見出し画像

チェンソーマンを仮面ライダーと重ねて見ている

タツキのダークヒーロー漫画チェンソーマン。チェンソーの悪魔ポチ太と悪魔合体してチェンソー人間と化したデンジはミステリアスな美女、マキマを|口説く≪モノにする≫ため、悪魔を殺す。
アニメの放送も果たして、漫画の方も第二部が始まった。

さて、今回チェンソーマンのアニメを見ていて「これ仮面ライダーだ」と思ったので共有したい。

仮面ライダーは悪の組織によってバッタ怪人に改造された男が人々の平和を守るために孤独な闘いを続けるという話。
よりにもよってバッタの怪人である。カブトムシとかカッコいい虫ならまだしも、地味というかちょっとキモめの虫に改造されるのはキツすぎる。
怪人からは裏切り者と罵られ、人間からはその容姿と戦闘力から畏れられ遠ざけられる(いわゆるデビルマン状態)。どちらにも馴染めず常に孤独な社会的弱者、それが仮面ライダーなのだ。
変身前の人間も、大学生、フリーター、失業者、果ては密入国者までいる始末。定職についてる人間に正義の味方は難しいというのもあるが、人間の状態でも徹底的に社会的マイノリティなのだ。

一方、チェンソーマンは、悪魔という人類に害を為す存在が普遍的にいる世界で、人々を守るためデビルハンター達が日々死闘を続けている。
デビルハンターは給料はいいようだが、文字通り死闘の毎日なのでしょっちゅう返り討ちにあって死んでいる。3K職がそうであるように、人がやりたがらない仕事は弱い立場の人に回ってくるのが社会の常である。
大抵はみなしご(特に悪魔に家族を殺された人間が多い)、多重債務者、口減し、etc。
銃器の流通が規制されている世界なので、ハンターは近接戦を強いられる。流石にクマみたいな化け物と殴り合うのは勝ち目が薄い。なので大抵何らかの悪魔の力を借りる。悪魔を悪魔の力で狩るのだ。
デンジに至ってはチェーンソーの悪魔と一体化しているので、自らの血を燃料としてチェンソーと化し戦っている。
こういう点が仮面ライダー的要素として見られると考える部分だ。

他方、敵に関しては、ショッカーの様な分かりやすい敵対勢力はいない(どっちかつーと響鬼の魔化魍?)。〇〇の悪魔というのがフォークロア的に漠然と暴れていて、それに国家などの集権機関の思惑が絡み合った掴みどころの無いものが多い。
これは、高度な文明社会を形成する上で副産物的に生み出された暗黒面こそが悪魔であるからだろう。人間は賢くなりすぎたのだ。
なので、人類が生きている限り、悪魔は何度でも再誕するし、人々の認識次第で強くも弱くもなる。

相手が悪の組織ならまだ良い。だが、人類社会の抱える矛盾や闇に立ち向かわなければならないとすると、一体どうしたらよいのだろうか?タツキはアウトサイダーに光を見たと思う。悪魔が食い物にするのは、基本的には賢くて欲のある読みやすい人間、つまり常識的な人なので、その逆の非常識な人間は苦手。思考が読めない野人・狂人は悪魔にとって恐怖の対象なのだ。社会のルールが敵ならそれをぶっ壊す事にためらいの無いイカれた奴が最強という事。ニンジャスレイヤー等もこの文体に一部沿っている。

社会に組み込まれていないヨソモノにこそ状況を打開する糸口があるのかもしれない。行き詰まりを見せる集合体に外から新たなミームを入れて変革を促すというのは、核心をついているような、いないような・・・。

最後に伝説のアニメーター今敏の言葉で締めたい。
「考察したら何でも理解できると思ったら、大きな間違い」

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?