかったのは彼ではなくて、「彼をがっかりさせない自分」であり、「彼が夢中になる自分」だったのかもしれない。
 あの黄昏の電話ボックスで、誤解だと言ってあげればよかった。いや、わたしはそう告げるべきだった。たとえ彼ががっかりしたとしても。
 素直にしっぽを振る彼の青春は、わたしのグロテスクなエゴイズムに消費されてしまったのだから。
 あの頃のわたし、最低だな。知ってたけど。


 それから、いくつかの恋が身体を通りすぎて、わたしは知った。
 片時も はなれがたい、常にどこかに触れていたい、相手に溶けてしまいたいと焦がれる恋を。
 その時間をふたりでたっぷり味わったあとにくる、どこにも触れてなくたって相手の存在を実感できる愛を。
 そして、相手への慈愛をもって触れあう瞬間の、しびれるようなよろこびと、とてつもない安心感を。

 

 

 大好きな誰かと手をつなぐ。
 そんな単純でいとおしい行為ができなくなって1年が経った。一見、字面を入れ替えただけのような措置に暮らしも仕事も揺らいでいて、大きな波を描くグラフに希望をすり減らされる。
 勤務地の都合で、担当病棟の都合で、はなれて暮らす恋人や家族のいる人々の胸中を思う。画面越しにことばは交わせても、肌のぬくもりは伝わらない。抱きしめて背中をさするだけで伝わる何かを伝えられない日々は、もどかしいこと この上ないにちがいない。

 今抱えているだろう彼らのせつなさが、大きなよろこびに変わる日がくるのを、心待ちにしている。日傘からうっかり過去に旅してしまった春の宵。

 

 


ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!