「お茶はいかが?」 今度は、私がそう言うよ
「これも季節もんだからね。頼んどいたんだよ」
毎年、5月も終わる頃。
祖母のもとに ふるさとの静岡から新茶が届く。
この時期に祖母のいた“サ高住”(サービス付き高齢者住宅)へ遊びに行くと、いつも祖母は「お茶はいかが? 新茶があるのよ。うたは、お茶好きだもんね」とお湯を沸かしはじめるのだ。
私は、祖母の淹れるお茶が世界でいちばん好きだった。
電気ケトルが こぽこぽと音を立てはじめると、私はココロの中で こどもの頃に旅をする。
今はもうないあの家の、隅から隅までを覚えている。
玄関を入ると壁一面にかけられていた、祖父の帽子。
深い音で鳴る、古いアップライトピアノ。
夏休み、従兄妹と雑巾がけ競争をした廊下。
ちょっと日に焼けた、漆喰のしろい壁。
すべすべの柱に光る、黄金糖のような松やにの珠。
庭の梅で祖母が毎年仕込んでいた、西暦のラベルを貼った梅酒の瓶。
祖父母の寝室に飾られた、中学生の頃の母の大きな大きな写真パネル。
畳の干し草のような香り。
しゅんしゅんと湯が沸く、鉄瓶の音。
しわしわだけど品のある、白くて小さな祖母の手。
ざくっと茶葉をすくう茶さじ。
煎茶碗の透かし模様からこぼれる光。
湯を冷ます茶碗から立ちのぼる、白い湯気。
時間になると鳩が飛び出して啼く、時計の歯車の音。
待ちきれないほど、ゆっくり淹れる その時間。
待っている間も、ふたりの会話は途切れることがない。
祖母は温度を確かめるように急須のふたに手を添えて、ゆっくりと言うのだ。
「この待ってる時間が、お茶を美味しくするのよ」
「おまちどうさま」
あの頃よりもずっとずっと小さくなった祖母が、茶たくにのせた茶碗を差し出す。
湯を冷まし、ゆっくりと淹れたそのお茶は、香りがたって甘く、とろりとした感触で舌の上を転がっていく。
小さな煎茶碗では物足りないくらい、この香りと味が好きだった。
祖母を送って2回目の、新茶の季節。
大好きだったあの味と、それ以上にたいせつだったあの時間が、緑あざやかによみがえる。
今度は私がそう言うよ。
「お茶はいかが? 新茶があるのよ」
ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!