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noteの連続更新90日達成。自分を全力で褒めることにした

今日でnoteの連続更新90日。区切りの日なので感じたことを書いておこう。

今日7月15日は福岡の人にとって特別な日。2週間続く山笠祭りのクライマックス「追い山笠」の日だから。
偶然だけど、90日目がこの日になったのは感慨深い。

自分のことを「よーしよしよし!」って全力で褒めたい

犬をわちゃわちゃになで回す感じでお願いします。
ここの小見出し、「ちょっと好きになった」とか「認めてあげようと思った」とか、控えめな感じにしようと思った。

たいした文章じゃないし、考察が中途半端だし、こんなレベルで上げる? って記事ばかりだ。
そんな考え方があったかと気づきになったり、ウルッときたり、クスッと笑えたりする、そんな完成度の高い文章を毎日上げていらっしゃる方もいる。
上を見ればキリがない。

でも……、でも、うん、がんばった!
90日も毎日文章を書いて公開するって、今までできたことがない。初めてできたんだ。
だからちゃんと褒めよう!

毎日更新のために本やマンガを読む時間を削ったし、ドキュメンタリーも見れなくなった。
子どもと夫にも我慢をさせてしまった。
今日も子どもをおんぶしてお昼寝させながら、暗い部屋でスマホで書いた。
そうやって毎日なんとか書き上げた。

こんな中途半端な記事を上げたら失礼じゃないか?
書くことよりも投稿が目的になってないか?
なんども問うた。

それでも続けようと思ったのは、「やった人にしか見られない景色があるだろう」と思うから。

15年ほど前に、10キロマラソンに出たことがある。
あのしんどさも、身体の重さも、もう歩こうと止まりそうになりながら走り続けたことも、達成感も、わたしだけのものだった。
10キロの移動なんて、車を使えば気づかないうちに過ぎているものだ。だからこそ、走った人にしかわからない感覚がある。

結論が浅いとか、なにが言いたいかわからなくなってるとか、文章書くスピードはたいして上がらなかったとか、おかげで考えが整理できたとか、がんばったなとか、90日続けたからこそわかったことだ。

noteが優しい世界でよかった

自分がnoteを書くようになって、ほかのnoterさん(という呼び方も初めて知った)の記事も読むようになった。

SNSだとおすすめ記事を読んでいくと「時間が溶ける」後悔があるのに、noteだと「夢中になる」という前向きなとらえ方になる。

わたしがフォローしている方々は、一つひとつの記事を丁寧に書いてらっしゃる。
新しい視点を教えてもらえるし、できごとに対する考察は学ぶことが多いし、忘れていた幼少期の思い出が開くきっかけになるし、イヤなことがあっても文句で終わらず、そこから得た学びにまで昇華して記事にされている。

PV数を稼ぐための釣りの記事や、だれかを攻撃するような記事が目に入ることは、ほかの媒体よりも圧倒的に少ない。

noteを書いている人って、これが仕事につながっている人もいるけど大部分の人は「好きで」書いている。
文章を書くのが好きな方が、noteを大切な場所として守っているから優しい世界になっているんだと思う。

noteとほどよい距離を取れるだろうか?

90日続けられたんだから、いったん毎日更新はやめてもいいかと思っている。
なおざりにしてしまった家族との時間を増やしたい。

でも強制力がないと続けられない自分は、毎日という負荷をなくしたら、更新頻度が2日、3日、1週間とあいてやがて離れてしまうんじゃないかと怖い。せっかく毎日書けるようになったのに。
そうなったらnoteを書き続けている人を、対岸から卑屈な目で見てそうだ。

今さらながら、「学校」とか「定期テスト」というシステムは、怠け者のわたしの尻を叩いてくれて合ってたと思う。まぁその当時は早く解放されたかったけど。

noteの更新が継続できて、家族との時間も取れる距離を探したいと思う。
それが3日に1回なのかもしれないし、毎日なのかもしれない。
きっと人それぞれ。試してみればいいか。

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