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社会的養護について考える

ヨーヘイがうちに来てくれて幸せだと、親のエゴ丸出しな感想をnoteにつづっているけど、特別養子縁組はわたしのように子どもができない人のための制度ではない。
子どもが家庭的な環境で過ごし、特定の大人と愛着形成をして幸せになるための福祉制度だ。

不妊治療がきっかけで特別養子縁組にすすむ人が多いのは確かだけど、「子どものための制度」という理念は忘れてはいけないものだ。

社会的養護とは、親のいない子どもまたは親に監護させることが不適当な子どもを、親に代わって公的責任で社会全体で育むことをいう。
(正しい文言はこちら→https://www.cfa.go.jp/policies/shakaiteki-yougo

現在、社会的養護が必要な児童は4万2千人いて、そのうちの8割が施設で暮らしている。つまり、2割しか家庭的な環境(里親やグループホーム)で生活ができていない。
福岡市はすごくがんばっていて、里親への委託率が6割近くあり全国平均を大きく上回っている。

現在の児童養護施設は、多くの人が思い浮かべる数十人の集団生活(大舎制)ではなく、数人の子どもと職員の方が一緒に生活する小舎制が主流になっている。
小舎制になっているとはいっても、一人の子どもと向き合う時間は家庭と比べると少ないし、職員の方の異動があればまた関係を構築することになる。

家庭が土台にあるのが当たり前のわたしには、それがない生活というのは想像しにくい。
生まれたときから親がいて、愛されて、安心して、信頼して、そこで育って、結婚したら自分たちで新たな家庭を築いていくものだった。
家庭養育の必要性はわたしにとっては空気のようなもので、改めてその価値を言葉にするのはむずかしいし、今回のテーマからそれるので「人は家庭的な環境で育つことは重要だ」という前提にさせてほしい。

わたしは特別養子縁組の審査のとある課題で「子どもを迎えたいという気持ちはわたしのエゴであると自覚した上で、社会的に託されたということを忘れてはいけない。」というようなことを書いたけど、「社会的」に託されるってなんだろう? って実はあいまいな気持ちで書いていた。

「個人的」には、託されたこの子が幸せになるよう全力を尽くす。
一般的な子育てに追加して、特別養子縁組ならではの課題も向き合っていかないといけない。
ヨーヘイが自分の出自を理解するために真実告知もしていくし、生んでくれたお母さんに会いたいと言ったら、なんとかして探そうと夫婦で決めている。
養子になんてしてほしくなかった、生んでくれたお母さんと暮らしたかった、自分の意志じゃないと言われたら、それも受け止める(泣いちゃうと思うけど)。

では社会全体で子どもを育むという「社会的」な役割はなんなんだろう? もちろん、一人の子どもを養子として迎えて育てるというのが社会的養護なんだけど、それだけだと不十分なように思えて、この問いはわたしのなかでずっと引っかかっていた。だからヨーヘイが来てくれてからも、なんとなく考えていた。

そんなときに出会ったのがこのドキュメンタリーだ。

少年少女の非行について、彼らを逮捕するのではなく寄り添って更生を支援する警察職員に密着したドキュメンタリー。
なんと身近な福岡県警の話で、少年育成指導官の堀井さんという方に密着していた。

この記事を書くにあたって調べたら、プロフェッショナルでも取り上げられていたみたい。今は福岡県警を退職して、フリーの立場で子育てに関わっていらっしゃるそうだ。

番組の中で、堀井さんは過去に暴力行為をした少年たちと和やかに談笑して、当時の暴力エピソード(武勇伝なのか?)を懐かしい思い出話のように話していた。

なぜそんなに加害者の少年にそんなに寄り添うのですか? という問いは、「被害者がいるのに、加害した側に甘過ぎじゃないの?」という視聴者の声を代弁するものだっただろう。

それに対する堀井さんの答えはこうだった。

加害した子どもたちは虐待などの被害体験がある。加害者の被害体験を治療しなければ、加害の側から抜け出すことはできない。
加害者支援が最大の被害者支援になる。
温かい手と目でしか、子どもを更生させることはできない。

番組より

探していた答えが見つかった気がした。

少年犯罪の多くが、複雑な家庭環境を背景にしていることは周知のことだろう。そしてそれが連鎖しやすいこともよく知られている。

わたしたち夫婦だってぜったいに安泰とはいえないけど、「子どもに家庭的な環境を、長期間与えられる可能性が高い」と認めてもらって、ヨーヘイがうちに来た。

うちで育ったからとヨーヘイが罪を犯さないとは限らないし、複雑な家庭環境だから必ず罪を犯すわけではないというのは分かっているが、家庭環境が与える影響は大きい。

ヨーヘイが養子とならなかったら、その連鎖に絡めとられて犯罪に手を染めていたかもしれない。
その鎖を断ち切って、ヨーヘイ自身が幸せになること。
それによって、いたかもしれない将来の被害者を減らすこと。
それに巻き込まれていたかもしれない、周りの人たちの幸せを守ること。
それが「社会的に」託される意味なのかもしれないと、このドキュメンタリーを見て感じた。

一人ひとりのことを考えると、その子自身が幸せになってくれればいい。わたしもヨーヘイの笑顔を見て「これで将来の犯罪の芽が摘めたぞ」なんて思ってない。
ただ、これも特別養子縁組の社会的な意義の一つなんじゃないかと感じた。

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