ローマ・イタリア史㉑ ~ルネサンス(2)~
15世紀から16世紀にかけて、北イタリアのフィレンツェを中心として、イタリア=ルネサンスは最盛期を迎える。建築家ブルネレスキはフィレンツェに「花の大聖堂」と呼ばれたサンタ=マリア大聖堂を建設し、彫刻ではギベルティやドナテルロ、絵画ではジョットやマサッチオが活躍した。さらに、「春」や「ヴィーナスの誕生」などの名作を残した画家ボッティチェリの登場によって、絵画表現に豊かな人間性が匂い立つようになった。
ルネサンスの芸術家たちに共通する特徴は遠近法の活用である。一点からの透視を基準とした遠近法を確立するためには、何よりも基準点を設定せねばならない。その基準点とは、とりもなおさず自らの視点である。すなわち、ルネサンスにおける遠近法の確立は、中世キリスト教文化における神中心の視点から、人間(自我)の視点への移行を象徴していたと言えよう。
15世紀後半にはルネサンスを代表するレオナルド=ダ=ヴィンチ・ミケランジェロ・ラファエロの三大画家が現れた。「最後の晩餐」や「モナ=リザ」の作者として有名なダ=ヴィンチは、美術のみならず、科学者や建築家や発明家としても一流の才能を持ち、「万能人」としてルネサンスの理想を体現した。ミケランジェロも彫刻「ダヴィデ像」やシスティナ礼拝堂のフレスコ画「最後の審判」やサン=ピエトロ大聖堂の修復など、多方面での活躍を見せた。ラファエロの手による大壁画「アテネの学堂」には、ダ=ヴィンチやミケランジェロなどの同時代人をモデルとして、プラトンやアリストテレスなどの古代ギリシャの哲学者たちの群像が描かれている。これはギリシャ・ローマ時代とルネサンス時代をつなぐ象徴的な作品だと言える。ヨーロッパ思想の源流とされるギリシャ哲学は、まさしくルネサンスによって再生したのである。
16世紀初頭には政治思想家のマキャベリが現れ、従来の宗教や道徳にとらわれない権謀術数的な政治の在り方を論じて近代社会科学の端緒を開く。一方で相次ぐ政変によってルネサンスの中心はフィレンツェからローマへ、さらにイタリアを離れてアルプス以北のフランス・オランダ・ドイツ・イギリスなどに移ってゆく。政治や経済における近代化までには至らなかったが、少なくともルネサンスは、文化面において人間中心の視点をもたらしたのであった。
視点が変われば意識が変わる。意識が変われば行動が変わる。多くの人々の行動が変われば時代が変わる。ルネサンスは一義的にはギリシャ・ローマ時代の古典文化の再評価であったが、同時にそれは中世から近代への時代の変化の先駆けとなる視点の移動を意味していたのだ。
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