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ユニコーンの角笛

 ユニコーンという不可思議な生きものを、きみは知っているだろうか。一角獣とも呼ばれるように、角を一つもっていて、白い馬と山羊の、あいだのような体つきをしている。
 とても気高く、孤独を好み、また慎重な生きものだから、なかなか人の目にはつかない。きみが見たと思っても、まばたきの間に、もうどこかへ消えている。きみは、みたのかどうかわからなくて、すぐにユニコーンのことは忘れてしまう。

 もしくは、「ユニコーンなんて見たことがない」と、きみは言うかもしれない。けれども、見ていないと思っているだけで、じつは、みたことがあるはずなんだ。
 まばたきの間、まぶたの裏、あるいは夢のなか、心の奥底に、さがしてごらん。きっと、きみも、会ったことがある。だって、ユニコーンは、ほんとうは、人のことが大好きだから。かならず、きみにも会いに来ている。

 それにね、ユニコーンの音を、きみは毎晩聴いているんだ。え? 声なんて聞こえないって? たしかに、そう、ユニコーンの声は、ぼくらには聞こえない。ユニコーンは、ぼくらの言葉を話すわけではないからね。
 でも、ユニコーンの音はあるんだ。ユニコーンの角笛の音。

 日が沈むと、透明な青の粒子が、天から、地の深みまで降りてきて、すべてを包みこみ、夜になるね。そうして、世界はしずまる。そのとき、さやさやと響いてくるのが、ユニコーンの角笛の音。
 もしかしたら、そのときにはもう、きみは眠りについているかもしれないね。

 ユニコーンの角笛は、死んだユニコーンの角からできていて、天使だけが、それを吹ける。
 ユニコーンの角は、鳥の含気骨のように空洞になっていて、天使が息を吹きこむと、えもいわれぬ音が鳴るんだ。

 どうして天使が、ユニコーンの角笛を奏でるのかは、わからない。きみは、どうしてだと思う? きみの心は、きみだけのこたえを知っているから、きみはきみの思いを信じていいんだ。
 ぼくには、ぜんぜん、わからない。大人はなんでも知っていると、きみは思うかもしれないけれど、大人になればなるほどわからなくなることも、たくさんあるんだ。
 それでも天使は、毎晩、ぼくのまちにも、きみのうちにもやってきて、ユニコーンの角笛を奏でている。

 天使がかなしいときには、重く低い音が鳴り響く。それは、嘆きや呻きにも聞こえる。きみがどうにも心が苦しく感じるときは、天使がかなしんでいるのかもしれない。
 反対に、天使がうれしいときには、軽やかで喜びに満ちた音がする。それは、高らかな歌にも聞こえる。きみの心が晴れやかなとき、たぶん天使も喜んでいるんだ。

 そういうふうに、ユニコーンの角笛の音は、音として、音もなく、世界中に響いている。いまのいまにも、風の音にのるようにして。

 そう、天使が、気まぐれに角笛を吹かないときも、風がユニコーンの角笛を鳴らすんだ。強い風でも、かすかなそよぎでも、風が吹き抜けるとき、ユニコーンの角笛は鳴る。
 きみがふと何かを思い出すとき、風の吹き鳴らした音を聞いたのかもしれない。風は、いまもむかしも、きっと未来も、世界中をめぐりめぐって、あらゆる見聞をしているからね。

 角笛の音なんて聞こえないって? いいや、きみは聴いているよ。そうと気づかないだけで、聞こえているはずなんだ。なにせ、音なのかどうかもわからない、妙なる音、音以上の音だからね。耳で聴いているかどうかもわからない。
 でも、夜は毎晩、きみに訪れるだろう? きみは眠りにつくだろう? それは、ユニコーンの角笛が、きみのなかにも響くからなんだよ。

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