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血のつながらない子どもを愛せるか? 最終話

祖母のおかげで、血のつながりがなくても共に過ごす時間が強いきずなをつくってくれるとわかった。

でも、やはり血縁も大切と感じたこともある。

高校生の頃、北陸にいる血のつながった祖母のお見舞いに父と行ったことがある。大学のオープンキャンパスで病院の近隣に行っていたからだ。

実の祖母にあいさつしたとき、わたしは「おばあちゃん」と呼んだのか覚えていない。見つめられる視線に、なにを話していいのかわからないことに、居心地の悪さを感じていた。

一方、父は横に座って手を握り、なにを話すわけでもなく祖母を優しく見つめ、ときに手を撫で、なかなか帰ろうとしなかった。
「自分はずっとここにいられるなぁ」と言った父の顔は島根ではあまり見たことない表情で、父にとっての母は北陸にいるんだな、と感じた。

お見舞いの後に会った親戚は父と同じように背が高く、笑うと目が線になるところもいっしょで、一目で血縁者と分かる外見だった。
それどころか声の大きさや話し方などの後天的と思っていた要素も似ていて、同じような雰囲気の人たちの輪の中で、父は心地よさそうに過ごしていた。

父は島根の祖母に対しては、ずっと丁寧語で話していた。小さい頃は感じ取れなかったが、父の実家での振る舞いはどこかよそよそしいことに大きくなってからは気づいていた。
それが北陸の親戚の前では自然な口調で話し、冗談まで言っていた。

あの父の表情や振る舞いを思い出すと、血縁の大切さもやはり見過ごしてはならないと感じている。

結局は、共に過ごす時間も、血のつながりも、両方が大事なのだ。
一方をないがしろにすることはできない。

血のつながらない子どもを愛せるか?
絶対に愛せる。
物事には絶対はないというけど、これは絶対と言っていい。(諸先輩方もおっしゃってるし!)

これから悩むこともあるだろうが(すでに子どもの発達が月齢と合っているか、心配でいちいち確認しているけど)その多くは子育ての悩みであって、血がつながっていないことが原因の悩みは少ないだろう。
もちろん、真実告知など養子であるがゆえに考えなければならないことはあるけど。

いっしょにいられる時間を大切にすること。
たくさん大好きと伝えること。
子どもが大きくなって、生みのお母さんに会いたいと言ったら、全力で力になること。
そう口に出せるように、小さいうちから生みのお母さんについて話をすること。

それがわたしのやるべきことだと思っている。

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