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連載日本史① 旧石器時代

日本の通史を連載で語っていこうと思います。歴史を自分なりにまとめて語り直すのは楽しい作業です。少し長い連載になりますが、お付き合い頂ければ幸いです。
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およそ十五万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)が、ユーラシア大陸を経由して日本列島に到達したのは約三万五千年前、地質学的には更新世(洪積世)後期の氷河期時代だと言われている。一般に、温暖期には氷河が溶けるために海面は上昇し、寒冷期には氷河の増大によって海面は下がる。昨今の地球温暖化問題の一つとして海面上昇の弊害が叫ばれているが、それとは逆の現象が起きていたわけだ。北海道はサハリン(樺太)を介して、九州は朝鮮半島を介して大陸と地続きになり、日本海は内海となった。その機に乗じて大陸南部から北上してきた古モンゴロイドが、北と南のルートから日本に到達し、縄文人の祖先となったのである。

更新世の日本列島

とはいえ、人々が土器を作り始め、縄文時代が始まるのは、氷河期が終わって地質学的には完新世(沖積世)と呼ばれる一万三千年前以降のことである。それまでの二万年以上もの間、彼らは何をしていたのだろうか?

岩宿遺跡の出土品
(群馬県みどり市岩宿博物館hHPより)

群馬県の岩宿遺跡からは、約三万年前に形成されたと思われる赤城山麓の赤土層(関東ローム層)から、黒曜石の槍先形石器が出土している。旧石器時代に特徴的な打製石器の一種である。他にも東京の茂呂遺跡や大阪の国府遺跡などから旧石器時代の石器が発掘されている。長野の野尻湖立ケ原遺跡からは、ナウマンゾウやオオツノジカなどの骨や牙とともに、それらの解体に使われたと思われる石器が出土した。つまり彼らは、ゾウやシカを石槍で狩り、倒した獲物をナイフ形石器で解体し、石斧で穴を掘り、木を伐って小屋を作り、十名程度の小集団ごとに狩猟採集生活を営んでいたのだ。

野尻湖で発掘されたナウマンゾウの牙とオオツノジカの角の化石
(野尻湖ナウマンゾウ博物館)

世界史的に言っても、この時代は後期旧石器時代にあたる。もちろん地域差はあるものの、世界中で精巧化した打製石器や骨角器が用いられ、狩猟・採集・漁労を軸とした生活、いわゆる獲得経済が当時のトレンドだった。道具・言語・火の使用に加えて、死者の埋葬、衣服(獣皮)の着用、簡素な住居の建設など、これまた生活地域の環境差によってさまざまなバリエーションはあるものの、全体的な傾向では大差はない。それが完新世(沖積世)に入って温暖化が始まり、海面が上昇し、日本列島が大陸から隔てられていくのと軌を一にして、縄文・弥生という日本独自の文化の形成が始まるのである。

縄文海進予想図(国土地理院地図より)
現在よりも海岸線が内陸に入り込んでいる。
地球温暖化が進むと沿岸部が再び海になってしまうかもしれない。

気候の変動による環境の変化が人間の歴史に与える影響は大きい。先史時代には数万年単位の変化であったが、昨今の地球温暖化や地球環境の激変のスピードから考えて、現代の世界では数十年、場合によっては数年単位で大きな変化が起こりうるのは確実だろう。だからこそ、環境の変化とそれに対する人間の適応の歴史を振り返って整理しておくことには大きな意義があると思われるのだ。





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