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連載日本史86 鎌倉文化(4)

鎌倉時代の建築・彫刻は、武家と禅宗の興隆を反映してか、質実で力強い雰囲気を持ったものが多い。建築では、大仏様、唐様(禅宗様)、和様、折衷様と呼ばれる多様な建築様式が生まれた。東大寺南大門や浄土寺浄土堂に見られる大仏様は巨大な屋根を特徴とし、円覚寺舎利殿や正福寺千体地蔵堂を代表とする唐様(禅宗様)は急勾配の屋根と強い軒反りを特徴とする。いずれも中国・宋の建築様式に大きな影響を受けたものである。対して和様は緩やかな勾配の屋根と穏やかな軒反りが特徴であり、石山寺多宝塔や蓮華王院本堂(三十三間堂)などに、その特徴が見える。観心寺金堂は、その両方を取り入れた折衷様である。

鎌倉時代の寺院建築様式(「きょうと修学旅行ナビ」より)

平家による南都焼き打ち以降、特に奈良で復興建築の需要が高まり、その資金を集めるために寄付を募る「勧進」が広く行われた。この辺りの事情は、ヨーロッパの宗教改革前夜のローマ教会が大聖堂の改築資金を得るために販売していた免罪符に似ている。

東大寺南大門の金剛力士像(「奈良寺社ガイド」より)

彫刻では、運慶・快慶を代表とする慶派一門が活躍し、東大寺南大門の金剛力士像をはじめ、僧形八幡神像、重源上人像、興福寺金剛力士像、無著・世親像、天灯鬼・竜灯鬼像、蓮華王院(三十三間堂)千手観音像、六波羅蜜寺空也上人像など、力強く写実的な傑作を次々と生み出した。彼らが短期間のうちにこれだけの大量の像を作り得たのは、寄木造の特性を生かしたシステマティックな分業体制を確立していたからである。

源頼朝が腰についけていたとされる
沃懸地杏葉螺鈿太刀(いかけじぎょうようらでんたち)
(鶴岡八幡宮所蔵)

武士の世を反映し刀剣の製作も盛んになった。本来、刀とは片刃のもの、剣とは両刃のものを指す。また刃を下に向けて鞘に収める大刀を太刀(たち)、刃を上に向けて鞘に収めるものを打刀(腰刀)と呼ぶ。日本では剣よりも刀が一般に普及し、戦闘方法が徒歩から騎馬へ、あるいは集団密集戦へと変化するのに伴い、直刀や太刀が廃れ反りのある湾刀の打刀が主流となった。日本刀の切れ味は海外でも定評があり、現代でもなお多くの愛好家を得ている。

最近、 「刀剣乱舞」というアニメが人気を博した。日本刀の名刀がイケメンキャラになって活躍する話である。特に女子に好評で、「刀剣女子」と呼ばれる名刀愛好女子たちが日本各地の博物館や美術館を巡って名刀の美しさを味わう姿が見られた。刀は武器として血なまぐさい戦闘に使われたものだが純粋に美術品として見ると均整のとれた静かな美をたたえている。危うさゆえに醸し出される妖艶な美が、現代の若い女性たちの心をとらえたのかもしれない。名刀を美少年として擬人化した発想は奇抜に思えるが、確かに刀の持つ美しさは、美少年の危うい魅力に通じるものがありそうだ。




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