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石垣りんと戦後民主主義⑤<最終回>

第一詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」の出版された1959年から第二詩集「表札など」の出版された1968年までは10年の開きがある。60年安保闘争は、戦後民主主義が抱える「相克」のエネルギーの爆発であったが、その直後に始まる高度経済成長期には、「生活」こそが第一の国民的課題となった。数多の「相克」が解消されたわけではない。それらは社会の深層に沈澱しながら、「生活」に道を譲ったのだ。矛盾は深い。そうは言っても、食わずには生きてゆけないのだ。

戦後民主主義第一世代が担い手となった60年安保闘争に比べると、戦争を直接経験していない団塊の世代を中心とする第二世代の学生たちが主体となった70年安保闘争には、どこか観念的な傾向が強い。一方で「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)に代表される世代横断・水平型の市民運動が盛んになるのもこの頃である。東京の銀行に勤務し組合の委員を務めたこともあるりんの立ち位置からはそれらの運動の相貌が間近に見えたはずだが、彼女はそうした動きに理解は示しながらもそこから一定の距離を置き、詩作に励みながら、定年まで銀行員としての職を全うした。第三詩集「略歴」が出版されたのは、退職後の1973年である。
 
 私は連隊のある町で生まれた。
  兵営の門は固く
 いつも剣付鉄砲を持った歩哨が立ち
 番所には衛兵がずらりと並んで
 はいっていく者をあらためていた
 棟をつらねた兵舎/広い営庭
 
 私は金庫のある職場で働いた。
 受付の女性は愛想よく客を迎え
 案内することを仕事にしているが
 戦後三十年
 このごろは警備会社の制服を着た男たちが
 兵士のように入口をかためている。
 
 兵隊は戦場に行った。
 
 私は銀行を定年退職した。
 
 東京丸の内を歩いていると
 ガードマンのいる門にぶつかる。
 それが気がかりである。
 
 私は宮城のある町で年をとった
         (「略歴」)
 
高度経済成長を経て薄れつつある切迫した生活感、時の経過によって、あるいは世代交代によって希薄になってゆく悔恨の情、そして日常の中に埋没したまま、所与の前提としてシステムに組み込まれてゆく相克。戦後民主主義の土台の揺らぎは、戦前への回帰の予感を孕んで詩人の「気がかり」を喚起する。

銀行員としての職業生活と詩人としての創作活動が常に並行していたゆえもあってか、石垣りんの詩には社会の動きに対する鋭敏な反応が随所に見られる。それは多少の濃淡はあれど、戦後日本の詩人たちに共通する傾向なのかもしれない。彼女の生きた時代は、詩が強い社会性を持ち得た時代であり、詩のことばが民主主義を支える力となり得た時代であった。

もちろん、内外の歴史において、詩が強い社会性を持ち得た時代は幾度かあった。だが、その裾野の広さや表現の多様性において、戦後日本における詩の社会性は際立っていると言える。石垣りんの詩は疑いなく、その代表格であった。彼女の詩は常に戦後民主主義とともにあり、だからこそ、その土台の揺らぎを鋭敏に嗅ぎ取ったのだ。

石垣りんを含む戦後民主主義第一世代の詩人たちの多くが強い社会性を持ち得たのは、戦後民主主義社会そのものが詩の言葉を強く求めていたからであるとも言える。悔恨と相克と生活に根ざした戦後民主主義社会は、その根底を支える情緒の言葉を強く欲した。詩の社会性は、いわば社会の詩性によって導かれ、強化されたのだ。

現代の日本社会は戦後民主主義の延長線上にある。だが、第一世代の時代とは大きく異なった政治・経済・文化的状況に置かれてもいる。1980年代末の冷戦終結、90年代から30年にわたった日本経済の低迷、二一世紀初頭のテロ続発と中東の戦火、そして近年の世界を席巻したコロナ禍とロシアのウクライナ侵攻。グローバル化が進み、ますます流動化する内外の情勢変化の中で、インターネット上の仮想世界の拡大とも相まって、戦後民主主義を支えてきた社会的基盤が揺らぎつつある今こそ、80年近くに及ぶ日本の戦後史を改めて振り返り、戦争を直接経験していない第二世代・第三世代の手によって、その核となる精神を継承しながらも、新たなポスト戦後民主主義の構築を模索する時期に来ているのではないか。

最後に、石垣りんの遺した詩の中から、後に続く世代への願いをこめたと思われる作品「空をかついで」の一節を掲げたい。
 
 人はみんなで/空をかついで
 きのうからきょうへと。
 子どもよ
 おまえのその肩に/おとなたちは
 きょうからあしたを移しかえる。
 この重たさを/この輝きと暗やみを
 あまりに小さいその肩に
 少しずつ/少しずつ。
       (「空をかついで」)
 
戦争を直接体験した世代が次第に姿を消しつつある今、彼らから託された「空」を、その重みと輝きと暗やみを受け継いだ私たち第二世代も、もはや子どもではない。そして、私たちもまた、かつての石垣りんらのように、戦後民主主義の「空」をかついで、その重みと輝きと暗やみを、次の世代へと移しかえる責務を負っている。石垣りんの遺した詩の数々は、そのための貴重なよすがになってくれると思うのだ。

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